2018年06月18日 18時50分

マチュピチュ村で撮り鉄(1)インカレイル「Machu Picchu Train」。

今朝8時前、大阪府北部を震源にした地震はその揺れから阪神淡路大震災の時を思い起こしました。震度6弱となった茨木市には知人も住んでおり、状況を心配していましたが、その後被害としては食器が割れたり家財道具が動いたりしたけど無事との報告がありました。(ガスは止まっているとのこと)

私自身の経験では震度4が最大ですが、栃木県真岡市に出掛けていた際、ホテルのエレベーターに乗っている時に地震が発生し、一瞬停まったあと近い階まで動きドアが開くまで、それはほんの短い時間だったはずが、世界がスローモーションで動いているような気分で生きた心地がしませんでした。耐震基準を満たした建物で地震発生による非常時も安全とされているエレベーターであっても、頭では分かっていたつもりでも実際には心が追い付かないものですね。

さて平成30年(2018年)4月24日(火)。

ホテルでの朝食。

この日はマチュピチュを離れる日。外の川の流れは相変わらず速い。

この日はゆったりとしたスケジュールということもあり、少し外にでる。この風景も2日目ともなれば私にとっても日常となることを知る。

マチュピチュ駅と留置線に向かう列車、貨車が通る線の位置関係。もっともマチュピチュ駅を発着する全列車がここを通る訳でもなさそうです。詳細は不明。

添乗員さんが希望者をマチュピチュ村の観光に案内するというのでそれに参加。その矢先、9:02にインカレイルの(回送)列車が通過。因みに左側に写っているバスは「マチュピチュ遺跡」行きで、ここはそのバス乗り場。知っている人が見ればマチュピチュ村らしさが分かる1枚。

後ろ打ちを撮影するために少しだけ駆け足をしたら息が切れ、この日から始まる標高の高い地の旅に一抹の不安を感じていました。

ところでこの列車、ヘッドマークを頼りに時刻表を探したところ「The 360° Machu Picchu Train」という列車で、クスコのポロイ(POROY)発05 : 55 、 オリャンタイタンボ(OLLANTAYTAMBO)発07 : 22、マチュピチュ(MACHU PICCHU)着 08 : 48 と思われます。時間の計算は合っているはずです。

2018年06月17日 10時56分

マチュピチュ遺跡で撮り鉄(4)下山。

登る時は心の余裕もなく、また肉体的にも一杯一杯だったのですが、下りは周囲に目が行きます。

花の名前は分かりませんが、標高が2400mなので日本で言えば多分、高山植物の類でしょう。

自然の豊かさに触れて足取りが軽くなります。苦しかった呼吸も下りる時にあまり感じないのは、何故でしょう?標高に慣れ始めてきたのでしょうか?その時はそう思っていました。

癒される。

16:23、ふと気が付くと虹が出ていました。

思い出がまた一つ増える喜び。

夕食前にホテルの前でまったり。列車は来ませんでしたが、思いのほか人が歩いていることに気付き、ここが世界的な観光地であることを改めて感じました。

2018年06月16日 20時51分

マチュピチュ遺跡で撮り鉄(3)インカ道&太陽の門。

午後はマチュピチュ遺跡から約1時間半かけて絶景ポイント「太陽の門」(INTIPUNKU)へ向かいます。高地ゆえの息苦しさもあり、ガイドさんに自分のペースで歩きたいと願い出たところ、OKということで一人、マイペースで歩を進める。青息吐息で到着した太陽の門はとてもインターナショナルな場所で、私の記念写真はどこの国から来たのか分からない方が撮影してくれました。

「太陽の門」からの絶景がこれ。

手前左にあるのが石畳の道がインカ道。その向こうに段々畑。その更に奥、遺跡が見えます。

また画面右下の九十九折の道がマチュピチュ村からのバスが通う道。

この風景に見とれてしまい、私はこの場所に20分ほどいました。

太陽の門から見た留置線。走る列車はありませんでしたが大満足。

時間は前後しますは、最後にマチュピチュ遺跡から太陽の門までの登る途中で撮影した3本目の列車。カメラの時計で14:00ジャスト。

太陽の門からの帰途も列車の撮影が出来れば良いなとは思っていましたが、タイミングが合いませんでした。

2018年06月15日 20時49分

マチュピチュ遺跡で撮り鉄(2)撮りました。

マチュピチュ遺跡の写真を熱心に撮っている図、ではありません。

もう何年もの間、憧れ続けていたマチュピチュ。そしてやっと来ることが出来たマチュピチュ。そのマチュピチュで「ここまできて何をやっているのだろう」と心底思う出来事。きっかけは谷底からはるか上空にあるこの遺跡まで、ディーゼルエンジンの雄叫びとタイフォンの音が聞こえたこと。そしてその時、その音のする方向を見ると…。

