2018年10月28日 12時00分

中京テレビ杯大学女子ソフトボール

中京テレビ杯平成30年度秋季第72回東海地区大学女子ソフトボール大会。1983年に始まったこの大会は2015年から中京テレビ杯となりました。夏の全日本大学選手権(インカレ)が終わって新チームがスタートするこの大会。1部リーグは高浜市の碧海グランドでの1回戦総当たりで行われました。本来は3週間前に終わっていたはずなのですが台風21号・24号の影響で3週遅れの10月27日(日)最終日を迎えました。

全勝対決となった最終カード、中京大学対東海学園大学は両チームの先発投手が好投。1-1の同点から5回裏に東海学園大学がヒットの走者を犠牲バントと進塁打で三塁に進め、内野安打で決勝点を挙げ2-1で中京大学を振り切りました。東海学園大学は15回目の優勝。今年の全国ベスト8と東海勢最高の成績を挙げた実力を新チームでも見せました。

大会の最優秀選手は最終戦で無四球完投の山田玲菜投手は5戦全てで勝利投手。速球のキレが増し東監督も「山田は安定してきました」と信頼を寄せています。最優秀防御率投手賞は中京大学の丹羽萌投手。緩急を生かした投球で3試合に登板し自責点0でした。

優勝・東海学園大学 準優勝・中京大学 3位・星城大学 4位・日本福祉大学 5位・至学館大学 6位・岐阜聖徳大学という結果(1部リーグ)でした。

女子のインカレは来年から2023年まで愛知県安城市での開催が決定しています。春の中京テレビ杯はその予選を兼ねた大会となります。

2018年10月23日 16時00分

45年ぶりのサイン

10月13日(土)、ナゴヤドームで行われた中日ドラゴンズのシーズン最終戦は今季限りで選手生活を終える岩瀬仁紀投手・荒木雅博選手のラストゲームでした。森繁和監督も退任。この時期は「引退」「退団」という寂しいニュースが多く聞かれます。

打撃コーチを2年務めた土井正博さんもこの日を最後にドラゴンズのユニホームを脱ぎました。土井さんはかつての近鉄バファローズの4番打者。高校中退でプロ入りし、18歳で4番を打った伝説のスラッガーでした。

鋭いスイングで白球を遠くに飛ばす土井さんのバッティングフォームは独特でした。腰を2回振って大上段に構えバットの先端を投手に向けてピタッと止める。これがとてもかっこよかったのです。

当時弱かった近鉄は優勝など夢また夢。パ・リーグのテレビ中継などほとんどない時代です。土井さんは日本シリーズ出場経験がなく、少年ファンの間では長池徳士(阪急)・張本勲(日拓ホーム・日本ハム)・野村克也(南海)・有藤通世(ロッテ)といったパ他球団の強打者より知名度は若干劣っていたという印象でした。

しかし、オールスターゲームは常連。私が憧れたあの豪快なバッティングフォームがテレビで全国に映る機会は、ほぼ「夢の球宴」だけでした。草野球に興じる少年たちはオールスター中継を見た翌日、土井さんの特殊なフォームを真似したものです。

今年、こんな話を聞きました。1963年、初めてオールスターに選出された19歳の土井さんに「全パの鶴岡一人監督(南海)が『グランドには銭がたくさん落ちてると思って頑張れ』と激励されたんですよ」と私に教えてくれました。「グランドにはゼニが…」というあの伝説の名言を直に言われたそうです。

通算安打2452本。通算本塁打465本。太平洋クラブライオンズ(現西武)時代には本塁打王に輝いています。実はプロ野球ファンである私が最初にサインを書いてもらったスター選手が土井さん。1973年8月21日の日生球場。小学校5年生の夏でした。これです。

引退後は西武ライオンズのコーチとして清原和博や松井稼頭央を育て名伯楽と呼ばれました。ドラゴンズでの2年間は平田良介・高橋周平・京田陽太・福田永将らを指導。今年は4人ともレギュラーとしてシーズンを全うしました。取材に応対する土井さんはいつも物腰の柔らかい優しい語り口でした。

