2018年01月29日 22時03分

おれんじ食堂(1)新八代へ移動。

1月6日(土)は肥薩おれんじ鉄道の「おれんじ食堂」に乗車。

その「おれんじ食堂」の新八代駅発は10:08。それに間に合うべく鹿児島中央駅9:05発のさくら546号に乗車。

鹿児島中央駅のベンチって木で出来ているんですね。初めて発見。もっとも初めてとは言い過ぎで多分、前に来た時に気付かなかっただけなのでしょうが、このベンチは心から優れモノだと思う。

鹿児島中央駅名物、桜島と新幹線の組み合わせ。

新八代駅到着9:49。昨年の10月8日(日)に「SL人吉」「かわせみ やませみ4号」に乗車し、この駅を通った時には年明け早々にまたここに来ることになろうとは夢にも思っていませんでした。

JR九州の815系電車がすっかり私に馴染んだ感あり。ところでこのデザインは結構好みです。

2018年01月28日 20時03分

鹿児島市電(2)2132号。

冬場の朝日は思いのほか日差しが低く、観覧車は明るくなっても道路はビルの陰で暗いまま。

都会のビル群を走る市電は、やはりいろいろな意味で撮影場所と撮影時間帯を選びますね。(反省)

もっともこうして撮ってる本人はそれにめげる訳でもなく楽しい時間を過ごしています。

鹿児島市内から見る桜島。とても海を挟んだ向こう側にあるとは思えません。これは旅の「記憶」写真。

電車を撮っていられるタイムリミットが8:45で、自己責任とは言え慌ただしい。もうあとせめて1時間早起きしていれば、、、。

 

明治維新から150年だそうです。明治時代に生まれ、昭和の時代に活躍した俳人中村草田男が詠んだ句に「降る雪や明治は遠くなりにけり」(昭和6年/1931年)がありますが、明治は今や遠くなったというより遥か彼方の過去過ぎて、遠い所ではありません。私にとっては、昨年の岐阜市のプロジェクト/織田信長公入城・岐阜命名450年と同レベルの歴史ロマンと言った感覚です。

2130形(2132)。鹿児島市電と言えばやはりこの塗装ですね。

同じ2132の平成23年(2011年)3月24日の姿。当時は広告ラッピングされていたのですね。個人的にはオリジナルの塗色が好みですが、広告がないとそれはそれで「収入」が心配になってしまう今日この頃。

2018年01月27日 19時58分

鹿児島市電(1)センターポールと軌道敷緑化。

1月6日(土)。朝一番は鹿児島市内散策。

鹿児島中央駅前で見つけた「かごりん」。

ようするにレンタル自転車ですが、移動しながらの市電の撮影にはピッタリだね!とか横目で見て思った次第。

この日は寒くてなかなか(体の)エンジンがかかりませんでしたが、それでも8時過ぎから始動。

1000形(1011)ユートラムが走るセンターポール&緑化された軌道。鹿児島ではもう「おっ!」と思わなくなるほど街に馴染んでいると思います。

実のなる木がある街並み。これは流石に珍しいと思いパチリ。向こう側を走っているのは先ほどの1011。

2018年01月26日 20時09分

続「かごっまふるさと屋台村」。

鉄道の絡まない食事の話題を2回続けるのは私には珍しいパターンですが、まあ鹿児島の地元ネタということで。

屋台と屋台の間になぜかお地蔵さん(?)。こうした出会いも楽しい屋台村。

この夜の〆は、昨日紹介したお店の人から勧められた「鶏飯(けいはん)」。ということで奄美料理のお店に入る。まずは黒糖焼酎の2連発。

鶏飯はだし茶漬けに近い感じで、さらさらっとお腹の中に。

女将さんの奄美大島話を聞きながら、ひと時を過ごすのもまた良し。奄美大島に行ってみたいと思ったのはどうやら私だけではなさそう。この歳になったからこそ、人情が旅の目的地になることを知る。

