2010年12月25日 18時44分

「碓氷峠鉄道文化むら」EF63運転体験(1)

平成22年12月4日、やってきました群馬県安中市の
「碓氷峠鉄道文化むら」。
※写真は、12月5日に撮影したものです。

若桜鉄道のSL『C12 167』、
明知鉄道の『アケチ14号』、
豊橋鉄道東田本線の『3503』と
すっかり「運転」にはまってしまった私も
いよいよ「運転鉄」の“本丸”とも言える
ここの「EF63」に挑戦する日が来ました。

この日は学科講習と実技講習を行い、
本格的な運転体験は翌日以降と言うのは
十分承知はしていたものの、
入り口を通り、碓氷第3橋梁(メガネ橋)を模した
この橋を潜る頃にはもう胸の高鳴りを抑えることが
出来ませんでした。
※決して誇大な表現ではありません。本心です。

集まったのは受講料金3万円也を支払った精鋭10名。
その中に2月26日、このブログの記念すべき
初回に書いた『冬のSLと石炭のマチ・釧路』というツアーに
参加していた方もいらっしゃり、
この“業界”の狭さにまずは驚かされました。
(ツアーの日程…2月19日(金)~21日(日))。

2010年12月25日 9時00分

「素麺(そうめん)鉄道」開通!

とても可愛い『PCCカー』のジオラマです。
※『PCCカー』とは…アメリカで1930年代に
 バスや自家用車に対抗するために開発された
 高性能の路面電車。この選択自体がまず“凄”すぎる!
 
この「鉄道模型」は私が所属する
『名古屋レール・アーカイブス』の会員で、
“模型鉄”の大ベテラン・Hさんが自作したもの。
素麺の入っていた「木箱」にジオラマを作ったことで
『素麺鉄道」と名付けられました。
これを、Hさんがアーカイブスの活動日に持参され
早速、走行会と撮影会が始まり、
あっという間に時間が過ぎていきました。
●ジオラマの概要
*横37センチ×奥行き21センチ
*HOナローゲージ。縮尺は1/87。
*レイアウト全長は86センチ。
※上の写真は走行風景、下がレイアウトの全貌です。
 背景は著作権の関係で、私がグレーに塗りつぶしていますが
 実はカレンダーの風景写真を使っており、遊び心が一杯です。

素麺の木箱に全てを収めるため、ありえない急カーブを始め
まずは線路の敷設が凄い!ボギー車では走れないので
それに合わせてPCCカーも大改造。
単車にするため、長さを極端に詰め横幅も狭くしています。
(それでも絶妙のバランスがとっても愉快)
架線にいたっては・・・、もう書き始めたらキリがないほど
ベテランならではのアイデアと手製でしか表現できない世界が
ここにあります。

さて電車はポールを外すこともなく走り続け、
何と車両にもう一工夫すれば、実際に『ポール集電』で
走らせることも可能ということで
「模型鉄」ではない私には驚きの連続でした。

また上の写真は専用線区間ですが、
下の写真でちゃんと併用軌道も確認できる“本物”の鉄道です。
※ジオラマの家や車は100円ショップなどで“らしい”ものを
 揃えたそうですが、それを探すのも楽しそうですね。

さてこの走行会、実は「模型鉄」ではないある会員に
「模型」の世界にも飛び込んでもらおうと行ったもので
これを見たその方は、踏み込むかどうか相当に悩んでいました。
そろそろ“結論”が出ている頃かな?(その前に私が・・・)

2010年12月24日 18時35分

忘年会の季節、最終電車の時間にご注意を!

