2011年01月24日 18時04分

冬の釧路に行こう!(12)「SL冬の湿原号」釧路川を渡る。

本当は雪が降っているのですが、よくわかりません。

平成22年2月19日(金)午後3時10分頃、
釧路駅到着直前の「SL冬の湿原号」を、
釧路川橋梁で捕まえました。
実はこの写真、ツアーの本来のスケジュールには無かったのですが
「太平洋石炭販売輸送」の知人貯炭場の撮影が順調に進み、
『ひょっとしたら間に合うかも?』ということで
急遽組まれたものです。
とはいうものの、大型観光バス1台を止められる駐車場の確保等
簡単に「それ行け!」とはなりません。
こういう時には、地元の強みが発揮されます。
「釧路臨港鉄道の会」のメンバーが各所に電話し、
近いところに駐車場も確保され、無事、この写真が取れました。

ところで昨年のツアーの「SL冬の湿原号」乗車はオプションで
どこかに「撮り鉄」に行くにも列車移動では限界があったので
私は往復とも列車に乗ったのですが、
今年は釧路発の往路は「撮り鉄」、標茶発の復路は「乗り鉄」と
確実に内容がバージョンアップしているようでした。
※HPの案内に、「三脚持参」を勧める記述があったりもします。

この『冬のSLと石炭のマチ・釧路』というツアー、昨年は早々と完売しましたので、
今年、今日の段階で余席があるかどうかはわかりませんが、
今年のツアー料金で、東京発6万3000円、
札幌発3万7500円をどう考えるかは
思案の為所です。
でも私は昨年、行って良かったと思っています。
「人との出会い」という意味でも、同じツアーに参加した方と
この1年間で2回(2人)も思わぬところで会っています。
1回目は、昨年5月24日からUPした「一畑電車」の中で。
もう1回は、同じく12月25日からUPした
「EF63の体験運転」時です。世間は狭い!
それだけでなく数々のご縁も頂きました。
3月10日にUPした「台湾鉄路と日本人」の
著者片倉佳史さんとの出会いもこの時の釧路でした。

「冬の北海道」「釧路」「釧路臨港鉄道の会」、
こうしたキーワードが、私の「鉄」分の中で
いつの間にか、かなりの部分を占めるようになりました。

今回の全12回の話しは、「鉄」ツアーの考察と
各地にあるであろう鉄道趣味の団体の活動の在り方という意味で
UPさせてもらいまいた。

冬の釧路に行こう!(完)

2011年01月24日 8時24分

冬の釧路に行こう!(11)乗り鉄で大自然を感じる。

北海道・釧路の大自然を代表する2つの動物。
丹頂鶴(上の写真)とエゾシカ(下の写真)です。
※エゾシカの写真は「トリミング」をしています。悪しからず。

写真は、釧路から標茶(12:24着)への往路ではなく、
標茶(13:52発)から釧路(15:10着)への
帰路の車内から撮影したものです。

丹頂鶴もエゾシカも「いるもんですねえ」としか
言いようがありませんが茅沼駅の近くで
進行方向(釧路に向かって)右側に見かけました。
この時、当然車内は大騒ぎ!
さすがに窓を開ける人はいませんでしたが、
一斉にカメラが窓外に向かっていました。

私は、たまたまその進行方向右側に座っていたので
撮影出来ましたが、撮り逃して悔しがっている乗客も
結構いました。(心のカメラで撮影かな?)
※この写真をUPして思うのは、やはり私は「旅鉄」?

釧網本線の「SL冬の湿原号」狙いの「撮り鉄」に方にとって
一大テーマが『丹頂鶴+SL』の組み合わせだそうです。
それを撮りたくてここに何度も足を運ぶ人が
地元だけではなく東京を始め全国にいるそうです。
このツアーで、地元の方の撮影された『丹頂鶴+SL』の写真を
見せて頂いたのですが、本当に美しい!と思いました。
それは私自身が計らずも「撮り鉄」にいよいよ参戦か!と、
心揺れる瞬間でした。

2011年01月23日 17時00分

冬の釧路に行こう!(10)乗り鉄の楽しみ。

私は「乗り鉄」と言う事で、「SL冬の湿原号」の
「乗り鉄」ならではの楽しみを少々。

平成22年2月21日(日)のこの列車は、
釧路駅のホームには10:40頃入線しました。

釧路発が11:09(今年も同じ時間ですね)だったので
停車時間が長く、『C11 207』の運転台に乗り込み
写真のような記念写真を撮ったりもしていました。
※逆サイドですが、気分は機関士!
※「撮り鉄」の方には絶対撮れない写真です。
★ウキウキ気分が顔に現れていてチト恥ずかしい。

