2011年07月10日 8時05分

房総半島横断(20)「小湊鐵道」というより国鉄~JR「五井駅」。

五井駅の東口です。上段が現在の姿で、中段が昭和54年、
下段がその当時五井駅で売っていた“硬券”の入場券です。今や昔ですね。

ところで五井駅の東口の駅舎は、30年前の今も同じで、
自分で言うのも何ですが、少々驚きました。
ただ、大きな違いもあり、中段写真の大きなガラスの入ったところは、
今は長大な歩道橋の起点となっており、そういう意味では
“同じ”ではありません。

まあ、定点観測というほどではありませんが、30年の年月の流れを
感じてもらえればと古い写真を出しました。

2011年07月09日 19時23分

房総半島横断(19)「小湊鐵道五井駅」到着。

6月3日、18:37。夕闇が迫る五井駅に定時に到着。
房総半島を横断する3時間20分の旅が終わりました。

「いすみ鉄道」は「大多喜駅」を除く全駅が無人で、ワンマン運転。
一方、「小湊鐵道」は「上総牛久」~「五井」間がほぼ有人駅で、
列車には車掌さんが乗っている。
経営的な苦しさは同様でしょうか、好対照と言えば、
その経営合理化の考え方は両極に思えました。

「小湊鐵道」はここ五井駅から上総牛久駅の間が無ければ、
もっと窮地にたっていることは容易に理解できます。

とまあ、今回の「房総半島横断の旅」は少々、難しい話しが多くなって
申し訳ありませんでした。

ここで少し、ちゃんとした話しを一つ。
「小湊鐵道」の車両はキハ200形だけで、一見面白みがなさそうに思えます。
ところが何せ昭和36年から昭和52年まで16年がかりでの増備だけあって
微妙に違うところがあります。
例えばドアや窓ですが、行き交う車両や五井の車庫で、
そんなところを見付けるのは、この鉄道の楽しみ方の“王道”に思えました。

2011年07月09日 8時24分

房総半島横断(18)「上総牛久駅」で交換。

私の乗った44列車は、17:56に「上総牛久駅」に到着。
ここで37列車「上総牛久」発17:57「上総中野」行きと交換。
(上段写真の向かってくる列車が37列車です。)

「上総中野」~「上総牛久」間、22.7キロを1閉塞で来て、
やっと辿り着いた駅らしい駅で、44列車にも活気があふれ、
37列車からは学生を中心に多くの乗客が降り立ちました。
そして44列車から“スタフ”を受け取った駅の方が、
37列車に“タブレット”を持って走って行きました。
(下段写真の真ん中に駅の方が写っています)

ところでこのタイミングで書くのも何ですが、それは「小湊鐵道」の
線路の状態です。
「上総中野」から「養老渓谷」間の線路の状態は、「小湊鐵道」で頑張って
働いている職員の方には申し訳ありませんが“乗り心地”は決して良いとは
言えません。

というのもまずは「いすみ鉄道」から乗り継いで、「小湊鐵道」に乗った途端、
いきなり上下左右への動揺を感じました。安全上の問題は無いにしろ、
まあ、軽量級かつ短尺レールゆえ、また、枕木間隔も広く、
昔聞いたことのある蒸気機関車で言えばC12かC56の走る
“簡易線”という言葉を思い出したほどです。

で、「養老渓谷」を出発するとそれが一気に改善と思いきや、
「上総牛久」からは、“打って変わって”と言いたくなるほど
またまた乗り心地が良くなります。
1本の線で、これほど差が出た経験は、記憶の中ではありません。

20キロを超える距離が1閉塞の区間を持っている根っからの民営鉄道は
他に例があるのでしょうか?
乗り心地は路盤の強化、線路の重量化や長尺化で解決できることですが、
それは望めぬ注文であろうことは容易に察することができ、
またその経営状況を切実に感じた瞬間です。

PS)何事も無ければ、今日から名古屋市営地下鉄桜通線「桜本町駅」の
“可動式ホーム柵”が稼働しているはずです。

2011年07月08日 18時18分

房総半島横断(17)「小湊鐵道」はタブレット閉塞???