今週のとある日の新瑞橋駅の写真です。

お酒が入るとついつい時間の過ぎるのを忘れ、
気が付くと最終電車を逃してしまっていた経験が
ハッキリ言って私はあります。

この日、名城線の右回り(八事⇒新瑞橋⇒金山方面)の
最終電車には滑り込みセーフでした。

上の写真は、新瑞橋駅の電光表示(電車接近表示器)で
私の乗ってきた電車が「最終」だったことが歴然です。
一方、下の写真は乗り換えのため、桜通線のホームに
行こうとしたら出ていた看板です。
『…最終は発車しました』などという文字の並びを見ると
「何とか最終電車に間に合ってほしい」と願っていた人には
「大ショック」ですね。
私は、野並方面への乗換なので、最終電車には間に合っており
かつ少し時間があったのでこの写真を撮りました。

上の写真の話しに戻りますが、
桜通線の電光表示は、古いタイプのため
この「OOゆき 最終電車」の表示は出ません。
11月24日のこのブログでも書きましたが
現在、取り換え工事中ですので
切り替わればこの「最終電車」表示もされるのでしょうが
あまり心臓にはよくなさそうです。

さて忘年会シーズンもあと少し、
皆様も最終電車の時間にはくれぐれもお気を付け下さい。

※東京並みとまでは言いませんが、名古屋でも郊外に向かう
 最終電車のお客さんは確実に増えている気がします。
※毎度のことながら、最終電車到着時の駅員さんの動きは
 乗り残しが出ないように
 緊張感が漲(みなぎ)っている気がします。ご苦労様です。

2010年12月24日 8時09分

東海道新幹線のネクタイピン。

日本車両製造(以下、日本車両)では、今年、新幹線電車の
総製作両数が3000両を突破しました。
※国内メーカーでは初。現在のJR各社の新幹線電車を含む。
※2010年9月17日現在で3004両。(試験車両は含まず)
 日本車両のHPを参照しています。

そして、ご存知の方も多いと思いますが9月17日には、
「新幹線電車製作3000両達成記念式典」も
日本車両豊川製作所で執り行われ、
これを記念して『日車夢工房』からも、
「ネクタイピン」「ハンカチ」「ネックストラップ」を
セットにしたグッズが3,150円で発売されました。
(限定500セット)

下段の写真は、その中の「ネクタイピン」で、会社の上司から
私にプレゼントされました。(ありがとうございます)
記念すべき車両となったのが「N700系Z57」編成で
あることがちゃんと分かるようになっているのが嬉しいですね。
※「芸が細かい」といった方があたっているかな?

一方、上段の写真は「日本国有鉄道」が
『東海道新幹線開業記念』として製作し、
関係者に配った記念の「ネクタイピン」です。
※こちらも会社の大先輩が定年退職された際、
 私はわざわざ呼び出され、『最後のお小言』かと思いきや
 プレゼントされたものです。
 私にとって「最小」で『最大』の宝物です。(多謝)
実はもの凄く小さいもので縦横1センチずつ。
0系新幹線の象徴である“団子鼻”は直径5ミリです。
しかし、小さいながらもその“団子鼻”は『真珠』であり
その他の全体の質感も含め、当時の国鉄(というより日本)が、
どれだけ「“夢”の新幹線」に期待していたかが
手に取るようにわかります。
今や「夢の新幹線」も流石に「夢」ではないとは思うものの
それでも「日本の象徴」であることは間違いないでしょう。

日本車両では開業時の「0系」から最新の「N700系」まで
作り続けており、こうして「上のネクタイピン」と
「下のネクタイピン」を見比べていると
新幹線電車の歴史を感じます。
また「愛知県豊川市」の工場での偉業達成は
『地元』企業ということもあって本当に誇らしく思います。
※「0系」は、今はなき「蕨工場」で作られていたというのも
 今になれば懐かしい思い出ですね。

2010年12月23日 18時06分

「鉄道が見える部屋」続編

7月22日から5回、「鉄道の見える部屋」をUPしましたが
今回は「新宿湘南ライン」乗車後、
12月3日(金)に宿泊した「東横イン高崎駅間前」の
14階(最上階)からの眺望です。

私が宿泊した部屋からは、上信電鉄の留置車両が
チラッと見えた程度でしたが、
部屋を出た突き当りに『テラス』(非常階段ではない)みたいな
スペースがあり、そこでこの写真を撮影しました。
●列車は「とき305号」です。