多少の順番待ちはありますが、希望者全員がカメラに
収まっていたと思います。
※昨年の11月にUPした「SLニセコ号」ほどは
運転台に上がるお客さんはいませんでした。

この他、デッキ部分に立って
ヘッドマーク&ナンバープレート込みの記念写真もあります。
(本当にミーハーですね。小さな子供と変わらない…)

この他、同じホームの反対側に根室行きの「快速ノサップ号」が
いたのでその写真を撮ったり、
ホームには「釧路駅 湿原の鐘」があるので、
それを撞いて楽しんだりで、
出発時間まで結構忙しかったです。

こうして書いてみて「乗り鉄」=「旅鉄」とも言えるかなと
思います。さすれば私は典型的な「旅鉄」?

かくして「SL冬の湿原号」は11:09、
定刻に釧路駅を出発しました。

2011年01月23日 9時16分

冬の釧路に行こう!(9)SL冬の湿原号、出発!

今日の釧路の天候はどうだったのでしょうか?

そうっ、今年も今日から釧網本線の「SL冬の湿原号」の
運転が始まりました。
一人でも多くの方に乗ってほしいと切に願っています。

写真は2010年2月21日(日)10時34分頃、
「SL冬の湿原号」のJR北海道釧路運輸車両所出区を
捕らえたものです。
所謂本線上ではありませんが、晴れ渡る空の雪景色の中、
目一杯煙を出して走る姿に、思わず感動の涙が出そうになりました。
まあ、さすがに「涙」は筆が滑り過ぎですが、
私のその時の気持ちをお察し頂きお許し下さい。

ところでこの写真、朝一番に「釧路臨港鉄道の会」の方から
“出区”を撮りませんかと誘われ、
「車で案内しますので、列車には余裕で間に合います」とのこと。
お言葉に甘え、釧路駅の直ぐ西にある陸橋(広い歩道あり)に
向かいゲットしたものです。
想像以上の迫力に驚いたのを昨日のように覚えています。
※同じポジションからの写真は昨年の2月26日にもUPしています。
つまり、オプショナルツアーではないオプションでした。(多謝)

(情報)
この撮影ポイントは、手軽ということもあって人気があるようで
この日も確か5~6人の『撮り鉄』の方がいらっしゃいました。
私は、手持ちの撮影だったので、
C11を迎え撃つときに、陸橋の上を右に左に移動して撮影しました。

2011年01月22日 18時09分

冬の釧路に行こう!(8)釧路コールマインのナローの日常。

(写真は、2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影)

私は、ツアーでここ「釧路コールマイン」を訪ねました。
昨年も書いていますが、まさにここのナローに触れられると
思ったのが参加の動機でした。

そして、道路からではなく、敷地内の至近の距離から
この写真の様な日常の風景を撮影できたことは大きな喜びで、
冬景色の中で、黙々と働く人の姿は、
私の心を捕らえて離しませんでした。
架線柱が貨車にかぶっていたりで写真の“出来”としては
写真中心の「鉄」の方からみれば今一歩なのでしょうが
この写真は「釧路コールマイン」訪問時に撮影した写真の中でも、
私のお気に入りの一枚です。
何より、『望遠』ではなく『標準』に近い画角での撮影が
より被写体を自然体で捕らえられたのでは思っています。

視点は少しずれるのかも知れませんが、
特にこの訪問時は、従業員の方もツアーが入るのをご存知で、
それも参加者が“写真”撮影することも承知されているわけで
『人』が写りこむ可能性がある場所での撮影条件として
是ほど“願ったり適ったり”の状況は
「そこここにあるものでは無い」と今も、つくづく感じています。

最近、写真撮影の際の留意点として『人』の写りこみの問題が
何かとクローズアップされています。
(人そのものを狙って写す時も往々にしてあるのですが…)
私も『体験運転』や『豊橋鉄道のビール電車&おでんしゃ』参加時等、
写真に写っている可能性がある『方』には
出来る限り声をかけて了解を取るようにしています。
※それが出来なかったときは、人が特定されない写真を使いように
配慮はしているつもりです。

