2017年12月19日 20時52分

スーパーカミオカンデ一般公開(1)ノーベル賞と旅館。

今日から暫くは鉄道ではなく旅の話です。ご容赦を。

平成29年(2017年)11月4日(土)の岐阜県飛騨市神岡町は雨模様。赤いポストがある街並み。さて今回ここ神岡の地を訪問した理由は、ここにある世界的な研究機関「スーパーカミオカンデ一」般公開がこの日に行われたことによります。抽選倍率は10倍。遠くは沖縄から見学に訪れた方もいらっしゃったと聞きました。

11月3日(金)に泊まった宿。
飛騨市神岡町の中心地(市街地)にはネットで予約できる宿がありません。そこで久しぶりに電話予約。
スーパーカミオカンデの見学に相応しくノーベル賞受賞の小柴昌俊先生の定宿だった「茂利(しげり)旅館」に宿泊。受付時に知ったのですが、何と最後の一部屋に滑り込みセーフ。ご主人いわくスーパーカミオカンデ公開時は予約が入るのが早いにも関わらず、何故か一人部屋が1つだけ残っていたそうです。

囲炉裏のある宿。

部屋にトイレ、洗面、お風呂はなく共同ではあるものの清潔かつ快適。かつては畳だった部屋を改造したという洋室のしつらえも良く、コンセントの数も十分。何より無線LAN完備。
参考までにこの宿のご主人は神岡の歴史については第一人者とは地元の方の弁。居心地の良い宿でした。

集合場所の飛騨市神岡公民館。朝8時が受付スタート時間。鉄道がらみ以外でのこの時間からの行動開始は私にとっては稀。それゆえここから徒歩5分の宿を予約した次第。

2017年12月18日 20時58分

奥飛騨名物/ガッタンゴー(12)湯たんぽで温まりながらトロッコの旅。

到着して直ぐにレールマウンテンバイクの方向転換。

私が乗ってきたトロッコも準備完了。

さてひざ掛けの中は湯たんぽ。この日(11月3日)今年最初の使用だったそうで、足音ぬくぬくで快適なトロッコの旅。でもやっぱりここまで来たからには漕ぎたかったというのもウソ偽りのない感想。

往路は最後尾で、復路は先頭で走るトロッコ。だからこその動画をお楽しみください。

16:20。終点の奥飛騨温泉口駅が近づいてきました。

外国からのお客さんもいて、乗車前の注意事項の説明では日本語だけではなく英語でも行われていました。この飛騨の地の、日本人でもまだまだ知らない人が多いレールマウンテンバイク・ガッタンゴー。「桜の季節もお勧めですよ」とは地元の方の言葉。確かに紅葉の美しさだけがここの魅力ではないでしょう。楽しいひと時を過ごしました。ただ楽しいだけに、その楽しさを誰とも分かち合えない一人での旅により寂しさを感じてしまいました。

2017年12月17日 14時56分

奥飛騨名物/ガッタンゴー(11)神岡鉱山前駅点景。

神岡鉱山前駅から高原川の対岸の神岡鉱山まではかつて専用線があり、ここ神岡鉱山前駅から硫酸を積んだ貨物列車が出発していました。

今は昔の貨物扱いがあった時代に思いを馳せつつ、現実を見ればそこには軌陸車が停車中。

駅には大黒天様がいます。

この先、猪谷方面に向かうことは出来ません。

片道約3キロ。15:51に奥飛騨温泉口駅を出発し、10分強の終わりに相応しい、年月をかけて自然に埋もれつつある2本のレール。もっとも殆どの観光客には無縁の風景。まして感傷にふけっている人はきっといなかった。