昨年行った高知市の屋台村はインバウンドで大混雑でしたが、ここは地元と恐らく私たちのような県外からの観光客での賑わい。

ところで今回の鹿児島市の宿はJR系のホテル。こんな絵が飾ってあるのもなかなかです。

部屋の中のメモには「JR」の文字があり、これって売り物になるのではとか思いつついつしか深い眠りにつきました。

2018年01月25日 20時53分

鹿児島市電と「かごっまふるさと屋台村」。

鹿児島の夜景と言えばアミュプラザ鹿児島の観覧車アミュランと市電の組合せ。多くの方が既に撮影されているので、今更でしょうが、私にとっては初の撮影。イルミネーションと市電のタイミングが思ったようには揃わず意外と苦戦。

この日の夕食は「かごっまふるさと屋台村」へ。ガイドブックにもしっかり出ていたのですがそれはそれとして、ホテルのロビーにあったフリーペーパーで見つけて出かけることにしました。前夜がホテルのイタリアンレストランのフルコースで、翌日の夕食は指宿温泉の旅館料理。その前に明日のランチは「おれんじ食堂」ですから、本格的な薩摩料理の店ではなく、軽く、気安く入れそうな感じの店を探していました。何より鹿児島中央駅隣接のホテルに宿泊でしたので、歩いて5分と言うのも決め手となりました。

午後7時半過ぎの屋台村はどこのお店も満席。寒いこともあり、屋台村を一周して屋内に座れる店を見つけて腰を落ち着ける。

「焼酎お見舞い申し上げます」のキャッチフレーズに惹かれ、まずはこれで乾杯。同行者は普段は芋焼酎を呑まないのですが何故かこの焼酎にはご機嫌。

やはりさつま揚げは必須。

寒かったから頼んだもつ鍋が、意外にもしつこくなくあっさりと完食。他にもきびなごや黒豚の餃子を食す。こうして鹿児島の夜は更けてゆく。

2018年01月24日 20時14分

鹿児島中央駅前のイルミネーション。

闇夜の錦江湾(鹿児島湾)は、殆ど何も見えず。昼間なら桜島も見える絶景路線の日豊本線をひた走り、鹿児島中央駅に18:30の定時着。

415系はいつまで活躍するのでしょうか?

乗ってきた787系きりしま15号とキハ200系。「なのはな色」は私にとって指宿枕崎線の象徴。

鹿児島中央駅を降りたらそこにはイルミネーションのお出迎え。このイベントはもう既に終わっているはずですが、思いがけない出会いには少し嬉しくなります。

薩摩切子をイメージしていると聞いたオブジェ。色が変わっていきます。

色の移ろいにしばし見とれるのも、時間と心に余裕があらばこそ。

2018年01月23日 20時33分

宮崎から鹿児島へ移動。

1月5日(金)、宮崎から鹿児島へ移動。

夕刻の宮崎駅。平成11年(1999年)2月12日に宮崎空港線に乗車し、それ以降、一度宮崎空港線に乗っているのですがその時は宮崎駅で下車していないので、まあざっと19年ぶりの宮崎駅と言えそうです。

宮崎発16:21。6015M特急「きりしま15号」鹿児島中央行き。

つばめのマークはJR九州の象徴と言ったら言い過ぎでしょうか?自由席でもゆったりと移動開始。「AROUND THE KYUSHU」。

久しぶりの787系。そう言えば網棚ではなく収納式の荷物棚。自分の荷物もここに収めていますが、何だか慣れない。

夜の帳(とばり)が下り、行き交う電車に旅情を感じる。まあ相手が昭和の415系ですから。

まもなく鹿児島。この特急には鹿児島中央まで乗るのですが、旅としては「鹿児島」の方が到着感があります。

「津波が予想される場合のお願い」。全座席のポケットに入っていました。海際を走る路線の787系には必ず置いてあるのでしょうか?東日本大震災から早7年。「忘れちゃわないように」と、私に津波への心の備えを思い起こさせてくれました。

