11月4日(金)。
仕事を終えたその足で中部国際空港に向かい、札幌/新千歳空港行きの乗客となりました。
新千歳空港ではこの看板がお出迎え。祝!!北海道日本ハムファイターズ!
JR千歳駅前のホテルで一夜を明かした11月5日(土)は朝から雪景色。さぶい。
この後11月6日になるとこの雪の影響で新千歳空港は欠航が相次ぎ、相当に混乱したようですがそんなことはこの時点では当然分からない。
千歳駅。寒い寒いとは言いつつワンコのように駆けずり回りたくなるのは名古屋在住だからだろうか?
この日の目的地は釧路。その理由は後日にまた書きますが、根室線橋りょう流出・路盤流出に伴う臨時列車・代行バスに乗ることも今回のミッションの一つにしていました。
それは実際に臨時列車・代行バスがどう運行され、どれほどの利用客があるかが気になっていたからです。そもそもこの件での報道が少ないというのもあります。勿論、プライベートのいわゆる旅行であり取材ではありませんので旅人の視線でのリポートです。
前日に釧路までの乗車券・特急券を購入しており、何れにしても千歳までは移動が必要ですが、どうせならと思って、千歳発7:52の追分行きの乗客となりました。
で、乗ったのが日高本線向けの「優駿浪漫」仕様車。このタイミングでこの車両に出会っても、気持ち的にラッキーとは思えないのが残念…。
現在はJR貨物の路線となっている「名古屋港(なごやみなと)線」。私にとっては「東臨港線」の方が馴染みがあります。
その名古屋港線が開通したのは1911年(明治44年)。その途中から白鳥線が分岐する「八幡(やわた)信号所」が設けられたのは今から丁度100年前の1916年(大正5年)の12月8日でした。
ということで今年は八幡信号場の100周年。
こちらもご案内頂きました。1週間に3往復の列車が通るとき以外、普段は施錠されており絶対に足を踏む入れることができない場所です。
古めかしい八幡信号場の看板。開業当時のそのままのようです。
今も現役の通票閉塞式。タブレット式の閉塞と行った方が分かり易いですね。左側にあるタブレットキャリアがそそりますが、これで安全な通行が確保されているのです。
見学させて頂いたのは運行がない日で、これが実際に稼働するところは見ていません。
名古屋貨物ターミナル駅の応接室に飾られている古レール。(矢印がレールです)
キャンメル社の1885年(明治18年)製。この地方で最初に開業した武豊線で使われていたモノとのこと。これが何故特定できたかと言えば、官設鉄道時代はレール一本でも台帳に登録され、それが用途変更、例えばレールから建屋の柱等への転用といった場合もキチンと記録として残されたのだそうです。
思い返せば2014年(平成26年)1月に、中京テレビの新社屋工事現場で発掘された古レールを私は初めて見ました。
キャンメル社の名前がそこにあり、
製造年は1887年(明治20年)。
武豊線の開業は1886年(明治19年)で、名古屋貨物ターミナル駅にあるレールについては開業前の製造なので辻褄があいますが、中京テレビの工事現場から発掘されたレールは開業後の製造。
以前からこの地方で使われたレールの転用だったら…という淡いロマンを持っていたのですが…。
しかしここで松村駅長の解説。笹島駅の3~6番線で使われた古レールは、武豊線からの転用であり、中京テレビのある場所もそこに引っかかっているので、メーカー、製造時期からしても武豊線で使われていたのは間違いないとのこと。
歴史が1本に繋がった瞬間でした。
中京テレビの本社が名駅地区「ささしまライブ24」に移転し、その関係で「名古屋駅エリア」の歴史を紐解く番組やコーナー企画が幾つか放送されました。
そのご縁で当社の報道スタッフからJR貨物/名古屋貨物ターミナル駅の松村駅長とのご縁を頂き、旧笹島駅の歴史について伺ってきました。松村駅長は国鉄入社当時から貨物を中心に仕事をされている方で、名古屋界隈の鉄道の歴史についても明るく、今回は私にとって千載一遇のチャンスでした。
さてこの駅からは中京テレビの新社屋も見えるのですがデカい高層ビル群に埋もれてしまい、
目を凝らさないと良く分からない…。(矢印のところに注目)
さて名古屋貨物ターミナル駅の入り口には、明治時代が始まった1868年から100年を記念して建立された「明治百年記念」の石碑が、旧笹島駅構内の『ささじま公園』から移されています。注目したいのは「ささしま」ではなく「ささじま」とあること。
こちらは11月21日放送の「キャッチ!」でご出演いただいた笹島駅の最後の駅長/青木英明さんから提供を受けた当時の笹島公園の写真。矢印のところにその石碑が見えています。
同じく青木さん提供の構内図では駅長室にほど近いところにその笹島公園はありました。
話しは「ささじま」に戻り、参考までに「日本国有鉄道貨物局」昭和52年発行の『貨物キロ程表』を見ると
「笹島」=「ささじま」とあり、どうやら国鉄時代は「ささじま」が正式な呼び方だったようです。
もっとも北海道の旭川市では国鉄の駅名が「あさひがわ」だった時代があったり、国鉄~JRの駅名/米原(まいばら)という駅名に行政がその読み方を「まいはら」から「まいばら」に変えたりとこの手の話はままあります。
余談ですが、この件で調べていたら三菱東京UFJ銀行の笹島支店は「ささじましてん」で、ローマ字表記も「Sasajima Branch」でした。
※三菱東京UFJ銀行の公式HPを参照。今はこの支店は移転しています。
途中の阿木駅にはアケチ2号が置かれています。何となく寂しそう。
恵那駅には17:13着。
車止めに旅の終わりを感じています。何せ終点ですからね。
快速名古屋行きの発車は17:26。千種駅まではジャスト1時間の旅。その乗車前の17:19にL特急(ワイドビュー)しなの18号が通過。特急通過の一瞬の光芒にもなぜか侘しさを感じる。やっぱり秋かな?私に限ってそんな訳ないか。
さて10月22日の乗車券。明知線内はこの通行手形で乗車。
「野志(のし)」と「熨斗(のし)」をひっかけた縁起切符を大人買い。極楽極楽。
帰路の恵那から千種までの乗車券。自動券売機の発行ではない!!!さてこれがどこで発行されたかの第1ヒントは『東海会社線』と書いてある事。
そしてこの「社」の文字。実は明知鉄道の恵那駅の改札口で買ったもの。手数料が明知鉄道に入るはずで、最後の最後に明知鉄道に少し硬券ではなく貢献してきました。