2017年12月16日 14時55分

奥飛騨名物/ガッタンゴー(10)神岡鉱山前駅。

飛騨神岡駅(国鉄時代は飛騨船津駅)を通過。歩かない廃線跡巡りも楽しい。

高架線上から神岡の街を見下ろす。

山間(やまあい)をガッタンゴー。

渡り線が見えればそこは神岡鉱山前駅(国鉄時代は神岡口駅)。レールマウンテンバイクの折り返し駅です。

1面1線のホーム。ここだけ見れば、今も現役の風情。

駅名標は、現役時代のまま。と書きつつ、レールマウンテンバイクが走っているので、今も現役です。観光客の方の記念写真スポットの一つ。

2017年12月15日 20時53分

奥飛騨名物/ガッタンゴー(9)絶景と暗さと。

ガッタンゴーに乗る段になって気付いた、昔の駅名標。まだ残っているのですね。

さていよいよ出発。ホームの高さから地上のレールに降りる線路はジェットコースター気分。

紅葉の始まった線路を行くトロッコ。先に結論を書きますが、もしもレールマウンテンバイクが予約で一杯でも、トロッコに空きがあったら乗ってみることをお勧めします。これホント!

車窓からの風景。絶景。

旧神岡大橋駅。国鉄神岡線時代にはなく、神岡鉄道神岡線になってから誕生した駅。トロッコの目線で見ると、ホームが異常に高く見える。こうして低い位置から見上げてみれば、全てが新鮮に映る。

第2神岡トンネルに突入。この暗さが堪らない。

2017年12月14日 20時51分

奥飛騨名物/ガッタンゴー(8)準備完了。

神岡鉄道神岡線は、昭和59年(1984年)に第3セクターとして開業し、平成18年(2006年)に廃止となりました。確かその翌年からレールマウンテンバイクが始まったと記憶しています。その時から気にはなっていたものの、名古屋からそれだけを目的に行くには少々不便で、暫くして電動アシスト付き車両になり、人気が急上昇して行く姿の報道に触れるにつき驚きを感じていました。

15時過ぎから15:30スタートの回の準備が始まりました。

車両の方向転換の方法は面白い。

地元の方の手作りと聞いていますが、こうした工夫をする方がいるのは、やはり地元の強み。

私が乗ったトロッコ。ひざ掛けが用意されていますが、自転車を漕がない人にとっては必需品であると実際に乗ってみての感想。

2017年12月13日 20時50分

奥飛騨名物/ガッタンゴー(7)「おくひだ1号」。

駅構内。

今年、実際に走れるように整備され復活を遂げた「おくひだ1号」(KM100形)。この復活を含め、廃線跡を観光資源として地元活性化に繋げる取り組みを実際にこの目で見てみたいと思っていたのはその通りで、その想いがこの日(11月3日)、やっと実現しました。「ガッタンゴー」がまさしく軌道に乗り、「おくひだ1号」のこの姿を見られる日が来るとは感無量。

そしてその横には神岡鉱山で使われていた車両の展示。

私の知人で廃バスの「赤錆」好きという方がいまして、その影響かどうか、ジャンルは異なるものの私もこうした引退車両を見るのは好きです。

駅前の機関車のみならずこのシンプルさが堪らない。

貨車のさび具合がまた良い。もっともそれは忙しく働いていた輝かしい現役時代があらばこそ。

2017年12月12日 20時49分

奥飛騨名物/ガッタンゴー(6)囲炉裏と瓶飲料の自動販売機。

駅舎内は展示スペース。

日本鉄道表彰選考委員会「「蘇ったレール」特別賞の楯が誇らしげに展示されています。

今や注目度満点のこのガッタンゴー。シーズン中は予約が取りづらい状況となっており、今回かく言う私も、自転車を漕いで行くいわゆるレールマウンテンバイクは乗れずじまいで、スタッフがオートバイで後押しする木製トロッコに何とか乗ることができました。

囲炉裏(いろり)のある飛騨らしい室内。

自在鉤(じざいかぎ)の上にある天棚(あまだな)には何故かアメリカの蒸気機関車の模型がある。

今や懐かしい瓶(びん)に入った飲料の自動販売機。思わず写真を撮ってしまいましたが、子供たちどころかその親の年齢であって、ここで初めて見た人も多いと思う。昭和の時代の演出かな?

