2017年03月15日 20時18分

豊橋おでんしゃ(3)運転体験中。

豊橋鉄道3502号。通称「ヤマサちくわ号」。

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もともと東京都電ですが、「豊橋」らしさが全開です。

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運転する距離はわずか70メートル。運転体験を行っている鉄道事業者の中でも群を抜く短さです。でもここの醍醐味はブレーキ。停止位置のすぐ先がエンドで、目の前に迫る電柱と土盛りは、タイミングが遅れるとまるで乗り上げるような錯覚を覚え、たった70メートルの運転にも関わらず、停止位置の手前で止まる人が続出です。

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1978年(昭和53年)のローレル賞受賞車。

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緊張感が全身を包みます。運転中の撮影をお願いしているにも関わらず、カメラ目線を投げる余裕は無く、ただひたすらにブレーキ弁を握り、前方を見るのみ。

長い距離を走る運転体験ですと、ブレーキの『圧』を見たりしているのですが、ここでそれをやれば指導運転士さんの手が出て強制ブレーキの刑が下りかねません。

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さて運転中の写真は、参加者の方で取り合うのがいつもの倣い。今回は鉄道アーティストの小倉沙耶(こくら さや)さんにお願いしました。

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多分、こんな風に私を撮っていたはず。

盗撮写真。ではなく、ちゃんと本人の了解を得てUPしています。車内は結構揺れるので、撮影する方もこんな風にマジな顔をしています。

2017年03月14日 20時17分

豊橋おでんしゃ(2)赤岩口車庫に乗り入れ。

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運転体験付きコースの“大”特典はお迎え電車に乗ったまま車庫まで行ける事。もう先に線路が無いところで停車。

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車庫に入るべく手動ポイントが切り替えられ、いよいよ本線を離れます。

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車庫に入ってきました。先頭でみても今回のように最後尾で見ても楽しいものは楽しい。

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下車して運転体験の順番待ちの間に車庫内の撮影。右側のオレンジ色の電車が今日の運転体験用電車。

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ついでに赤岩口の停留所でも撮影。やっぱり路面電車が好きです。

2017年03月13日 22時08分

豊橋おでんしゃ(1)今年も行ってきました。

2月28日に今年の運転を終了した豊橋鉄道の「おでんしゃ」。今年も2月18日(土)に行って参りました。

今年は10周年という記念すべき年で、最初の頃は「どうなるのだろうか?」と思ったのが正直な感想ですが、今や豊橋の冬の風物詩。何せ、予約開始日の開始時間に席が埋まることも珍しくない人気ぶり。今回も幹事さんがもの凄く頑張ってくれてやっとこさ乗ることが出来ました。実際のところ涙の飲んだ方も多いはず。

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今回も「運転体験」付きコースということで赤岩口の車庫まで行くお迎え電車あり。今回は801号(安全安心号)。

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ここは「貸切」電停で13:00に出発。おやっ?駅前のはずが…。

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東八町で今日乗車する「おでんしゃ」昼行便と行き違い。

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赤岩口停留所には、通常の電車よりゆっくり走って13:30頃の到着。去年というか昨年度は2015年12月12日に来ているのですが、誤差の範囲と言うことで1年ぶり。

2017年03月12日 16時01分

三重県紀和町(現熊野市)で出会った紀州鉱山トロッコの思い出。

2月27日の中京テレビ「キャッチ!」で熊野市の特集をしていました。その中で紀和町のトロッコ列車が今も活躍する様子が流れ、懐かしく思う気持ちから鉱山鉄道として現役時代だった頃の様子を皆さんに見て頂くことにしました。

実はこのブログでも2010年5月10日から紹介しているのですがその時は写真でした。

(ナローのカテゴリーの一番早い時期のタグで出てきます。)

その時の書き出しは、

*********************

昭和53年4月27日(木)
名古屋発23:58の急行紀州5号に乗り
翌28日(金)新宮着5:17。
三重交通バスに乗り換え
向かった先は三重県紀和町(現在は熊野市)の
石原産業紀州鉱山(銅鉱山)。

その年の(確か…)5月の閉山が決まっており、
それによって“地元の足”にもなっていた
鉱山鉄道も合わせて廃止されることになり
その取材に向かったのです。

趣味は鉄道でも
仕事で鉄道を取材した例は
あまり多くはありません。
その数少ない一つが
この紀和町の鉱山列車でした。

もともとは「鉱山のマチ」が
『閉山でどう変わる?』という
テーマでリサーチを始めたのですが、
そこに、住民も利用する鉱山鉄道があることを知り、
最終的に『閉山の影響は「産業」にとどまらない』
という企画で取材がGOとなりました。

*********************

今日は中京テレビ/映像ライブラリーの秘蔵映像です。(音はありません)

 

2017年03月11日 20時42分

11月30日。帰国。

2016_11_30 ヤンゴン _55

前日到着したヤンゴン国際空港の国内線ターミナル。到着時には久しぶりにアジアの喧騒に包まれ、「おっ!」と思ったものの、このターミナルは12月から新ターミナルの供用が始まり、今は使われていません。

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国際線ターミナルはクリスマス一色。仏教国でも今やクリスマスは一般的なのでしょうか。

