名古屋市営地下鉄鶴舞線、桜通線の改札外の連絡通路を久しぶり(何年ぶりだろう?)に通りました。
たまたま丸の内駅に近いところに事務所を構える制作会社さんとの打合せがあり、行きは桜通線の丸の内駅ホームから改札内の通路を通って鶴舞線のホームに向かい、そこで改札を出ました。で、帰りはお約束の鶴舞線~桜通線の渡り線直上にあって緩いカーブを描く改札外の通路を通った次第。
丁度中間地点辺り。
鶴舞線と桜通線の改札口の矢印← →での案内は分かりますが、目的地をこれほど一杯書いてあるのは知りませんでした。もっとも以前からあって、私が気付かなかっただけかも知れません。
ところで何がきっかけで私はこのブログに書くことにしたのでしょう?
まずは鶴舞線①番線の行き先の「豊田」。駅名ならば本来「豊田市」なのですが、敢えてそのこだわりより利用者の分かり易さを優先させたということでしょうか?まああまり変わらないような気がするのは私だけ…。
そして②番線の行き先にある名鉄犬山線の「柏森(かしわもり)」。岩倉とか江南、犬山なら何となく納得なのですが…。そこで丸の内駅の時刻表をチェック。平日は結構柏森行きがあるんですね。もっとも土休日の柏森行きは1本だけ。謎は深まるばかり。
ペルー鉄旅。おまけ編。
4月29日(日)は朝ホテルを出てから家の玄関に着くまで、37時間(トランジットの時間を含む)の旅。
●朝9時(日本時間で4月29日23時)ホテルロビー集合
●アレキパ(ペルー)~リマ(ぺルー)~メキシコシティ(メキシコ)~成田~中部/名古屋
●家に到着/5月1日昼過ぎ
※日本時間で4月29日…1時間
4月30日…24時間
5月1日…12時間
現地の人ではなく、日本人だけが「アレキパ富士」(もしくは「ペルー富士」)と呼んでいるミスティ山、標高5822m。
アレキパの標高は2335mなので、この地からでは3487mの高さが見えていることになります。海抜0mから日本の富士山を眺めるのとほぼ同じ感じ。旅の〆にこんな風景に出会えるとは思ってもみませんでした。
話は日本に飛んで成田空港から中部国際空港へのフライト。天候が良かったので、私には珍しく窓側の席を空港のカウンターでリクエストして空中散歩。夢の国を上から覗くのはご法度?
羽田空港の飛行機の多さにビックリ。
予想通りの富士山。アレキパ富士を見たので、日本の富士山も見たかった。これぞニッポン!
11:36、中部国際空港らしさ全開の光景を見ながら着陸。
13日間の旅の報告はこれで終わりです。
長期間に渡り、お付き合いいただきありがとうございました。
(余談)
私にとって“家路”でかかった最長時間は、1976年(昭和51年)の春休みに出掛けた沖縄の旅。
3月29日、沖縄県の石垣島を出発し、30日に那覇港着。乗り継ぎの船便の都合で那覇市で2泊。4月1日に那覇港を出発し4月3日に大阪港着。そこから東海道本線の急行比叡2号で帰宅しています。当時学生だった私に飛行機という選択肢はなく、一方で時間だけはふんだんにありました。あの時君は若かった。
(追伸)
ところでペルーという国。私はこれまで仕事と観光を合わせ、35の国と地域に行ったことがありますが、「一番印象に残っている国はどこですか?」と聞かれたら、間違いなくここペルーをあげます。
そこには同行のツアー参加者の方々や添乗員さん、現地ガイドさんの印象も加わっているかもしれません。特に「呑み」にお付き合いいただいたこのツアー最高齢の方のおかげで地ビールを堪能出来たのは有り難かったです。多謝。
って、結局それですか。(笑)
標高が2000m台となりました。随分下がってきてはいますが、これでマチュピチュ遺跡と同じくらい。
終着のアレキパの街に入って来ました。
遮断機のある踏切。当たり前にありそうで、ペルーで意識したのは初めてかも。
15:30頃、アレキパ駅到着。貨車しかいない構内。
最後にアンデアン・エクスプローラー号のマネージャーさんからの挨拶を受けて、それから下車。
アレキパ駅のホームではアンデアン・エクスプローラー号の全スタッフによるお見送り。
感動のお別れ。
さようなら。いい旅でした。
アンデアン・エクスプローラー号の旅を終え、その後歴史地区が世界遺産となっているアレキパ(AREQUIPA)市内を観光。今回のツアーに参加し初めて知った町。でもペルーを旅するならば、ここもお勧めできる場所の一つです。
そしてホテルのレストランで旅の打ち上げ。アレキパの地ビールが旨い!
さて最後になりますが、今回の旅をすることになったきっかけです。
1)マチュピチュ遺跡にどうしても行ってみたい
2)イグアスの滝に足を延ばさず、ペルー一国で完結したい
3)チチカカ湖/浮島(ウロス島)に行ってみたい
こんなツアーを探していて、このアンデアン・エクスプローラー号の旅を見つけました。そしてその列車を選んだおかげでチチカカ湖だけではなく想像を超えたサンベイ洞窟に行くことも出来ました。
私は「鉄道の旅」が好きです。ここの所は「鉄道」に乗って、鉄道を「撮影」する旅に出かけることが多くなっていましたが、今回は久しぶりに「鉄道の旅」を堪能しました。さて皆さんはどんな旅に出掛けますか?