2017年12月11日 20時47分

奥飛騨名物/ガッタンゴー(5)旧奥飛騨温泉口駅に到着。

名古屋から飛騨古川までのルートは幾つかの選択肢があります。どれを選ぶかは人それぞれですが、どんなルートがあるのかな?とか考える時が一番の楽しみかもしれませんね。

話をもう少し深掘りするなら、岐阜県飛騨市神岡町まで公共交通で行くルートは、今回の私は、飛騨古川から路線バスに乗っていますが、他にも猪谷まで高山本線で抜けて、そこから路線バスに乗る選択もあります。そうすれば旧国鉄神岡線/神岡鉄道神岡線気分を味わえるはずです。

古川駅前13:15発の濃飛バス神岡営業所行きのバスは、よもやの観光バスタイプ。てっきり普通の路線バス車両が来るものと思い込んでいたので。これが神岡行きとは目の前で行き先を確認するまで思ってもみませんでした。もっとも翌日の神岡から飛騨古川への戻りのバスはごく一般的な路線バスタイプでした。

参考までに飛騨古川~神岡間のバスは20キロ超の距離を45分乗って驚きの300円。JRの幹線並み。

 

岐阜県飛騨市神岡町。私が以前数度取材で来た時は岐阜県吉城郡(よしきぐん)神岡町。鉱山の街として栄えたことで知られています。今も往時を忍ばせる風情ある家並みが印象的です。

街の真ん中を流れる高原川。この写真だけ見れば開けた感じですが、高原川に沿って走っていた旧神岡線は、よくぞここに鉄道を敷いたものだと感心するほどの急峻な山間を走っていました。

さて15:30からの「レールマウンテンバイク ガッタンゴー!!」(Rail-MTB Gattan Go!!)を予約していたので少し早めの14:45頃に旧奥飛騨温泉口駅に到着。駅名の奥飛騨温泉口は神岡鉄道時代の名前で、それ以前の国鉄神岡線時代は神岡駅でした。

私が現役時代のこの駅に最初で最後に降り立ったのはその「神岡駅」で、昭和53年(1978年)3月2日、猪谷発5:47の621Dは6:16に神岡駅に到着。

高山本線の夜行列車からの乗り継ぎで、奥飛騨のスキー場に遊びに行くための下車で、ここまで知人に迎えに来てもらいました。

思い出話を終えて、駅前には「神岡トロッ庫」と称して、かつて神岡鉱山で使われていた電気機関車と人車、それと何故か立山砂防(通称。正式には国土交通省立山砂防工事専用軌道)のディーゼル機関車が展示されています。

例によって私の好みはこのパンタグラフ。

こういう運転台に座って運転してみたい。

2017年12月10日 14時44分

奥飛騨名物/ガッタンゴー(4)「君の名は。」と「笹すし」。

11月3日の昼食。JR東海の在来線では車内販売がありません。そのため、往路では1715C(美濃太田発下呂行き)で11:18に下呂駅到着後、乗継の25D「特急ひだ5号」が出発する11:33までの15分間が昼食を調達するチャンス。

こう書くと大仰な感じですが、下呂駅では駅弁の販売はなく、駅近くにコンビニもありません。そこまでは承知の上でとにもかくにも駅外に出てみるも、周りには見事にお土産屋さんしかない。そこで“飯もの”は無いにしても何か食べるものはあるだろうと足を踏み入れたところ、「特急ひだでは車内販売なし」の売り文句で売っていたこの「笹すし」を購入できました。地元の名物ではあるもののお土産屋さんはさすがに承知しているのだ。

 

素朴な笹すし。もう少し身が大きいといいなあと毎度思う。

久々野を出て分水嶺である宮トンネルを抜け、飛騨一ノ宮駅を目指して下ってゆく。車窓にこの風景が見えると『飛騨』に来た実感が湧きます。勿論、それまでも『飛騨』を走ってきてはいるのですが…。一方、名古屋に帰る時は「さようなら、飛騨。」という気分になります。

駅舎が新しくなった高山を通り過ぎ、飛騨古川着は12:42。

まず目指すはこの跨線橋。

お立ち台には先客あり。そして私も含め、結構な入れ代わり立ち代わり。鉄道ではなく、車で来ている人も多いのでしょう。

映画「君の名は。」を見た時に不覚にも目頭を押さえたことを思い出しつつ…。というか映画を見た時に、どうしてこの角度の映像なのだろうと思っていたら、こんな橋が出来ていたとは平成29年の1月まで知りませんでした。

この貼り紙に納得。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!