2010年07月10日 18時03分

木曽森林鉄道 上松駅

木曽森林鉄道は、昭和49年9月26日(木)に乗りました。

25日に上松に入り、旅館で一泊。
※旅館は何と、相部屋。しかも相手は中年のご夫婦でした。
 その当時は、満室だとこのようなことが稀にありました。
 後から旅館に入った私は、ある種の気まずさはあるものの
 相部屋を快諾してくれたこの夫婦に
 ものすごく感謝しました。

朝、旅館を出て「上松運輸営林署」で許可をもらい
「みやま号」に乗り込みました。
森林鉄道への乗車は“無料”の代わりに「乗車証」が必要で、
何かしらの手続きをしました。(内容は覚えていませんが…)
当時、木曽森林鉄道は縮小に次ぐ縮小で
かつ一般の乗客(観光客)が乗れる唯一の王滝本線も
昭和49年10月には乗れなくなるということで
乗客の殆どは地元というより
観光客だったと覚えています。

午前8時40分、いよいよ木曽森林鉄道王滝本線
上松発本谷行き48.1キロの旅が始まります。

(このシリーズの参考文献)
1)ネコパブリッシング「木曽谷の森林鉄道」
  著者:西裕之
  ●今回の木曽森林鉄道の列車の各停車場における発着時間は
   全てこの本にある「王滝本線夏基本ダイヤ」を
   参照しています。
2)上松運輸営林署「森林鉄道を訪ねて」昭和38年刊
3)上松運輸営林署「管内概要 昭和46年度版」

2010年07月10日 9時04分

赤沢休養林 赤沢森林鉄道Ⅲ

復元された木曽森林鉄道(赤沢森林鉄道)は、
所々に、遊歩道から隔離され木曽森林鉄道の時代そのままの
雰囲気を今に伝える場所が結構あります。

この橋もその一つ。(と、私は思いました)
使われている機関車も、実際に木曽森林で
走っていた機関車のデザインそのままなので
その走る姿は、昭和の時代、「SAKAI」
新製登場時はかくあったであろうと彷彿させます。

ということで写真は、所詮自己満足ですが
この赤沢復活に合わせて作られたトロッコ客車を
入れないように狙ってみました。

ところで「乗り鉄」はどこまで「乗るか」かという
究極の命題があります。

私は、2本のレールがあれば(モノレールも含め)、
とりあえず乗ってみたいと思っていますが、
この赤沢を含め、そうは簡単に行けない場所に
あることが多くなかなかこなしきれません。
まあ、暇を見つけてボチボチといったところでしょうか。

2010年07月09日 18時35分

赤沢休養林 赤沢森林鉄道Ⅱ

赤沢森林鉄道は、森林鉄道記念館前から丸山渡の
片道を乗車し、丸山渡からの帰りは写真撮影をしながら
ゆったり森林浴散歩をしました。
(片道1.1キロだから歩くには程よい距離)

『夏休みだから』撮影できる場所は無いかと思いつつ
結局、この場所にしました。

シャッターチャンス的には若干、微妙ですが
所詮「乗り鉄」のついでということで
お許しください。

実は、そのその昔、木曽森林鉄道の現役時代に
この「赤沢」ではありませんが乗ったことがあり、
その時、本当に川べりを走っていた思い出があり
夏には、親子連れがこのように
川遊びをしていただろうというイメージでした。

復活とは言え、所詮「遊覧鉄道」と侮るなかれ、
乗って楽しく、撮影して楽しい赤沢です。

2010年07月09日 9時00分

赤沢自然休養林 木曽森林鉄道(赤沢森林鉄道)

長野県上松町にある「赤沢自然休養林」に
木曽森林鉄道が復元され、実際に乗ることが出来ます。
詳細は、皆さんの方が詳しいかと思いますが
私は、平成17年8月16日に
遅まきながら乗りました。
●森林鉄道記念館前発12:00 丸山渡行き

昭和62年に復活した「赤沢森林鉄道」、
平成8年には写真の機関車(北陸重機工業製)が
「SAKAI WORKS」の機関車を模して新製され、
更に昨年、同様の機関車が1台増備されているそうです。

何で今頃この話し?
そろそろ夏休みも近づいてきたので
家族連れで遊びながら「鉄」も堪能できる
お勧めスポットでも書こうかと思った次第です。

とは言うものの、私は8月の夏休みの真っ只中に
一人で車を走らせ、乗りに行ったのです。(悲し過ぎる…)
ところが、1人なんて私だけかと思いきや
そうではなかったというのが、さすが「鉄」魂!

2010年07月08日 18時45分

名鉄西枇杷島駅

名鉄ついでに、もう一つ。
名鉄の駅でも一際異彩を放つ
「西枇杷島駅」です。
名鉄というよりは、“大手私鉄”の駅の中でも異彩を放つと
言っても良いでしょう。

JRの高架とその先の名鉄犬山線との合流の問題から
昔からその姿が変わりません。(変えられない?)
8両編成の電車が雁行する鉄道の追い越し可能駅で、
4両編成までの電車しか追い越せないというのは
『平成の奇跡』といっても過言ではないかと
個人的には思っています。

このブログでも3月13日、14日に
この駅のことを書いていますが
通過する電車側から見て、
改めてこの駅の存在は凄い!!