コウモリが飛ぶ日生球場の暗めの照明の中、まばらな観客の前で豪快な長打を放つ土井さんは、プロ野球に夢中になったころの私のヒーローでした。日生球場の外周を汗を流してランニングする姿もまぶしく眼に焼き付いています。そんな土井さんも今年75歳。ユニホーム姿は最後かもしれない…。そう思うとどうしてもサインと写真が欲しくなりおねだりしてしまった次第です。45年ぶりに書いてもらったサインは変わらぬ独特の丸い字でした。土井さん、ありがとうございました。

2018年10月19日 13時54分

ようこそ!高師台中学校のみなさん

10月18日(木)の「ストライク!」生放送本番前に豊橋市立高師台中学校1年生7人が「メディアリテラシー授業」でスタジオ見学に来てくれました。

朝7時に学校に集合して豊橋駅から名鉄電車で名古屋にやってきたみなさん。いろんな会社や公的機関が見学候補にあったそうですが、「中京テレビは希望が多く11倍の人気でした」と聞き嬉しくなりました。

スタッフから本番までの進行を説明してもらい興味津々。

時計を見ればわかりますね。本番25分前。リハーサルの合間に記念撮影しました。そのあとは名古屋市科学館に行くと言っていた彼ら。楽しい一日になったかな。

2018年10月15日 17時01分

与田剛監督が就任会見

10月15日(月)、ドラゴンズ・与田剛監督の就任会見を取材しました。「23年ぶりの名古屋。監督になるとは夢にも思わなかった。こんな形で名古屋に戻って来られるとは。ドラゴンズには自分をドラフト会議で単独1位指名してくれた恩義がある」と語りました。  

新監督としての抱負を問われ「しっかり準備をして最後まであきらめない野球をする。優勝だけを目指す。選手は対戦相手よりまず私にアピールしてほしい」と述べました。

私が中京テレビに入社した1990年、ルーキーだった与田投手(当時)は開幕戦から剛速球で活躍し新人王と最優秀救援投手になりました。私のアナウンサーとしてのデビュー、いわゆる「初鳴き」はその年の6月10日の副音声プロ野球中継「ドラゴンズ応援放送」(東京ドーム)でした。

その試合はもちろん忘れもしません。ジャイアンツに先制を許すものの、彦野選手の逆転満塁ホームランが飛び出します。与田投手は7回途中から登板し、1点リードを守り14個目のセーブを記録しました。私は緊張で背筋がつったまま実況していました。

沖縄キャンプでインタビューした時、練習が長引き予定時間に遅れた与田さんが「遅くなってすみません」と取材クルーの人数分の缶コーヒーを持って現れたことも思い出しました。

低迷するドラゴンズに救援投手でならしたOB監督が登板します。2019年のシーズンが今から楽しみです。

2018年10月06日 17時00分

荒木雅博選手引退会見

中日ドラゴンズの荒木雅博選手が今日、10月6日(土)、ナゴヤドームで現役引退の会見を行いました。私は代表質問を担当し23年目の今季限りでユニホームを脱ぐ心境を聞きました。報道が先行する中、ようやく自ら引退を発表でき「スッキリした気持ち」であること。名二塁手として活躍し、2000安打も記録した荒木選手ですが「今でも自分は未熟な選手だと思っている」とも。だから支えてきたものは「練習です」とキッパリ。球史に残る二遊間コンビ「アライバ」のパートナーだった井端弘和選手(当時・現ジャイアンツコーチ)には「ずっとライバルだと思って競い合ってきた」と述懐しました。

1995年のドラフト会議で1位指名された翌日、母校・熊本工業高校まで行き、校庭で名古屋名物「ういろう」を丸かじりしてもらった「ズームイン‼朝!」の「プロ野球いれコミ情報」の強引な取材から23年。さわやかな笑顔溢れる受け答えに終始した引退会見。いつも丁寧に取材に応じてくれた荒木選手の引退は寂しいものです。でも、6年に1度巡ってくる記者クラブの幹事業務がたまたま今年は中京テレビの担当年だったことで、この場で代表質問できた偶然に喜びも感じたひとときでした。



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