何とマチュピチュ遺跡から、眼下に見える鉄道の写真が撮影できます。(驚)

今回の旅は個人ではなく、一般のツアーに参加しているため行動の自由はないに等しく、撮影できた写真は本当に偶然の産物です。

ダイヤは分からなくともエンジン音やタイフォンの音で、列車が来る予兆は十分に感じられ、ある程度の心の準備は出来ます。問題は谷底が見える場所にその時にいるかどうかです。

是非誰か、マチュピチュ遺跡を込みにした鉄道写真をモノにして欲しいと思っています。

なお昨日UPした写真はちゃんと遺跡を観光した証拠です。

で、まずは午前9時半頃撮影の一本目。突然の事ゆえピントを合わせるのに手間取り、列車は少しボケています。

13:36の2本目。

その列車は駅のような所に入っていきます。

そこでようやく飲み込めた事情は、マチュピチュ駅の構内が狭く待機出来る列車の本数が限られ、そのゆえ折り返しの留置や車内整備をマチュピチュ駅の先にあるこの場所で行っているのではないかという事。

この想像は帰国後にマチュピチュに詳しい方から情報が提供されて当たっていることが分かりました。

遺跡と線路との位置関係。遥か眼下にかろうじて線路が見えます。

2018年06月14日 10時29分

AKB48 53rd シングル世界選抜総選挙記念ドニチエコきっぷ。

マチュピチュ遺跡の話の途中ですが、やはり今日はこれ!

AKB48 53rd シングル世界選抜総選挙記念ドニチエコきっぷ、本日発売。

で、私も出勤の時に購入。朝の8時半では多分無いかもね?とか思いつつ窓口へ行ったところ無事手に入れることが出来ました。

発売枚数は駅によって数十枚から千枚単位と幅があるのですが、発売枚数の少ない駅の方が売切れが早かったようで、一方で名古屋駅などの方が残っていました。それでも流石にこのブログをUPした時点では売り切れているでしょう。

ところで…。このドニチエコきっぷは早速朝からフリーマーケットサイトやオークションサイトを賑わせています。購入にあたっては1人10枚の上限があるものの、使わない方が購入し、こうした形での提供にはやはり何だかなというのが私の感想。

このドニチエコきっぷでナゴヤドームに行きたい!けど今日は名古屋に行けない。残念。と言う方もいるかも知れませんが…。

2018年06月13日 19時46分

マチュピチュ遺跡で撮り鉄(1)絶景そして。

マチュピチュ村の風景を画像加工して遊んでみる。

ここに並んでいるのはマチュピチュ村からマチュピチュ遺跡に向かうバス。午前8時半過ぎにこのバスに乗り込みました。

そして到着したマチュピチュ遺跡。ここは生きているに来たいと思っていた場所の一つ。長年の夢が叶った瞬間です。

山の天気予報は当てにならないとは言われていましたが、確かにその通り。良い方に外れ、高山らしい風景に圧倒されます。

それにしても世界中から観光客が来ている。さてマチュピチュ遺跡の写真は私が紹介するまでもありませんのでこれ位にしておきます。そして…。

2018年06月12日 20時41分

マチュピチュ村で撮り鉄(2)荷降ろし。

マチュピチュ村への足が鉄道しかないということは…。当然、生活に必要なモノは全て鉄道で運ばれます。考えてみれば当たり前のこと。

鉄道が好きだから鉄道の写真を撮っている。単純にそうではなく、勿論それも否定はしませんが、そこに暮らす人たちの生活を知る楽しみが私にシャッターを押させている気もしている。

それにしても荷をぎっしり積んだ貨車から手作業で降ろすのを見たのはいつ以来だろう?