『人』の写り込み(写しこみ)が何かと話題を呼ぶようになったのは
多分、平成に入ってからだと思いますが、
テレビの撮影も実は同じ悩みを抱えており、正直難しい課題です。

2011年01月22日 9時14分

冬の釧路に行こう!(7)バッテリーロコのバッテリー。

(写真は、2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影)

上の『2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影』の文字は
例えばここ「釧路コールマイン」や
昨年のブログでは全く触れませんでしたが
「JR北海道/釧路運輸車両所」(今回は後日UP)と言った
通常は立ち入り禁止の場所に、
『ツアー』として、特別な許可を得て入り、そこで撮影した写真を
ブログ等で使用する場合の約束事です。

これまでの“道路から撮影した写真”は、
この表記は本来、不要なのですが敬意を表して掲出しています。

さて、本題です。
ここ「釧路コールマイン」では独特の表情をしたELだけではなく
バッテリーロコも使っています。
ツアーでは、参加者用にEL同様、
バッテリーロコも特別運転で走らせてもらえましたが
その姿は本当に“可愛い”の一言。(頬ずりはしませんが…)

そして『走行』終了後は、バッテリーロコのその所以たる
「バッテリー」を大公開。(下の写真)
思ったより沢山のバッテリーを積んでいることで驚いたのですが
イメージは、『大きなバッテリーが何個か並んでいる』であり
そこそこの大きさのモノがズラッと並んでいるこのような光景は
予想外でした。
でも、考えてみれば「ドデン」としたバッテリーでは
保守もし難いでしょうね。
単に、走っているところを見るだけではなく
こうした「内部」まで観察するのは楽しいですね。

話しは脱線しますが、それこそ昭和の時代は、
こうした会社も、もっと大らかに「鉄」ちゃん受け入れてくれ、
『現場のおじさん』の「良いよ!」の一言で
OKだったのでは無かったかと思います。
勿論、黙って入るのは当時でも反則技でしたが…。
安全第一は当たり前として、私も時代の流れを受け入れています。

2011年01月21日 18時28分

冬の釧路に行こう!(6)坑内軌道が動いている!

(写真は、2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影)

これも道路から撮影したものですが、
遠くに「坑内軌道」(炭鉱内用)が顔を出したのでパチリ!
手前に「坑外軌道」(地上用)も見えています。
※この用語は私が使っているもので“一般的”であるという
保証は…やっぱり出来ないなあ~。でも、意味は通じてますよね。

「坑内軌道」は、文字通り地上と炭鉱内を結んでいる軌道で、
海底下の坑内から地上へは、ELやバッテリーロコ牽引ではなく、
インクライン(ケーブルカー)となっており、
ケーブルで車両を動かします。
主に炭鉱内で働く人員輸送用と、炭鉱内で使用する機材の運搬に
使われており、石炭の輸送には使われていません。
※石炭はベルトコンベアを使って運ばれています。

写真で言うと、手前に7両の貨車が確認できると思いますが
その向こうに繋がっているクリーム色の少し大きい車両が人車です。

この時、人車は1両だけでしたが、炭鉱で働く人たちの
交代時間の時には、何両もの人車が動いているようです。
実際の所、「釧路コールマイン」の社内見学をさせて頂いていた時に
丁度、その交代時間にタイミングが合い、
通路から人車の乗り場が少しだけ見えて、そこで確認しました。

そうそう、社内見学と言えばその際、「日本の炭鉱」であったり
「釧路コールマイン」の『仕事』についても説明も受けており、
ここの現状を知ることで、何故日本でここだけ
石炭輸送の専業鉄道が生き残り、また写真のナローが
存在するかの理由にも得心が行った次第です。

そう言えば、「太平洋石炭輸送販売」が北海道でただ一つの
“私鉄”であることを書き忘れていました。

2011年01月21日 8時15分

地下鉄の自動券売機でお客さんが混乱?

名古屋市営地下鉄名城線「八事日赤駅」では、
今、写真の「ユリカ トランパス 発売 積み増しは 矢印 
お願いします」の看板が立てられています。

因みにその看板の後ろの券売機にも
「ユリカ(トランパス)」の購入、積み増しに関する
注意書きが掲出されています。

要するに「マナカ対応自動券売機」では、
「ユリカ(トランパス)」の購入や積み増しが出来ないことに
起因しているのですが、大改革時の混乱は
こういうところでも起きている訳です。
ただ、このような大きな看板を他の駅で見かけたことが無いので
(私が知らないだけかもしれませんが)
八事日赤駅の利用客の特性かも知れません。

それにしてもこうしたことは、当然最初から分かっていたはずで
対応が後手に回っていると思われるのですが如何でしょう?