上総中野駅発17:15、五井行きの44列車(キハ207)に乗り込み、
当然のように一番前の“かぶりつき”の席に着きました。
で、目に入ったのがタブレット。

以前は、「上総中野」~「上総牛久」間にも「養老渓谷駅」や
「里見駅」と言った交換可能駅がありましたが、
今や同区間に交換可能駅はないため、スタフ閉塞となっています。
が、スタフではなく、それまで使っていた“タブレット”を
代用(?)で使っていました。
もっとも“スタフ”は“スタフ”として使えればよいので、
私の“スタフ”のイメージである『棒状』のモノは
既に過去の遺物なのでしょう。
長良川鉄道の「美濃白鳥」~「北濃」間も同じですね。

それはさておき、“タブレット”って、何かいい感じですよね。
私は、単にノスタルジーとかそんなことではなく、
『やっぱり「鉄道」は人が動かしている』という気にさせてくれる小道具に
見えるのです。勿論、鉄道運行に欠かせない装備であり、
決して『小道具』といった軽い存在では無いことは十分承知は
しているのですが、それでも見ているだけで気分が浮き浮きしてきます。

とここまで書いて・・・、やっぱり『ノスタルジー』であると自覚しました。

2011年07月08日 8時00分

房総半島横断(16)昭和54年の乗車券と入場券。

今回は駅の管轄をしている会社の話しです。
上総中野駅は、今もそうですが「小湊鐵道」が管理しています。
そのため、当時は有人駅であった「上総中野駅」の駅員さんは
「小湊鉄道」の方であり、上段写真の入場券にも「小湊鉄道」の文字が
印刷されています。

一方、下段写真の乗車券の下段にある「上総中野駅発行」の文字の前には
○に囲まれた『社』の文字があることになります。

今年の4月21日に、昭和49年の鹿児島交通・国鉄の共用駅「枕崎駅」は
鹿児島交通の管轄する駅で、国鉄の駅ではなかったと書きましたが、
ここ上総中野も同様となっています。

無人駅になってしまうと、なかなかどちらの会社の駅かは分かりにくいですが、
有人駅であった時代は、このように入場券や乗車券で判断することが
できました。

ところで下段写真の行き先が「安房鴨川」となっている理由ですが、
昭和54年1月15日に、『久留里線』に乗る予定であったためで、
「安房鴨川」からは『日東交通』のバスに乗り、「上総亀山」の駅に
向かいました。

名古屋から房総半島の列車に乗るのは、実際の距離以上に、
心理的な距離が遠く、時刻表を見ながら、まるでパズルを解く気分で、
そのルートを設定した覚えがあります。

2011年07月07日 18時03分

房総半島横断(15)「いすみ鉄道」~「小湊鐵道」の直通運転の可能性は?

今のようにどこにでもビジネスホテルがない時代、
“乗りつぶし”の際の宿泊は、殆どの場合、駅前の『商人宿』
(当時、そういう言葉がまだ生きていた)で、規模は小さいものの
家庭的な雰囲気が残っていました。ただ日本中どこでも予約なしの
飛び込みであったため、この時のように宿泊できない事態はあり得たのですが、
宿の人がどこかしかスペースを作って泊めてくれることが多く、
この「上総中野」は私にとって本当の緊急事態でした。
(昭和54年の移動のまとめ)
●五井発16:46、上総中野着17:57
●上総中野発19:03、大原着20:01

