今回の旅で、クスコからマチュピチュに向かう列車の出発地となるオリャンタイタンボ駅まではバス移動。しばし車窓を楽しむ。
クスコ空港を出て暫くすると線路が見えてきました。3線区間となっており、これには驚き。クスコから東のプーノ方面には標準軌の1435ミリ。マチュピチュ方面には狭軌の914ミリというのは事前に調べて知っていたものの、まあ現地に行けば何かと発見があるものです。ただこの線がどこに向かうのかは不明。暫く使われていない感もあり、体が反応して写真を撮ったものの消化不良。
その線路際が市のような感じになっているのに出会いました。東南アジアでは見かける、と言っても、実際に見たことのあるのはミャンマーだけですがそれと似た印象を受けました。ところでこの後、似たような光景に何度も出会うとはこの時点では知りませんでした。
歩道?で様々な物を売る風景には旅情を感じます。
4月22日(日)も日の出を見る。
この日は、ペルーの首都/リマから世界遺産「マチュピチュ」遺跡のあるマチュピチュ村への移動日。その最終ランナーは鉄道ということもあり、軽い高揚感あり。
リマ空港発9:44のラタム航空LA2027便でまずはクスコ空港を目指します。それにしてもこの時間帯、クスコ空港行きは9:13発、9:43発、9:45発、9:50発とまるで通勤列車のごとく。
いざ搭乗。
定刻では11:16着。ほぼその時間での到着。
クスコの標高は3400m。富士山が3776mなので富士山頂にいるのと近い。私が実際に登った山である槍ヶ岳3180mよりは高く、鉄道ではスイス/ユングフラウ鉄道の終点ユングフラウヨッホ駅3454メートルより少し低い。その2回ともあまり高山病を意識しておらず、槍ヶ岳登山では高山病なのか、慣れない登山による疲労による息苦しさとの区別もついていなかった。※私に登山の趣味はありません。番組の企画で槍ヶ岳の山頂から生中継をすることとなり、プロデューサーとしてやむを得ず登りました。もっとも槍の穂先に着いた時は一瞬ですが、「登山も良いなあ」と思ったのは事実です。
クスコ空港。
まだ着いたばかりで体の変調はないものの、あくまでも慎重にゆっくりゆっくり歩いて行く。
高山病対策としては、
*ゆっくりと歩く。「いっぽいっぽ」というよりは「いっぽ いっぽ」と一歩と一歩の間に間があるような感じ。
*深い呼吸。それも息を吐ききってからゆっくり深く吸う。
*ゆったりとしたスケジュール。
*水分を取る。
*腹八分目。
確かこんな感じ。これはペルーでの現地ガイドさんのお話し。
「ナスカの地上絵」観光の航空会社/エアロディアナのここピスコ空港の責任者/カルロスさん。
驚きの日本語ペラペラ。それもそのはず2005年の愛知万博の時に、アンデス共同館(ボリビア、コロンビア、エクアドル、ペルー、ベネズエラ)で、ペルーの担当者として仕事をしていたそうです。
私も仕事で愛知万博には定期的に通っており、勿論アンデス共同館には足を運んでおり、そこで、もしくは管理棟ですれ違っていたかもという話で短い時間でしたが盛り上がりました。なおカルロスさんは「ナスカの地上絵」観光のプロモーションで今も毎年日本各地を回っているそうです。
この飛行機に搭乗。
乗る前にパイロットと記念写真。さすがのフレンドリーさで、求められるまま希望者全員とにこやかにカメラに収まっていました。楽しい思い出。
「ナスカの地上絵」は、飛行機からではなかなかその規模が分からないので、パンアメリカンハイウェイを込みにしてみました。ここで写っているのは「うずまき」(Spiral)。
まだまだ謎は解明されていないこの地上絵。
到着時の荷物受取場。私達もここを通って外に出たのですが、ターンテーブルはここしばらくは使われてはいない模様。
4月20日(金)はリマ市内観光。
旧リマ駅は写真だけ撮ってその前を素通り。勿論それ以外の場所も行っていますが、このブログの性格上割愛させていただきます。そうそう書き忘れていましたが、今回は旅行社のツアーに参加しており、しかも殆ど自由時間が無いという私にしては珍しいパターンです。もっとも私は旅の目的により個人旅行もしくはツアーを柔軟に選択しています。流石にもう若くないなのでペルーを個人で旅するには辛いと思うのと、今回は特に高山病も心配される高地の旅でもあり、添乗員同行という安心を選んだ次第です。
さて翌21日(土)は世界遺産「ナスカの地上絵」観光。
ホテルのロビーに朝5時に集合し、この風景はバスの中からの撮影。
「ナスカの地上絵」は小型飛行機に乗っての遊覧飛行で、その離陸地となるピスコ空港には午前8時40分過ぎの到着。
何となく勝手なイメージで恐縮ですが、遊覧飛行用の小型機の飛行場なので、とても小さな規模を思い描いていました。それが何と日本で言えば大きめの地方空港並みの施設。
と言っても定期便が各地へ飛んでいるとは思えず、何となく開店休業に近い感じ。かつてここを訪れた方の話では、ピスコ空港は本当に小さな空港だったそうなので、最近、新装がなったようです。