「東横イン高崎駅前」に宿泊ということで“ピン”と来た方も
いらっしゃると思いますが、
この日、私は「碓氷峠鉄道文化むら」で
『EF63運転体験』のための“学科・実技講習”を
受けることになっており、そのために前日入りで
このホテルに宿泊していたものです。

「碓氷峠鉄道文化むら」では私の様な遠方からの参加者を対象に
「高崎駅前」もしくは「横川駅前」のホテル・旅館を
紹介しており、14階の眺望の良い階での宿泊は、
ひょっとして『鉄』ちゃん向けのホテルのサービスではないかと
一瞬思ったほど。
但し、事の真偽はわかりませんが…。
でも、私にとってはラッキーな一日の始まりでした。
※前日は日が暮れてからのチェックインで
 眺望までは確かめてはいませんでした。

2010年12月23日 9時00分

湘南新宿ラインと署名活動

最近、署名活動と言えば「名古屋市議会リコール」が
全国的に話題になりましたが、
こちらは群馬県の安中市商工会主導で平成20年から行われている
「湘南新宿ラインを信越線に招こう!!」という署名活動です。
※この“チラシ”の下に、署名をする用紙がついていました。

写真では分かりにくくて恐縮ですが
「湘南新宿ライン」の説明と
「湘南新宿ライン」がもたらすであろうメリットについて
書かれています。
主なメリットとしては
●県外からの誘客。
●人と文化の交流によるあらたなビジネスチャンス。
●「横川」まで3時間、3,680万人の誘致。
●安中市の文化財・観光資源の活用。
●地域の自立化
等々があげられ「署名活動にご協力を」と締められています。

これまでにどれほどの署名が集められたか等は不明ですが
地道な活動は続いているようです。

6月29日にUPした山陽本線上郡駅の「直通ダイヤを
復活しましょう」とは異なりますが、
『足』としての鉄道への期待は相変わらずといった気がします。

それでもしも「湘南新宿ライン」が信越線に乗り入れるとしたら
どんな車両運用になるのでしょう?
現在の信越線の各駅のホームが15両対応かどうかもありますし
そもそも「籠原」~「高崎」の各駅のホーム長にもよります。
その場合、「籠原」で落としている5両が信越線に
乗り入れるというのが現実的であろうなど
この「チラシ」1枚で妄想を広げることが出来る私は何者?

2010年12月22日 18時04分

関東平野大縦断の旅(E231系)。

写真は小田原駅停車中のE231系です。
定時運転であれば小田原発15:04、高崎着18:01。

「湘南新宿ライン」については今更説明することは無いのですが
昭和世代の私にとって、東海道線(横須賀線)と
高崎線(東北線)が直通運転するなど
未だに信じられない状況です。
※その前に、横須賀線と総武線の直通も私には時代の変わり目を
感じさせるだけのインパクトがありましたが
さすがにこちらは「いつの時代の話しだ」と言われそうですね。

ところで今回、「湘南新宿ライン」は
ほぼ全線で混んでいることもあり、さすがにロングシートは
“辛かろう”と考え、950円也を別途支払い、
グリーン車の2階席に乗り込みました。
(「なあ~んだ」という声が聞こえそうですね)
先に書いた奥羽本線の701系ではロングシートで耐えましたが
こちらには“逃げ場”があって本当に良かったです。

12月3日と言えば、関東地方では「強風」が吹き荒れ
各地で列車が止まったりしていました。
この『3660E』も、小田原は定時だったのですが
国府津を出て直ぐにノロノロ運転となり
更に強風の影響で各路線が遅れていることもあって
遅れはドンドン広がり、高崎駅にはそれでも予想より早く
30分弱の遅れで到着しました。
●途中の「上尾」で、本来はこの電車の後続で
出会うことの無い929M(前橋行き)を追い抜くなど
普段は体験できないこともありましたが、
利用客の皆様ご苦労様でした。

もう一つだけ!グリーン車の話しですが
大船~大宮間は結構乗客が多く、しかも都心部で降りずに
直通で乗る人が意外に多い印象でした。発見です。
※グリーン車なら「大船」~「大宮」間を
もう一度乗っても良いかなと思っています。
今回は大都会の風景を堪能しようにも既に日没後だったので…。

