※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。
昭和11年に発行された「名古屋市鳥瞰図」。当時、鳥瞰図=初三郎と謂われた鳥瞰図絵師/吉田初三郎氏の作品。
名古屋と言えば金のしゃちほこ。本当にこんな風景をスケッチしたかどうかはともかくデザイン的には素晴らしいと思う。
以前、平成26年7月26日から名古屋市博物館にて「NIPPONパノラマ大紀行~吉田初三郎のえがいた大正・昭和」という展示が行われ、かくいう私もそこで(実質上)初めて初三郎氏の鳥瞰図に出会い、その面白さにはまりました。その魅力の一つが大胆なデフォルメ。
右端に伊勢神宮を配し、その上には富士山。
また左正面でひと際存在感を出しているのが御岳。
そして名古屋の街を見下ろすが如くある名古屋城。
また名古屋駅は、この鳥瞰図が出版された翌年に開業の(三代目)名古屋駅が既に「新名古屋駅」として描かれています。
一方、笹島駅。当時は名古屋駅の貨物駅なのですが、東海道本線から直接入る線路と、その後の関西本線からスイッチバックで構内に入る線路の両方が描かれています。恐らくその当時の姿はかくあったであろうと推察できる貴重な資料であると思います。
前の画像と合わせての話ですが、1932年(昭和7年)に全線開通した中川運河が描かれています。建設当時は「東洋一の大運河」と呼ばれ、名古屋駅と笹島駅を結んだ海運の大動脈も今は昔。それでも中京テレビ本社南側のエリアを含め、その再生に向けての動きが始まっており、変わりゆく様は目が離せない状況となっています。
昭和の時代に入り、鉄道を利用した旅は結構一般的になっていたということでしょうか?
名古屋鉄道局が作った「車窓展望」という本。名古屋鉄道局管内の旅行案内で、もっとも表紙の絶景撮り鉄ポイントの場所は不明。
内容は東海道本線を中心に関西本線等の『車窓』が解説されています。
ただ『車窓』とはあるものの実際の中身は簡単な観光案内です。
さて名古屋エリアの地図。①番は何でしょう?
答えは大高駅から最寄りの「桶狭間古戦場」になります。
私の気持ち的には名古屋の①と言えばやはり熱田駅近くの熱田神宮なのですが、当時「桶狭間古戦場」はそれほど皆さんに知られた存在だったのでしょう。もっとも駅から約5キロですから、今思えば随分遠い印象です。まあ当時としては「最寄り」の感覚なのでしょう。
特急「つばめ」号の展望車。きっと憧れの「旅」の象徴だったのでしょう。
昭和10年の鉄道記念日(当時。今の「鉄道の日」)に名古屋で「鉄道展」が開催されたようで、その記念の絵葉書集。1937年(昭和12年)2月1日開業の三代目「名古屋駅」の模型の写真と1886年(明治19年)5月1日開業の初代名古屋駅が一枚に収められています。
一方こちらは1891年(明治24年)に初代名古屋駅が濃尾地震で倒壊後、再建された2代目名古屋駅。
C53の流線形。今も残っていたらどれだけ人気者だったであろう。と思っても仕方がない。
上がD50。下が流線形ではないC53。
D50は現役時代をかろうじて知っています。
6200型は「へーぇ」。
42000型汽動車。キハ07形と書いた方がまだ馴染みがあるでしょうか?同型機で同和鉱業片上鉄道で活躍した車両は「柵原ふれあい鉱山公園」で動態保存されており、今も見ることができます。
この写真が古ぼけているので「年季が入った」感じがしますが、この形式は昭和10年登場のバリバリの最新鋭。因みに前の写真のC53形流線形も改造直後の最新鋭機です。
珍しいと思ったのが除雪車。こちらは仙台鉄道局所属であることがボディーの「仙」から読み取れます。また当時の実際の除雪作業の写真は貴重な歴史の証人とも思っています。
掻寄せ排雪車。「マックレー車」の方が通りが良いかも。
キマロキ編成(機関車+マックレー車+ロータリー車+機関車)は名寄市に保存されており、今も往時の雪掻きに思いをはせることができます。所属の「札」は札幌で札幌鉄道局の所属であることが分かります。
ところで私が調べた限りですが、昭和10年に名古屋で大規模な鉄道車両展示の催事があったのかが見つかりません。本物の車両を名古屋駅もしくは貨物駅のどこかに並べ、この絵葉書集はその記念の発行と思いたいところですが、さて…。今そのようなイベントがあったら、どれだけの人が集まるかにつき考えただけでも恐ろしいことになりそうです。
「名古屋駅より主要駅に至る 賃金、里程、到着時間表」。
そのその昔、運賃は「賃金」と言っていたのですね。知りませんでした。
参考までに名古屋=東京間は234.6マイル。賃金は4円49銭。所要時間は9時間で隔世の感あり。豊橋と蒲郡の間に「御油」がありますが、これは今の愛知御津駅で、昭和23年に改称されています。一方の「御油」は名鉄の駅名になっています。
東海道53次の宿場町として栄えた「御油」を名乗るには、東海道本線はあまりに遠く、まあ当然の帰結と言えます。
名古屋駅発時間表。東海道本線の上りはほぼ東京行きで、その間に武豊や沼津、豊橋の名前が見られます。
一方、下りは下関、神戸といった有名どころが並ぶ半面、恐らくマイナーと思える「糸崎」は、昭和の鉄道ファンならともかく、今やほとんどの人には馴染みが無いはず。
かつて糸崎(広島県三原市)には大きな機関区があり、昭和40年代、大型蒸気が走る路線として人気のあった呉線のC59,C62と言った機関車が集結していました。ということで大正時代も同様に糸崎が重要な拠点だったことがうかがい知れます。
もう一つ中央本線に注目!朝5:45に出る列車は何と飯田町行き。当時、すでに中央本線は東京まで開業していましたが、長距離列車は今の飯田橋駅に近い「飯田町」を起点にしていました。
この冊子はまさに歴史の生き証人。
鉄道公徳當(当)選モットー。当時、すでに「モットー」が外来語として定着していたのが面白い。一方「当選」の意味は今一つ分からない。公募でもしたのかな?