ところで「いすみ鉄道」「小湊鐵道」について書かれたブログを
検索して見ていると、よく登場する“夢”に両鉄道の直通運転があります。
まずは現状分析ですが、上段写真の「いすみ鉄道」の線路は、
下段写真の真ん中の行き止まりの線です。
一方、下段写真の一番右側の線路が「小湊鐵道」で、
上段写真のもう少し「大原」よりで行き止まりとなっています。
一方、下段写真の一番左側の側線は、「いすみ鉄道」~「小湊鐵道」と
繋がっています。

何のために繋がっているかは私には分かりませんが、
繋がった線にはホームが無いものの、この駅を“通過”する列車であれば、
今でも『直通』は可能に見えました。

もしも直通するならば「いすみ鉄道」の「キハ52-125号」が
候補なのでしょうが、鉄道会社を跨ぐ運転となるため、事前の試運転を含め、
経費面のハードルがあるでしょうし、そもそも両鉄道とも1つの閉塞区間が
長いだけに、ダイヤ作成も難しそうです。

ただ、実現すれば、日本中から注目を浴びそうな気もします。
可能性は低いかもしれませんが、私としては気長に待ってみたいと思います。

2011年07月07日 8時06分

房総半島横断(14)「小湊鐵道」との接続駅『上総中野』。

上総中野駅17:09。私の乗った「いすみ鉄道」の列車は定時で到着。
ここから「小湊鐵道」への乗り継ぎですが、この日は平日だったため、
五井と結ぶ列車はたった4往復。
JR以外でこの本数の運転を私は知りません。
それゆえ「デンタルサポート大多喜駅」で一旦降り、
1列車遅らせたわけですが、それはそれとして、ここで上総中野駅の
「思い出」を少々。

まず上段写真は平成23年の姿です。
真ん中も平成の駅名標ですが、接続駅とは言え、異なる鉄道会社の駅名が
1枚の中に表現されており、左方向に「小湊鐵道」の
『ようろうけいこく』の名前が、右方向には「いすみ鉄道」の
『にしはた』の名前があり、昭和の時代に既にそうであったかは
覚えていませんが、国鉄木原線の第3セクター化によるものであれば、
面白いと思いました。

さて、下段写真は昭和54年1月14日の「上総中野」駅です。
改札の向こう側に、「小湊鐵道」のキハ200形が見えています。
この日私は、五井発16:46上総中野着17:57の
列車に乗っていました。本当は、ここ上総中野で1泊し、翌朝、
木原線で大原に向かう予定だったのですが、駅周辺にあった旅館
(確か2軒?)は、何れも土木工事の関係者の宿泊により満室で、
『廊下でも…』と粘ったものの、旅館の方から
『この時間なら五井か大原に行けますよ』と言われ、
“「上総中野」~「大原」”間で想定外の夜間乗車をするはめに
なってしまったのです。(続く)

2011年07月06日 18時04分

房総半島横断(13)「スナフキン」と『注意事項』。

26D「大多喜駅」発16:46上総中野行き『いすみ205号』は
“スナフキン号”でした。
そうっ!私がいわゆる「ムーミン」の中で知っている数少ないキャラクターの
一つです。
車体前面にも「スナフキン」の絵がありましたが、『いすみ207号』の
“ごせんぞさま”と同じ場所に、“スナフキン”の人形がいました。
随分可愛らしい表情ですが、これは“スナフキン”は「旅人」
(ということを知っている私は凄い!ことは無いですね)なので、
こうして列車内にいることはきっと本望だからでしょう。

ところで左の写真は、先回の苦言とは少々事情が異なる“お願い”です。

●お願い…この付近は、右側ミラーで後方を確認するため、小移動を
お願いすることがあります。ご了承ください。

最近のローカル線の車両の運転室は、半室であることも多く、それもあって、
前面の貫通扉の所で前面展望を楽しむことができます。
そこには私のような「鉄」だけではなく、子供連れや学生たちが
運転室横にいる光景をたまに見かけます。