2018年01月22日 20時45分

宮崎交通の廃線跡。

1月5日(金)。宮崎県の名所に青島の鬼の洗濯板があります。

道の駅フェニックスからの眺望。

話は飛んで、昭和48年(1973年)8月7日に私は国鉄日南線に乗りっています。まずは志布志から青島まで乗り、ここ鬼の洗濯板を観光。その後、再び青島から日南線の乗客となり、宮崎まで乗って日南線完乗。まだ乗りつぶしを始める前でまめに観光をしておりました。

その日南線が開通する前、この地には私鉄の宮崎交通線(宮崎交通鉄道部)がありました。日南線はその宮崎交通線の廃線跡を利用して作られましたが、鬼の洗濯板界隈では少し離れたところを通っています。

以前、ここ鬼の洗濯板を走る宮崎交通の列車の写真を見たことがありますが、この写真の上下にずーっと繋がっている堤防がその線路があった場所に近い印象です。

歴史にもしもはありませんが、それでも「もしも日南線がここを通っていたら…」などと思わずにはいられません。日南線は今、特急「海幸山幸」が走る観光路線ともなっています。その魅力がもっと大きくなっていたのではないでしょうか?もっともこの地形では、ここに鉄道を通さなかったのも理解できます。

ところで以上のことは今回の旅の同行者には伝えてありません。歴史ロマンも私が鉄道がらみで語るとなると、一気に説得力がなくなり、かつ廃線跡などは一般の方には興味の範囲外。そこで美しい風景写真を撮るふりをしつつこの地を楽しんでいました。

絶景の中にある鉄道史。どこかに出かける時、目的地に何か鉄道に関するものは無いかと探すのも楽しい時間です。

2018年01月21日 21時10分

2018年の最初の鉄活。宮崎へ。

今年の最初の鉄活は…。

まあ鉄活が目的ではなく、私にとって例外中の例外の大人の事情による旅です。旅先は宮崎・鹿児島。1月4日(木)から3泊4日ののんびり旅。たまには良いですね。もっとも何故か今回、肥薩おれんじ鉄道の「おれんじ食堂」への乗車が認められ、それはもうありがたやありがたや。だけで終わらないというか、まあそれは後日にUPします。

中部国際空港から宮崎へはプロペラ機。1月4日(木)10:40発なのでさして早起きもせず、こんなにゆったりしていいのか?と自問自答したくなるほど鉄活とは違う行動パターン。

1月4日(木)の唯一の鉄活。と言っても電車の走っていない中部国際空港連絡橋の撮影。

1時間ほど飛んで、宮崎の街並みが見えてきました。

宮崎と言えば…、仕事ではドラゴンズのキャンプ取材で何度か来ています。と書いても、もうそんなことを知っている人は中京テレビの社内でも超少数派。そのキャンプ地、串間市は宮崎県の南部にあり、しかも串間市で宿が確保できず、お隣の鹿児島県の志布志町(現在は志布志市)から通っていました。

当時のドラゴンズの選手で思い出すのがケン・モッカ選手。打者としては素晴らしかったが守備が不安定で、それだけにキャンプでは守備練習を繰り返していた姿が今も私の記憶に残っています。とにもかくにも真面目な方でした。

2018年01月20日 21時22分

2017年冬のおでんしゃ(3)

18:25。赤提灯のおでんしゃに乗り込みます。

さあ行くぞ!って、どこへ?運動公園前へ。

最初からおでんですか?はい、そうです。私はまずは熱々おでんを食べるのが楽しみです。

そしておつまみ弁当は、おでんを堪能した後でゆっくり駅前に戻る前までに食べるのが俺流。

豊橋名産ヤマサちくわ特製おでんが美味しいから毎年来る人もきっといるはず。

運動公園前停車中のおでんしゃ。今回、日曜日の夜便に初めて乗りましたが、手前の道路の交通量が思ったより少なく、あっという間にこの写真が撮影できました。

最後になりましたが、今回のおでんしゃは私にとっては初めての貸切ではない個人受付枠での乗車。最初はちょっとした戸惑いがありましたが、最後は思った以上の和気あいあい。狭い車内だからこそ。かも?

 



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!