それはともかく「1降り2乗り3発車」とか「押すな、離るな、割込むな」とかもさることながら「お互いに座席を譲り合いましょう」など今の時代にも通じる『標語』が並んでおり90年以上前も今もあまり変わっていない…。
大正11年発行の「名古屋市内図」。
※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。
全体図も随分今の名古屋市に近づいてきました。
名古屋駅前の電停名は「笹島」。「名古屋駅前」ではありません。
大正11年の8月に名古屋電気鉄道から名古屋市営(名古屋市電気局)になっており、この地図が発行された4月5日時点ではまだ市営にはなっていないもののその表記はなく、地図中の「赤い実線」は『市内電車』との凡例が出ていました。
もう一つトピックなのは、金山にあった東海道本線と中央本線の連絡線。
1918年(大正7年)に開通し、1930年(昭和5年)に廃止された短命な路線ですが、もっともこの線の存在自体を私は最近まで知らず、こうした古い地図に接してから、名古屋の鉄道史を研究している知人に教えを請い、解説を受けて驚いた次第です。とか書いてみたものの「金山」駅も「金山橋」駅も無い時代なので「これはどこですか?」とかなりそうですね。
三角形の左側の線路の合流点が今の「金山」駅です。
明治43年発行の「名古屋市内図」。
※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。
この地図のトピックは幾つかありますが、まず目を引くのが画面左側の囲みにある名古屋港。1907年(明治40年)に開業しており、それもあってか、陸地が広くなっているのが分かります。
1896年(明治29年)に熱田駅も現在の場所に移っていますが、何と駅前まで運河が作られており、当時の水運の状況が分かります。
一方、名古屋駅は広小路通りの西端にありますが、東側の市街地に比べ、西側はまだ開発されていません。
我が笹島の地は「大字平野」の場所。
この地図の裏面には当時の写真もあり、これは2代目の名古屋駅。
名古屋駅から東に向かった広小路。
遥か彼方の時代ですので、懐かしいとかの感想は当然のごとくなく、ただ「へーっ」と思うばかり。
当時の名古屋から各地への距離の一覧もあり、そこでは鉄道よりも海路に目が点。大阪、神戸、横浜に並んで、「篠島」「常滑」「大野」とあるのが当時の海運を象徴していますが、そもそも「神社」ってどこよって調べたら、伊勢の川湊(かわみなと)で「神社(かみやしろ)」港を発見。地図はやっぱり面白い。
今日から名古屋(駅)に縁のある絵葉書も紹介します。
五千哩(5000マイル)=8046.72キロ。
日本の鉄道が5000マイルになったことを記念した式典は名古屋で開催されました。
東京ではなく、なぜ名古屋だったのかという理由は私には分かりませんが、楽しい絵葉書が後世に伝えられました。
この絵の模様みたく見えるものは当時、開通していた鉄道会社の社章とのこと。それぞれの色が、そもそも各社の“色”だったのでしょうか?などと興味は尽きません。
その真ん中にある絵は、明治5年、鉄道の歴史がいよいよ始まるとして新橋駅にて行われた記念式典のもので、「新橋横浜間鉄道開業式御臨幸之」とあるので、天皇陛下が列席された様子を描いています。
今も美しい色が残る1枚。距離標には5000Mと書かれていますが、この絵の場所がズバリ5000マイルということではなく富士山を背景にしたイメージ画でしょう。
ところでいつもならキロポストと書くところを、今回は哩(マイル)に敬意を表して距離標と書いてみました。
名古屋城と蒸気機関車。名古屋のシンボルはやはり名古屋城!
絵葉書の表面(宛名面)。スタンプにはしっかり英語表記もあり、明治時代の国際化の一端が垣間見えると言ったら言い過ぎでしょうか?
上の写真はセットなのですが、それとは別に手に入れた鉄道五千哩祝賀紀念の絵葉書。鉄道写真を撮り始めた時に、まさにこの角度で撮影していたと言いたくなるほど私にとって鉄道写真のお手本の様な一枚。というのが私の感想。