きのこ列車の明智駅着は13:33。53分の乗車ですが、各駅に停まらない列車が各駅に停まる列車より時間がかかる観光列車です。
明智駅では折り返し13:59発の恵那行きの車両を残し、食堂車3両を切り離し。
連結・切り離しってなぜかワクワクするんですよね。
思わず写真を撮っているのは私だけではありません。
そして食堂車は離れゆく。
年に一度の明智詣で。10月22日には「焼いも」はまだ無かった。(すいません。分かる人だけの限定情報)
今は恵那市の一部となった旧串原村に行くバス。平成の市町村合併の前、本当に多くの市町村があった時代にあって、私は取材等で東海3県はかなり巡りました。しかし一度も行くことがなかった数少ない町村の一つが串原村。私の知人にその串原出身の方がいて、その魅力について話しを聞く機会が何度かあり、プライベートで行ってみたかったのですが、何故か縁がありませんでした。
因みに岐阜県では串原村、川上村(現中津川市)、高富町・伊自良村(現山県市)の4町村が行けなかったところです。
さて今回のきのこ列車のお話しはここまで。
明日からはきのこ列車を下車してからどこに行ったかのお話し。実はこれが私の明知鉄道の楽しみ方。というよりこれも同行(同好?)の方々との楽しみ方です。
12:29着の7010Dの急行が折り返し7009D急行「大正ロマン号」+きのこ列車となります。
この日は一般者両+食堂車(きのこ列車)3両の4両編成。
ホームはギリギリで3両分しかないため、この列車以外の本来の停車位置より更に手前まで車両を入れるため、駅員さんがその誘導をします。
さて4両目の食堂車にどうやって乗りましょうか?それは3両目のドアから乗って、車内を移動するのです。これもまた楽し。
きのこ三昧。
どれがOO茸という解説は、10種類もあるのでここでは割愛します。是非乗ってお楽しみ下さい。
焼き松茸。
+松茸御飯だけは押さえておきましょう。
きのこ列車は11月一杯までの運転ですが、10月22日時点で最終日までほぼ満席とのことで人気のほどが分かりますが、一度乗れば往復の乗車券代込み5000円の価値が分かってもらえると思います。
昨年同様、今回も鉄友さんと彼のお仲間たちの会に便乗させていただいたのですがただただ感謝です。
明知鉄道きのこ列車の恵那駅発は12:40。
1時間少々の時間があったのでそれまで中山道大井宿を探訪。
恵那には仕事も含め何度も来ているのですが、こうして歩いたのは初めて。宿場町の雰囲気がこれほど残っているとは知りませんでした。
中山道六十九次のうち、江戸から数えて46番目の宿場町。
中央本線恵那駅がかつて「大井」を名乗っており、昭和38年(1963年)に恵那駅に改称されたことを知る人も今は少ないでしょう。因みにと言うほどでもありませんが私が生まれて初めてこの地に来たのはまだ「大井駅」の時代です。
ここは大井宿の本陣跡。
秋ですねえ。柿がたわわに実っています。甘いか渋いかが気になるのは凡人の証。
中山道ひし屋資料館。大井村庄屋古村家の住宅を改修・復元し、公開しているとのこと。
中に一歩入れば“江戸時代”の佇まい。
たまには町歩きの良いですね。少し早く家を出てきて良かったと思いました。
10月22日は明知鉄道のきのこ列車に乗車。
旅のスタート地点は千種駅。
急ぐ旅ではないので、恵那までノンビリ行くことにして、千種駅を10:26発の3123M高蔵寺行きに乗車。
新守山駅は10:32着の10:35発。
終着の高蔵寺駅は10:49着だったのですが、その直前にこんな建物を発見。大垣戸公園という場所までは分かったのですが…。
高蔵寺からは5713M快速中津川行きに乗車。
211系と313系の併結列車。私はクロスシートの313系に乗車。
釜戸駅には11:17着。ここでL特急(ワイドビュー)しなの85号(臨時列車)に抜かれます。数分の停車。
私は時間にゆとりがあったので良いのですが、特急が走らなければ恵那着11:27で接続の明知鉄道明智行きは11:34発。余裕のある乗換えが出来るのですが、4分ほど到着時間が遅くなることから、乗り継げるかどうかを心配した乗客の方が車掌さんに相談し、とりあえず階段近くの場所まで移動していました。結果として乗換えは無事出来たように見受けました。
今回、今庄駅の中には入りませんでしたが、北陸トンネル開通前は、この駅で今回の旅のルートである旧北陸本線の峠超えの機関車の連結・開放を行っていたので構内は思ったより広いです。
給水タンクの遺構と思える施設が残っていました。
国鉄色のDD511193。
DD51の北陸本線での定期運用はないのですが、何故か留置中。多分レール運搬の臨時だと思うのですが、エンジンは切られており謎???
JR今庄駅は只今リニューアル工事中。完成するとどうなるのでしょう。
今庄の町を散策。こんな宿場町の街並みが残っているとは知りませんでした。
ツアーに参加したおかげで楽しめた福井県南越前町今庄(今庄宿)の「羽根曽(はねそ)踊り」。
こんな地元との触れ合いもありました。
さてこの日は10キロ弱を歩いて、何と2万歩を越えました。帰りのバスで足がつりそうになり日頃の運動不足が図らずも露呈。考えてみれば撮り鉄さん達は結構、これ位の距離を歩くと聞いています。同年代、そして目上の撮り鉄さんたちは歩くことだけでも尊敬に値すると改めて感じた1日でした。
(後日談)
何と同じ日に私の知人がここを歩いていたと知りビックリ。以前はマイナーだった廃線跡巡りも、今は鉄道趣味にあってメジャーになりつつある気がしています。
JR今庄駅の裏手にD51481が保存されています。
看板を見るとまるでD51を売っているようですが決してそんなことはありません。(こんなことを書くまでも無いですね。失礼!)
1940年(昭和15年)生まれで、概略を書いた看板によれば岡山機関区、浜田機関区に在籍し、D51が活躍した旧北陸本線に因み、1980年(昭和50年)にこの地で保存されることになったようです。
蒸気機関車の保存は各地で行われていますが、こうしてみる限りまずまずの状態に見えました。赤いナンバープイレートも良いですね。
今にも動き出しそう。
屋根のあるところでの保存ですので、形式写真のような感じでの撮影は出来ませんが、今回のツアーの参加者の方たちはこのD51を背景に皆さん、記念写真を撮影していました。
このD51481との出会いで、今回の旅の目的は全て達成です。