この「お願い」は、駅への到着時、進行方向右側のドアを扱うときは
少し移動をお願いすることもあるというものですが、
私が面白いと思ったのは『小移動』という表現です。
『移動』に『小』をつけた『小移動』という言葉は多分、
辞書には無いはずですが、意味合いはよく伝わります。
私の心が「くすっ」と反応したのでUPしてみました。

タイトルにある「スナフキン」と『注意事項』ですが、
“と”とはあるものの両者に関係はありません。悪しからず・・・。

2011年07月06日 9時00分

房総半島横断(12)車内で見つけた悲しい掲示。

今回の房総半島横断で、悲しい掲示を「いすみ鉄道」と「小湊鐵道」の両方で
見つけました。

この掲示は「鉄道情報誌」でも見かけた記憶がないのですが、
何れも『運転席』にあったもので、写真では読めないと思いますので全文を
掲載します。
●左側の「いすみ鉄道」…『運転の妨げになりますので、運転士にカメラを
向けないで下さい。』
●右側の「小湊鐵道」…『走行中の乗務員室へのカメラ、ビデオ等の撮影は
運転業務に支障がきたす恐れがあり、大変危険です。誠に申し訳ありませんが
ご遠慮ください。』

私はこれほどはっきりした“お断り”をかって見たことがありません。
ようするにそれほど『目に余る行為』が横行しているということでしょうか。
これは何も『鉄ちゃん』がその全ての原因とは思いたくは無いものの、
それでも大多数は『鉄ちゃん』と呼ばれる方たちが行った行為の結果で
あることは否定できないでしょう。

私も車内でシャッターを押すことはしばしばありますが、運転士さんを
被写体とする場合は、やはり一言声をかけます。
これからこの「房総半島横断」シリーズでUPする予定の話題の中にも
運転士さんにご協力頂いた写真もあり、
それは当然ですが、運転士さんの業務に支障がないとまずは私が判断した所で
声をかけさせて頂き、ご了解を得られた範囲内で撮影をしています。

私が心配になったのは、こうした“お断り”が必要になるほど
運転士さんにとって“安全運転の妨害”的な撮影が横行しているとすると、
前回と内容が重なりますが、それこそ鉄道事業者と私たちの
信頼関係が損なわれ、どんどん撮影できる範囲が狭まって
いくのではないかという『危惧』です。

残念ですが、これが現実なのでしょうか・・・。

2011年07月05日 17時56分

房総半島横断(11)「キハ52-125号」のこと。

「キハ52-125号」が『いすみ鉄道』に来た経緯とその運転は、
様々な鉄道情報誌等に出ているので割愛しますが、普段はこの写真のように
車庫の中で休んでいるようです。

ところでこの「キハ52」の写真ですが、私が撮影したのは所謂
“鉄道利用者”が入れるギリギリのところで、車庫の敷地内にほんの数歩
踏み出せれば、もう少しその様子が撮影できるのではと思い、
駅員さんに「あと数歩、車庫敷地内に入ってはいけないでしょうか?」と
尋ねたところ、「絶対に駄目です」ということでその願いは叶いませんでした。
因みに私があと少しと言ったのは、写真の真ん中のフェンスの切れ目の所です。

以前なら、許された範囲だったと思ってはみたものの、
何故そこまで厳しいのか考えてみました。

この「キハ52-125」は、その興しいれから始まり、
塗装変更(大多喜駅構内で作業)、エンジン整備、お披露目撮影会、
公開試運転、4月末からの営業運転と、何かと話題が多く、かつ連続し、
沢山の「マニア」の方が押しかけたそうです。

昨年12月20日の「いすみ鉄道 社長ブログ」には、
『深夜に「キハ52」の問い合わせの電話があり、宿直の社員の業務の妨げ』
とも書かれていました。

ファンの気持ちは“分からないでもない”とは今回は書きません。
やはり自分の逸る(はやる)気持ちを自制し、鉄道会社あっての私たちの
趣味であることを知り、同じ断られるにもせめて“やんわり”と断られる関係で
いたいと思います。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!