2010年07月08日 9時05分

名鉄岐阜駅

長良川鉄道の帰りに、
何年かぶりに名鉄岐阜駅から名鉄に乗りました。

私にしてみれば「名鉄岐阜」といった
ここ5年あまりの駅名より
慣れ親しんだ「新岐阜」の方が身に染み付いています。

一方、名古屋から岐阜までの交通機関といえば
昭和の時代なら、当然名鉄でしたが
最近はすっかりJRになってしまった自分がいます。
どうしても所要時間の短さを選択してしまいますね。

で、名鉄岐阜駅を出て直ぐの所にある
このクロッシングを通るのもお久しぶり。
大手私鉄の大幹線の終点駅にあるまじき
このレイアウトが私は『好き』です。

但し、風景としてはJRがこのクロッシングの
下を通っていた時代の方が馴染みがありますが…。

今日は何の情報もありません。お許しください。

2010年07月07日 18時53分

長良川鉄道に乗ろう!

長良川鉄道越美南線は、「北濃」駅が終点です。

本来なら福井県の越美北線と結ばれ
文字通り「越(越前)」と「美(美濃)」を
結ぶ「越美線」になるはずでした。

美濃白鳥と九頭竜湖を結んでいたバスも今はありません。

歴史に「もしも」はありませんが、
もしも繋がっていたら越美線は今、
どうなっていたのでしょうか?

福井県側はともかく、岐阜県側の「美濃太田」は
如何にも地の利が悪すぎる。
また、長大路線になっているがゆえに
小回りが利かなくなっているであろうから
その分、今以上に経営が厳しくなっていたのではと
思わざるを得ません。
(例えば広島~島根の三江線・木次線の現状と近い?)

とりあえず、郡上踊りは長良川鉄道に乗っていきましょう!
この北濃駅の風景がいつまでも見られますように。

2010年07月07日 8時26分

長良川鉄道 ふるさとの鉄道館

長良川鉄道の郡上八幡駅に「ふるさとの鉄道館」があります。

今回、長良川鉄道に乗車し、
郡上八幡駅で下車するまで
その存在を私は知りませんでした。

入場無料で、展示されているのは
旧国鉄の時代からこの越美南線で使われてきた
様々な機器や駅名看板、写真等です。
数百点はあると思われました。

車両の実機があるわけでもなく
小さな地味な展示館ですが
タブレット関係や発売する乗車券を入れていた箱など
昔懐かしいものが一杯でした。

入ってすぐ左側には台秤(だいばかり)があり、
国鉄時代に「チッキ」で荷物を送る時に
重さを量ってもらったのを懐かしく思い出しました。
※チッキ…乗車券を持っていれば、その区間内で
 手荷物の駅留めとして『荷物』を送ることができた。
 私の使い方は、今のように宅配便が出来る前、
 旅行中に使わなくなった荷物や、帰省時の荷物を
 送った。
 通常は、各地から東海道線の熱田駅留め。
 但し、駅までと駅からの荷物の運搬に難渋した。

昭和世代にとっては懐かしい、
平成世代には珍しいものばかり。
「乗り鉄」も一度乗ったら“おしまい”に
しないほうが良さそうですね。新しい発見があります。

2010年07月06日 18時03分

長良川鉄道 車体に花が咲いています

長良川鉄道の車両には花が咲いています。

写真の「アジサイ」はナガラ303ですが
他の車両にも様々な花が咲いています。

「アジサイ」は美濃加茂市の花なので
多分、他の花も沿線の市町村(平成の大合併前)の
花と思われます。
(「Wikipedia」で各市町村の『花』を検索しました)

私は花について詳しくないので
迂闊なことは書けませんが、
例えば私が乗車したナガラ307の花は
「Wikipedia」に旧・白鳥町の花は
「エゾリンドウ」とあり、更にその花を検索したところ
ナガラ307の花は「エゾリンドウ」であることは
間違いなさそうでした。
多分、他の車両の花も同様と思われます。
※長良川鉄道に問い合わせれば済む話ではありますが…。

車体がえんじ色なので、本来なら合わないのかも知れませんが
意外とマッチしていました。
他の鉄道でこうした沿線市町村の「花」を描いた車両を
私は知りませんが、地元志向という意味で
素晴らしいアイデアと思いました。

2010年07月06日 9時03分

長良川鉄道 車体広告募集中

長良川鉄道では、車体広告を募集中です。

それは長良川鉄道のHPで知っていたのですが
その募集をラッピングした車両があったのには
少々驚きました。
ずばり「ラッピング広告募集中」の文字広告は
なんとも大胆な発想です。

現在、ラッピング車両は1両のみ(ナガラ306)で
地元の『八幡信用金庫』がスポンサーです。
但し、その広告の内容は
「私たちは長良川鉄道を応援します」で、
企業PRというよりは
『地元企業として長良川鉄道を支援』する側面の
意味合いが大きそうです。

但し、これに続くスポンサーは出ていないとのことで
ここにも沿線の商圏が小さく、大きな企業も少ない
長良川鉄道の苦境は見て取れます。

「ここまでやるか」と思うのか
「やれることは全てやっている」と思うのかは
それぞれの受け止め方ですが
私は素直に長良川鉄道を応援したいと思いました。

地元の普段使いが減っている状況の中で
観光客や私のような「鉄」が乗る程度で
経営が改善するとは殆ど考えられませんが
せめてローカル線収入の“足し”にはなりたいと思う
今日この頃です。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!