搭乗カウンターはこの時点で「ナスカの地上絵」観光専用。推測ですが、観光に力を入れるペルーなのでこれから世界各地とピスコを結ぶ航空路線の就航を想定しているのでしょう。そしてその一歩として空港を整備したのでしょう。
※後日調べたところ2016年に新ターミナルになったようで、リマ空港を補完するハブ機能を持つ空港とする構想だったようです。
※この6月中旬からラタム航空がクスコとの間に週2便飛ばすようで、これまでも短期間、定期便の就航があったようです。
※この飛行場はパイロットの訓練用で使われており、小型機の離発着はそれなりにあります。
平成30年(2018年)4月19日(木)。
この日から5月2日(水)まで休暇を取り、南米・ペルーに旅行しました。その第1の目的は「マチュピチュ遺跡」に行くこと。そして昨年から運行を始めた豪華列車「アンデアン・エクスプローラー号」への乗車です。ということで今日からの連載は「ペルーの車窓から」としてお読み頂ければ幸いです。
今回の旅の始まりはこのブログで5月18日から23日までUPした「東成田駅」「芝山鉄道」ですが、ペルーへの旅は成田空港を14:25に出発するアエロメヒコ航空AM57便、メキシコシティ行きへの搭乗からスタートです。
成田空港~メキシコシティ空港の間は、このアエロメヒコ航空と全日空が飛んでいますがその距離は7,003マイル(全日空のHPを参照)。何と日本からの最長距離便となります。航空ファンの方には垂涎の路線かも?ですね。
どこを飛んで来たかが分かるルートマップ。太陽の出ている場所が確認できるようになっているタイプは初めて。かな。メキシコシティ空港には現地時間の19日午後1時頃に到着。時差が14時間ですので、約12時間半の飛行でした。
メキシコシティ空港。ここでペルー・リマ空港行きに乗換え。ペルー旅行ではアメリカ経由が一般的なのですが、アメリカ経由では電子渡航認証システム「ESTA(エスタ)」での認証が必要となります。一方メキシコ経由はそうした手間は無いのですが、その代わり、トランジットであってもメキシコへの入国、メキシコからの出国手続きが必要で、また機内預けの荷物も、往路はそのままスルーだったのが、復路は一旦メキシコシティ空港で荷物を受け取り、再度預け直しました。
合わせてメキシコシティ空港では機内預けの荷物検査は私たちの目の届かないところで行うそうで、鍵がかけてあると、場合によりそれを壊して中を確認することもあるのだそうです。そのため何と無施錠で荷物を預けました。
※成田空港での搭乗受付時に、空港の係員から説明を受けました。
メキシコシティ空港を17:00発のAM018便は無事離陸。
沈む夕日を見ながらの飛行。
メキシコシティ空港からリマ空港までは6時間のフライト。メキシコシティとは時差の無い23:00に到着予定。
ところでこの日、ホテルの部屋に入ったのは翌20日の午前0時過ぎ。日本時間では20日の14時となり、19日の朝6時過ぎに名古屋の家を出てから、32時間の長丁場でした。流石にペルーは遠い。そして私の旅の移動時間では最長となりました。もっとも10日後の帰国時は更にその記録更新となるのですが…。
※除くシベリア鉄道での3泊4日。(イルクーツク~モスクワ間)
ある日突然と言ったら怒られるかもしれませんが、地下鉄名古屋駅の桜通線駅長室の隣に授乳室が出来ていました。
入口に「授乳室」との案内はありますが、通路天井の案内はありません。
名古屋市営地下鉄のホームページに「交通局では、安心して地下鉄をご利用いただけるよう、名古屋駅及び千種駅の2駅に授乳室を設置しました。」とありますが、ほぼ毎日通る場所にも関わらず先日まで気付いておらず、そもそも地下鉄のホームページにいつ出たのしょう。
もっとも地味な存在なので、随分前から使えるようになっていたのかも?
利用する際はインターホンで連絡するようになっていますが、駅長室に直接申し出ても大丈夫なようです。
台湾ですと台北のMRT(地下鉄)では、主要駅にはかなりの確率で授乳室があった記憶があり、昨日までこのブログで書いていた「台鉄」でもやはり主要駅で見かけており、小さな子連れの方には安心して外出できる強い味方だと思っていました。
名古屋の地下鉄の場合、各駅での設置スペースの確保が課題となりそうですが、これは数が増えていくことに期待したいですね。
余談:授乳室の話ではありませんが子連れ外出の件。
1991年にスウェーデンに行ったことがあるのですが、その時、街の様子で名古屋(というか日本)と大きな違いを感じたのがベビーカーで行き交う人の数。バスは当時でも既に低床車が多く、ベビーカーを畳むことなく普通に乗り込んでいましたし、デパート店内も大型ベビーカーをよく見かけました。当時の日本は小さは子供を連れて市街地に出掛けることが容易でなかっただけはなく、混雑する電車内では迷惑な存在とされることもありました。名古屋駅の授乳室を見るにつけ、今は子連れ外出が日常であり、言葉を変えれば優しくなる方向で変わりつつあると実感。