2010年04月27日 9時06分

井笠鉄道廃止時の笠岡駅時刻表です。
笠岡発は1日に19本。
考えてみればローカル私鉄では
なかなかの本数でした。
井笠鉄道はこの写真を撮影した4日後、
昭和46年3月31日に廃止されました。
ただ、井笠鉄道の線路跡は
既廃止区間の神辺~井原間、北川~矢掛間にプラス
全線廃止区間のうち井原~北川間を合わせて
平成11年1月11日(1並びの日)に開業した
井原鉄道の路盤として転用されています。
その井原鉄道には平成11年6月6日に
乗りました。
井笠鉄道廃止時の笠岡駅時刻表です。
笠岡発は1日に19本。
考えてみればローカル私鉄では
なかなかの本数でした。
井笠鉄道はこの写真を撮影した4日後、
昭和46年3月31日に廃止されました。
ただ、井笠鉄道の線路跡は
既廃止区間の神辺~井原間、北川~矢掛間にプラス
全線廃止区間のうち井原~北川間を合わせて
平成11年1月11日(1並びの日)に開業した
井原鉄道の路盤として転用されています。
その井原鉄道には平成11年6月6日に
乗りました。
シリグリジャンクションから
49キロ。
ニュージャルパイグリからなら
56キロのクルシャン(KURSEONG)に
到着です。14時22分でした。
ところで定刻はと言うと
13時07分着なので
1時間以上遅れています。
標高は約1500メートルで
列車に乗って最初の大きな町らしい町でした。
駅は行き止まり式で
ダージリン行きが発車する時は
一旦、本線までバックし
写真右側の線路を上っていくことになります。
余談ですが、この駅の到着時間
13時07分は、ダージリン鉄道のHPと
駅にある時刻表に掲示された時間ですが
インド国鉄のHPに掲載の到着時刻は
13時25分となっていました。
鉄道は「ダージリン」時間で
動いている。それがインドの醍醐味。
井笠鉄道の客車「ホハ10」。
ダブルルーフの屋根や
ちらと見えるピン・リンク式連結器が
郷愁を誘います。
※私には朝顔型連結器という言い方が
しっくりきますが。
今からおよそ40年前にあった風景ですが
これは、「40年も」前なのか
「ほんの40年」前なのか
少々考えてしまいました。
写真の「笠岡」という町は
天然記念物「生きる化石・カブトガニ」の
生息地として当時から知られており
井笠鉄道こそ「生きる化石」になってほしいと
真剣に思っていたことをこのブログを
書きながら思い出しました。
渋滞と列車が止まった理由が判明。
狭い道路で行き違おうとした
2台のトラックの荷台がピッタリ
くっついてしまい、びくともしなくなったのです。
しかも、写真で左側のトラックの荷台が
線路にはみ出し、列車が通り抜けることも
出来なくなっていました。
双方が、思いっきりアクセルをふかし
ハンドルを切ったりするも、
うまくいかず四苦八苦。
それでも強引に車を揺さぶり
最終的には離合に成功。
まあ、この程度なら
「驚くほどでもない」と思ってしまった自分は
すっかりインドに慣れてしまったようです。
それにつけても怪我人がなくて何よりでした。
こうして列車は更に遅れる…。
井笠鉄道のディーゼルカー「ホジ3」の運転席。
自動車のようなシフトレバーと
鉄道らしいブレーキレバーは
当時の「ど」のつく私鉄ローカル線の
ディーゼルカーでは
まれに見かけるものでした。
すでに当時の国鉄では
このタイプは全滅していたと
記憶しており、
他線での経験ですが
シフトアップしながら
スピードをあげる感覚は
まるでレールの上を走るバスのようでした。
※乗っている感覚はバスより
トラックに近いものがありましたが…。
これでレールから降りて走ることができれば
まるでDMVですね。
昭和46年3月27日、廃止を目前に控えた
井笠鉄道を訪ねました。
※井笠鉄道(岡山県)
JR西日本(当時は国鉄)・山陽本線「笠岡」駅と
井原鉄道(当時は未開業)の「井原」を結んでいた。
ゲージは762ミリのナローで非電化。
「鉄」ではない友人との
九州2人旅の帰りに
「倉敷にも行こう」ということになり、
であればということで無理をお願いし
大分から乗車した急行「日南3号」を福山で降り、
426Mに乗りつぎ
笠岡に着いたのが朝の6時42分でした。
本当は1区間でも乗りたかったのですが
笠岡駅滞在時間は25分。
非電化ナローでは石川県の「尾小屋鉄道」が
まだ生き残っていました。
信号所を出て直ぐの13時21分、
いきなり何もないところで停車。
道路も渋滞しています。
前方の道路で何かあった模様。
野次馬根性丸出しで
私は列車を降りて出来事を確認に。
但し、取材はできません。
なぜならビザ取得時に
インド入国は「観光目的」で
「取材活動をしない」という誓約書を
提出しているからです。
(マスコミ勤務ということで…)
実は、以前インドに行ったときに
日本でも一部報道された
大きな事故の余波に巻き込まれたのですが
家族が同行していたこともあり、
取材を遠慮したことがあります。
今回⇒大したことはありません。
期待を持たせてすいません。
先回⇒洒落にならない事態に直面しました。
ダージリン鉄道の勾配が分かりやすかったので
交換した「2D」の後ろ姿の
写真を選んでみました。
正に「滑り落ちていく」と言ったら
大袈裟でしょうか?
路線は、ニュージャルパイグリから
ダージリン手前の
最高地点・グームまで
延々と上り勾配が続きます。
数少ない平坦区間は
駅であったり、信号所だけともいえます。
言わずもがなですが、
「トイ・トレイン」として写真で
よく紹介される蒸気機関車が主役の時代は
さぞかし大変なことであったろうと
改めて思った次第です。
今朝も限定繋がりです。
東京メトロ副都心線開業時に
知り合いから頂いた物で
10000系のホッチキスです。
普通のホッチキスと並べてみました。
決して使いやすくはありません。(笑)
このホッチキスは東京メトロが
販売していたものですが
「限定」品ということで、
今は、同じ10000系ですが
違うタイプのものが売られています。
※このブログを書くために東京メトロの
HPを見てびっくりしました。
「限定」だったので同じモノは作らなかったと
いうことでしょうが、リアリティーは
こちらの方が上です。
といったところで、これは会社の机の上にあるため
微妙にひんしゅくを買っている気がします。
2Dも客車は3両。
お客さんはインド人の方が
ほとんどと見受けました。
何せ、スピードが遅いので
お客さんの顔が一人一人
確認できたほど。
日本でいう信号所ということでしょうが、
遠隔操作での管理はありえないので
ポイントの取り扱いを行う係員が
操作を行っていました。
列車に乗ってきたか
車でここまで来たかまでは
わかりませんが、
それにしても
こちら1Dが到着して、5分もたたないうちに
2Dが到着したのは驚きでした。