サンベイ洞窟で停車していた場所から数分の場所。錆(さび)の浮いた貨車たちに出会う。
やはりこの光景は寂しい。
11:24。風景に「色」が付き始めました。この場所の標高はまだ4000mくらいはあるはずなのですが、緑の草原を見るとなぜか少しホっとした気分。
11:35。101キロポスト。
眼下に駅が見え、貨車が並んでいます。篠ノ井線の姨捨駅から善光寺平を見下ろす気分。そしてその場所を目指し、ひたすら下ってゆく。
周りにさしたるものも無く、ここが何故にこうなっているかが不明。貨車は鉱石を運ぶタイプにも見え、ここでトラックから積み替えている?
右端に99キロポストが見えるのと、右側の山の斜面に左下(貨車の向こう側)から右上の向かう1本の線が見えます。これが線路のある場所で、2枚目のキロポストの背景と合わせ、どれほどの急勾配を走っているかが何となく分かってもらえるでしょうか?
豪華列車の旅であっても、こうして写真を撮影する初心(?)を忘れないのは大切なことです。
たまには当日ネタ。
1978(昭和53)年8月20日、名鉄瀬戸線は名古屋の都心、栄町駅まで乗り入れました。
それを記念し、今週月曜日(8月20日)から「瀬戸線栄町乗り入れ40周年・4000系デビュー10周年記念乗車券」が発売されています。
写真は「栄町乗り入れ40周年」面で、これを展開すると「4000系デビュー10周年」も出てきますが、それは買ってのお楽しみという事で…。
ところで限定1200セットなのですが、平日の販売開始という事もあってか、今朝出勤前に栄町で買った時はまだ在庫がありました。
合わせて始まった瀬戸線10駅にて硬券入場券を購入すると、栄町乗り入れ40周年を記念した各駅のオリジナルスタンプの押印。
こういうのに弱いんです。わたくし。
また栄町駅、尾張瀬戸駅で当日有効な硬券入場券を買うと1枚につき「記念スタンプ入場券・記念乗車券用台紙」が1枚プレゼントされます。
限定500セットで栄町駅と尾張瀬戸駅だけでの扱いですが、こちらも今朝の時点でまだありました。もっともこれが無くなるのは時間の問題と思われます。
話は変わって地下鉄桜通線久屋大通駅のホームにある立体ジオラマ。
桜通線の開業は1989(平成元)年9月10日で、瀬戸線の栄町乗り入れの開始は1978(昭和53)年8月20日。桜通線の工事が始まったのがいつかは忘れましたが、その当時、名鉄の工事の時に、既に桜通線との立体交差部の工事が行われたという噂がありました。あくまでも「噂」です。真偽は確かめていません。そんなことを思い出す瀬戸線栄町乗り入れ40周年。
(我が心の本音)
最初にツアーの行程表を見た時、「サンベイ洞窟」を検索したのですが出てこない。まして地図で「サンベイ洞窟」を探しても出てこない。どんなところに連れていかれるのだろうと疑心暗鬼。もっともアンデアン・エクスプローラー号の旅なので、見る(学ぶ、体験する)価値の無いところに行くことは無かろうと思っていた程度。
それが来て見てビックリ。よもや紀元前の遺跡どころか壁画を目の前に見るという、歴史好きにとっては「んーっ、堪らん」という事態となり、これはもうはっきり言って想像を絶する出来事でした。
見学時間を入れて往復で約40分。「はあはあ」(標高の高いところを歩く&興味深いものを見て興奮するさま)しながら列車に戻る。
一人ポツンとしている列車のクルー。おしぼりを持って皆さんの帰りを待っている。
列車のスタッフ。私が撮影しているのを知っていても自然体。
11時を少し回ったところで出発。
と思ったら何と列車は来た道を戻っていく。
謎かけではありませんが、その心は?
列車は結構な上り勾配の途中に停車していました。そのためいかに強力な機関車であっても16両の客車を引き出すことが困難であり、一旦比較的平らな場所まで編成を戻し、そこから改めて全力でダッシュ!ということだと私は思いました。
再出発時の機関車のエンジンの排気はなかなかでした。
「Pinturas Rupestres de Sumbay」 サンベイの洞窟絵画。私の参加したツアーの案内を除き、日本語の検索では出てきません。日本人の『観光客』がネットにアップした形跡がない世にも稀な地。
ペルーレイルのHPにはその概要が出ています。
紀元前6000~8000年前に描かれた壁画が残された洞窟。普段は厳重にガードされていますが、アンデアン・エクスプローラー号の乗客には、その入り口の鍵が開けられ、私たちはそれを間近で見ることが出来ました。(詳しい解説もあり)
洞窟壁画と言えば、世界史の授業など聞いた記憶のある「ラスコー洞窟(フランス)」「アルタミラ洞窟(スペイン)」が思い浮かびます。
例えて言えば「高松塚古墳」に入り、その装飾壁画を見ている気分。
あらかじめ歴史的遺産の壁画を見ます。とは聞いていましたが、よもやこれほどくっきりと残っているとは思っておらず、また当時、この辺りもしくは近隣のエリアにどんな動物がいたかがわかるのも興味深いものでした。
もっとも私が一番驚いていたのは、よくぞこの洞窟を発見したという事。先人(研究者たち)の情熱は素晴らしい。
触るのは勿論厳禁ですが、それでも至近距離での記念撮影は公認です。