これまでも、1万円札が使える券売機と使えない券売機があり
1万円札を握り締めて、右往左往(大袈裟ですか?)した経験が
私にはあります。
その度に「全部、一万円札が使えるようにしろよ!」と
何度も思いました。

今回はそれよりももっと根本的な自動券売機の仕組みの違いだけに
乗客への利便性が図れないなら、最初からこの看板を
掲示すべきだったと思います。

2011年01月20日 18時00分

冬の釧路に行こう!(5)釧路コールマインのナロー

(写真は、2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影)

「冬のSLと石炭のマチ・釧路」ツアーに参加した“特権”と
言っても良いのが、日本で唯一の坑内堀りの炭田
「釧路コールマイン」の軌間610ミリのナローの撮影です。

写真は道路から撮影したもので、「坑外軌道」(構内軌道?)です。
パンタグラフの位置を、櫓まで組んで異常に高くしてあるのは
線路を、バス・トラック等の大型車両が横断するためで、
架線位置が低いと「感電の危険性が高まる」といった理由だけでは
なさそうです。今は会社の敷地内しか走りませんが
以前は、敷地外にも路線が広がっていたと聞きました。
因みに、極端に低い架線位置は、昨年の5月10日~にUPした、
三重県紀和町にあった鉱山鉄道の架線を見て頂ければ思います。

このような道路からの写真は、撮ろうと思えばいつでも撮れるのですが
このナローがいつ動くか、どう動くかと言う情報は
新幹線の「ドクターイエロー」のダイヤを知るより
難しいかもしれません。

でもそこは地元の「鉄」団体がバックについているだけあり
「この時間には動くはず」などの情報を持っており
なおかつかなりの確度があるという強みがあります。
この日(平成22年2月20日の土曜日)も、
いつもなら「動き出す時間」ということで撮影スポットに向かい
それでもなかなか動き出さず少々ヤキモキしましたが
ちゃんと作業が始まり、ホッとする間もなく、
参加者全員が“無口”になって、思い思いの構図で写真を
撮影したりしていました。

この時、ふと思ったのは「もしも名古屋でこのようなツアーを
実施した場合、ここまでフォローできるのだろうか?」と
いうことです。
例えば、愛知県知多市の新日鉄や
三重県四日市市の工場構内の専用線だったら…。

ツアーはそれなりに高額です。
さらに東京からなら2泊3日で行けるのですが
名古屋からですと東京か札幌で前後泊を余儀なくされます。
ボランタリーな立場とは言え、責任は伴います。
単なる“趣味”ではなく、“趣味”を生かして
『地元の産業紹介&振興に繋がってほしい』という
メンバーの強い意志が無かったら成立しえない、と感じました。

(追伸)
今朝UPした名古屋市営地下鉄桜通線の「案内表示」ですが
今朝から通常の運用(名城線と同様)になっていました。
「徳重」延長がいよいよ近づいてきたと実感しています。

2011年01月20日 9時03分

地下鉄桜通線の新瑞橋駅の「案内表示」。

そろそろ止めたら…、とか
くどい!とか言われそうですが
名古屋市営地下鉄桜通線の「案内表示」です。
昨日の帰宅時、新瑞橋駅のホームでふと上を見ると…。

手前の大きく写っている「案内表示」は、
昨日まで『調整中』の貼り紙の下に“電光表示”が
見えていた新しく設置されたモノです。

一方、後ろの『調整中』の貼り紙のある、
電光表示が出ていない方は
昨日まで使われていた「案内表示」です。
桜通線新瑞橋駅の開業当時から使われていたこの「案内表示」、
桜通線野並延長が平成6年(1994年)3月30日でしたから
もう17年も経つんですね。

毎日見ている『案内表示』なので、多分、
昨日から切り替わったものと思われます。
(確信はありませんが…)

ところで新しい「案内表示」ですが、
パッと見おかしいところは無いのですがやはり・・・。
実は「野並方面」の文字の所は
本来、“発車時刻”が表示される場所で、
昨日思ったのは、「こんな表示も出せるんだ」ということ。

今朝は、まだまだ目が離せない「案内表示」でした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!