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さらばヤンゴン。

帰りは中華航空。ヤンゴン~台北~名古屋というルートで帰るのが時間的に一番短かったからです。

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中華航空なので台湾のビール。

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「北海道」。でも実はこれ台湾製。

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台湾/桃園空港に着陸。私にとっては名古屋空港・中部国際空港以外では一番利用している空港です。さてその空港でのトランジットはわずか1時間強。

2016_11_30 ヤンゴン _95

「Short Connction」というタグを初めて見ました。

これでミャンマー鉄旅の報告は終了。昨年の12月29日から長い期間にわたりお付き合いいただきありがとうございました。

そして今、また行きたい!と思っています。

2017年03月10日 20時30分

11月30日。ヤンゴンの日の出。

2016_11_30 ヤンゴン _42

今回の鉄旅の最後は、言葉の壁が全く無い日系のホテルに宿泊。最上階に露天風の大浴場があり、大きな湯船でまったり。

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そのホテルの部屋から日の出を見る。

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地球上で日々行われている営みになぜこんなに感動できるのだろう。

2016_11_30 ヤンゴン _34

部屋の壁には窓を通した朝日が写っている。どうってことはないはずなのに…。

「ズームイン!!朝!」「ズームイン!!サタデー」という早朝番組を担当していた頃は、天気がよければほぼ毎日朝日を感じていた。

特に冬場の早朝は、気温は低いのに太陽の光を浴びるだけでなぜか体がポカポカしてきたのを思い出した。

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朝ごはんは塩サバセット。やっぱり日本の朝食だぜ。

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おまけ。このホテルにはこの地のホテルでは恐らく絶対に見かけないものあり。

2017年03月09日 20時41分

ネーピードー市内観光(7)ヤンゴンへの道。

2016_11_29 ネーピードー市内_302

先にも書いたように、私はネーピードー空港からミャンマー・ナショナル航空(Myanmar National Airlines)UB122便に搭乗。

17:50に出発して18:25着。

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首都空港は大きく美しい。しかし何もない。国際空港なのに…。ここからタイ経由で帰国することも出来たのですが、もしもそうしていたらミャンマー土産はきっと無かった。

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搭乗待合室から見る夕日。

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日没まで見ていた。私一人ではなく多くの人と共に。

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予定通りに搭乗。

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35分の機内、実質はもっと短いのですが、何とフルサービスで軽食付き。その代わり離陸直後から着陸寸前まで客室乗務員は猛烈に忙しい。

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ホテルにチェックイン。窓外を見れば、シュエダゴン・パゴダがライトアップされていた。翌日、帰国するかと思いながら見ていたらこの1週間の出来事が走馬灯のように心の中を巡り…てなところまではなりませんでしたが、でも人、鉄道、自然、街並み、、、様々な出会いを思い出していたのはその通りです。

2017年03月08日 20時35分

ネーピードー市内観光(6)片側10車線の道。

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ネーピードー市内では数少ない(と、説明されました)レストランの一つ。中華料理の店です。

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豚バラ。

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青菜炒め。

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サラダ。ドレッシングがミャンマー風で、美味。

アジアでは“水当たり”対策で「サラダ」は要注意!とされていますが、外国人の利用が多い店とのことでしたので、今回は美味しくいただきました。そして何事もなく帰国。

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最後の観光は片側10車線の道路。車の少なさがあり得ない。

2017年03月07日 20時30分

ネーピードー市内観光(5)「ゴッティ橋」

ミャンマーには世界で2番目に高い橋と言われる「ゴッティ橋」があります。今はもう少しランクを落としていそうですが、335メートルの高さだそうです。(高さは公的な資料が探せていないのであくまでも参考です)

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その巨大ジオラマがミャンマー国鉄の本社の前にあります。この橋はミャンマー国鉄の誇りということなのでしょう。

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ミャンマーの余部橋梁とも例えられ、確かにその雰囲気があります。以前は立入りが出来なかったとのことですが今は行くことが出来ます。ただハードルはかなり高いです。私としてはいつかは行ってみたいと思っているものの…。因みにこの橋に辿り着くまでに何度もスイッチバックして高度を稼いでいるそうで、それを聞いただけでワクワクします。今回の旅の同行者のお二人がここの実物を撮影しています。

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その近くに置いてあった古いタンクトラック。こういうのも結構好きです。昭和30年代に見かけたいすゞ風。

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おまけ。バイクタクシーです。ドライバーはこの日、私を案内した方のお仲間。

2017年03月06日 20時26分

ネーピードー市内観光(4)ネーピードー駅の展示車両。

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コンコースの蒸気機関車。「A01」と書かれた車体は美しい。イギリスからの初期の輸入車でしょうか?

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駅の庭の一角にあったオブジェ?

RBE.2540 北海道ちほく高原鉄道CR70-2であることは間違いないのですが、これがどこの場所を再現したジオラマかは分からない。。

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ネーピードー駅の駅前広場というにはあまりにも広すぎるのですが、駅前に静態保存されている機関車、YB534。保存状態は極めて良好で、運転台に上ることもできます。

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駅前にある食堂で休憩。駅に出入りする方たちの軽食&憩いの場。この若い女性は皆さんのアイドル的な感じ。

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13:22にネーピードー駅に到着するRBE.2576 松浦鉄道MR-110。単行で走るその姿は松浦鉄道時代そのまま。と言っても私は写真で知るのみ。

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日本的な言い方をすれば東京駅1番線ホーム。乗降客少なし。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!