食料から日用品までありとあらゆるものがあるのだろう。

なかなか壮観です。

その貨車の停まっている場所から先にも線路が続いている。しかも使われている感じがする。

そしてこの数時間後に、実際に使われていることを知ることになります。

2018年06月11日 20時28分

マチュピチュ村で撮り鉄(1)貨物列車が到着。

平成30年(2018年)4月23日。標高2430mのマチュピチュ遺跡に向かう日。

ホテルの部屋の眼下の川はご覧の状況。

天気予報は雨。

ホテルを出た所に線路があり、その線を実際に列車が走っているのかどうかはこの時点では知らなかったものの、とりあえず線路に沿って歩くことに。

朝食後、集合時間までのお散歩タイムです。

貨車が止まっている。

しかも荷物を降ろしている様子。体が反応して少し足早になったら即座に息が切れ、標高2000mでも侮れないことを身をもって知る。歳かな?とも思っている。それにしてもマチュピチュまで来て何をやっているのだろう?やっぱり根っからの鉄ちゃんらしい。私は…。

2018年06月10日 15時05分

マチュピチュへの道(5)マチュピチュ駅に定時到着。

マチュピチュ駅到着は17:02。1時間25分の旅の始まり。乗車したのは4種類ある種別の内、「ビスタドーム」。914ミリのナローゲージにしてはゆったりした座席でティータイム。

ところで標高が下がってきたとはいえ、多分、軽い高山病の症状がある感じ。もっとも頭がフワフワする程度で、歩きさえしなければ何とか大丈夫でした。

途中の信号所(駅とは思えないので…)で交換。後で知ったのですが、オリャンタイタンボ駅~マチュピチュ駅間は、ペルーレイルとインカレイルの2社が運航しており、思ったよりというか勝手に思い込んでいた本数よりも多く、この時も途中で続行運転の2列車と行き違ったりしています。

渓谷美を楽しみつつ列車は標高を下げていく。

折角屋根に窓がついているのに雨模様。

ところで先に書いたバックパッカーのツワモノの経費節約話ですが、オリャンタイタンボからマチュピチュまで40キロ超の距離を線路に沿って歩く人もいるそうで、実際に女性の2人連れが歩いているのに遭遇し、「マジか!」と驚く。(その2人連れの写真はありません)

大きな荷物を背負って歩くことは、若い時の私でも出来ない。

マチュピチュ駅にほぼ定時で到着。何となく「遅れる」イメージを持っていたのでそれは撤回。そして反省。

マチュピチュ駅からの戻りも定時運行でした。

(余談)

ペルーでよく飲んでいたコカ茶。コカの葉を使ったハーブティーの1種だと思って下さい。これ実は、日本では飲めません。コカの葉はコカイン(麻酔薬、麻薬)の原料のため、ペルーではティーバッグも売られているものの日本には持込禁止です。高山病の症状を緩和するとも言われており、私は毎日愛飲。風味が良く、体のために我慢しつつ飲むということはありませんでした。

2018年06月09日 15時02分

マチュピチュへの道(4)増結作業。

駅に着いたのは14:50過ぎで、マチュピチュ駅行きの列車の出発は15:37。という事で暫く駅構内の散策。

そう言えばこの鐘が鳴らされた音を聞いていない。以前、列車の出発時に使っていたのかな?それとも私が気づかなかっただけ?

駅名標。クスコから67.3キロで、「Hidroelectrica」駅まで54.3キロ。「Hidroelectrica」は発電所という事になりますが、その駅をマチュピチュ駅から更に先に進んだところにあるのを探し当てました。

今現在、マチュピチュに向かうには道路がなく、鉄道が唯一の足と聞いています。しかしこの鉄道は決して安くはありません。

※地元の方向けに安い乗車券があるようですが詳細不明。

そのため以前、交通費を浮かせたいバックパッカーは、クスコからバスなどを乗り継いで「Hidroelectrica」駅まで行き、そこから10キロの道のりを線路に沿って歩いたそうです。

マチュピチュ駅~「Hidroelectrica」間に列車が走っているかは今回の私が『観光旅行』ゆえ、現地で聞くことはありませんでしたが、さてどうなのでしょうか?

そうこうしているうちに駅構内で動きが出始めました。出発準備のようです。で、奥の221号に注目。

何と転線してきました。

そして増結作業。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!