2010年12月22日 9時04分

関東平野大縦断の旅(乗車券)。

平成22年12月3日(金)、「東北新幹線」開業の前日に
「新宿湘南ライン」3660E小田原発高崎行き『特別快速』で
関東平野を縦断しました。

奥羽本線の大鰐温泉~秋田間の136.6キロより
実ははるかに長い距離を乗り通しています。

写真の乗車券は、『新宿湘南ライン』に乗ることを
ちゃんと申告した上で購入していますが
経由は最短距離の「東海道・相模・横浜・八高・高崎線」経由と
なっており、2,940円也でした。(163.8キロ)

さて、では実際には何キロを乗ったのでしょう?
JTB時刻表掲載の「東海道本線」(小田原~大船)
「湘南新宿ライン」(大船~大宮)、
「高崎線」(大宮~高崎)の距離を合算すると188.9キロ。
一方、ネットで調べると
1)「えきから時刻表」⇒198.5キロ。
2)「乗換案内」⇒189.8キロ。
3)「るるぶ.com」⇒192.7キロ
さあ、どれが正解なんでしょうか?
この違いが出る理由は何となく分かってはいるのですが…。

ところで乗車券代は180キロが境目になっており
乗車した実キロで計算した場合は何れにしろ3,260円。
まあ、あまり得した気分にはなりませんでしたが…。
それよりもこちらの乗車券のルートに乗ってみたくなりました。

2010年12月21日 18時09分

一方、名古屋の地下鉄は統一の兆し?

9月4日のこのブログで、名古屋市営地下鉄の乗務員さんの
いる場所の正式名称は『運転室』、それとも『乗務員室』という
問題提議をさせていただきました。
今回、その名称が統一される兆しが出てきましたので
ここにご報告します。
※仰々しい物言いですが「言葉遊び」と言う事でお許し下さい。

なおこのブログをお読みいただいている皆様に
予めお伝えしておきますが
この件について交通局の発表は無く、
又交通局への取材・確認もしておりません。
所詮、私見ということでお許し下さい。
(誰も気にしていない???)

左側の写真は、9月4日にもUPしたこれまでの車両で、
右側の写真は桜通線用の「6050形」です。
実は「6050形」では『乗務員室』の文字はあっても
『運転室』の文字はどこにもありません。

これまでの車両で『乗務員室』の標示は
ご覧の様にドアのガラス部分にあり
そのドア上部に『運転室』のプレートがありました。
一方、6050形では、“ドアガラス”部分には何の標示も無く
ドアの上のプレート2種が『乗務員室』の名称で
統一されていました。
多分、今後新しく導入される車両から
『乗務員室』で統一され、いつか『運転室』は
無くなるのであろうと推察されます。

東山線で増備が進んでいるN1000形は
どうなっているのだろう?

2010年12月21日 9時07分

秋田駅の「無効」印。

大鰐温泉から2時間超の難行苦行を終え
秋田駅で乗車券を記念にもらいました。

青森県とは違って昔懐かしい「無効」印。
※「昔懐かしい」と思わず書いてしまいましたが、
 他のJR各社の「無効」印は相変わらずこれのはずなので
 この言葉は取り消します。
一方、大鰐温泉の改札印はこれまで「新青森」等で
見たものと同じ。

今月9日に「乗車記念」という名の「無効」印の話しを
UPしましたが、ここに来てやや“ガッカリ”しつつも
一方で「ホッ」としました。
『やっぱりこれでなくっちゃ「切符を収集」した気分が
出ない』というのが本音ですね。

ひょっとして「青森県」はJR東日本内の担当分けでは
「盛岡支社」で、「秋田県」は「秋田支社」という
影響からこの違いがあるのでしょうか。
つまり盛岡支社管内と秋田支社管内で
改札印・無効印(乗車記念印)が異なるのではと言うのが
私の推理です。

誰か知っている人はいませんか?

ということで「東北新幹線全線開業記念」東北ツアー終了です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!