2015年03月31日 19時00分
今日でお別れ・・・ 鈴木アナ・村田アナ
今日、3月31日で3年間活躍した鈴木理香子アナウンサーと村田千弥アナウンサーが中京テレビを退職します。鈴木アナは東京に拠点を移し、
村田アナは名古屋を中心に仕事をするとのこと。
視聴者の皆さん、これまで応援していただきありがとうございました。活躍のフィールドを新たにする二人にご期待ください。
今日、3月31日で3年間活躍した鈴木理香子アナウンサーと村田千弥アナウンサーが中京テレビを退職します。鈴木アナは東京に拠点を移し、
村田アナは名古屋を中心に仕事をするとのこと。
視聴者の皆さん、これまで応援していただきありがとうございました。活躍のフィールドを新たにする二人にご期待ください。
多くのスタッフ、共演者、アナウンス部員に見守られ、今月限りで退職する鈴木理香子アナウンサーが2年間担当した「スポーツスタジアム晴」のラスト登板を先ほど終えました。
いつも通りの一生懸命な姿勢で視聴者の皆さんに感謝の言葉を述べていました。お疲れさま。3年間頑張ってくれて感謝しています。
3月31日で退職する鈴木理香子アナウンサーは、本日、3月29日(日)午後4時55分からの「スポーツスタジアム晴」が中京テレビでの生放送ラスト出演となります。
2012年4月、青森朝日放送から移籍。「キャッチ!」のグルメリポートやスポーツコーナー「スポッチ!」、「幸せの黄色い仔犬」、「スポーツスタジアム晴」等に出演。
体育会系女性アナウンサーとして「PS三世」ではバック転にも挑戦しました。
アイスショー「THE ICE」、朝・昼・夜・土日のニュース、大雨や台風の生中継、御嶽噴火時の災害報道でも活躍しました。3年間の様々なシーンをご覧ください。
携帯サイトの待受け画面を浴衣で撮影したのは2012年6月21日。つい先日のことのように思い出されます。いつも明るく元気よく頑張ってくれました。4月からも「アナウンサーを続けたい」と意欲的な彼女。皆さん、今後も鈴木アナにエールを送ってください。
日本テレビ系列で2014年の活躍が顕著だったアナウンサーを表彰する「第36回NNSアナウンス大賞」。
キャリア3年未満が対象の「新人部門」にエントリーした佐野祐子アナウンサーは、2月に関東・中部ブロック審査を1位通過。このたびの全国審査で見事「最優秀新人賞」に選ばれました。
佐野アナウンサーは入社2年目。「キャッチ!」の中継コーナー「物産展まにあ」や「4U」のリポート、高田純次さんや中村アンさんと共演した特番での活躍が評価されました。去年9月27日、御嶽山噴火時の緊急放送では、ヘリコプターからの生の映像に落ち着いてコメントを付け緊迫した状況を冷静に伝えました。
3月19日、日本テレビで行われた授賞式で全国4ブロックを勝ち抜いた代表と共にステージに立った佐野アナは緊張の面持ちで結果を待ち、司会の菅谷大介アナウンサーから「最優秀新人賞は中京テレビ・佐野祐子さんです!!」と発表されると、スポットに照らされる中、深々とお辞儀し感激の涙を流しました。
受賞インタビューでは、杉野真実アナウンサーの質問に、持ち前の豊かな声量で「これからも精進します」と宣言。
番組で「眉毛迷子」と表現し話題になった「不均衡な眉毛」を壇上で強調する不要なポーズを披露し笑いを誘っていました。
中京テレビの山本孝義社長から賞状と記念の楯を受け取り出席者の大きな拍手を浴びました。
制定されて9年目の「新人部門」。中京テレビアナウンサーの同賞受賞は6年振り3人目の快挙です。
3月から「キャッチ!」のスタジオに週2回、恩田千佐子アナウンサーの隣で出演している佐野アナ。4月からは毎週金曜日深夜の「はやりば Hayari Bar」にも出演が決定。元AKB48の大島麻衣さんとのコンビに期待がかかります。
これからの佐野アナウンサーのさらなる活躍にご期待ください。
中京テレビ番組祭り「チュウキョ~くんタウン」が3月21日(土)始まりました。初日から久屋大通公園は大盛況。ご来場、ありがとうございました。また、公開生放送「栄に人気番組が大集合 中京テレビ大感謝祭2015春」をご覧いただいた皆さん、感謝申し上げます。
アナウンサーの活躍をまとめましたのでどうぞ!
明日、22日(日)もお待ちしています。「前略、大徳さん」「スポーツスタジアム晴」の公開生放送もお楽しみに!!
4年前の3月11日は金曜日でした。
私は、その月限りで終了することが決まっていた「ズームイン!!SUPER」の最後の会議に出席するため日本テレビにいました。その最中の地震でした。
急遽、中継要員になった私は、日本テレビのクルーと夕方、仙台を目指し出発。翌12日の午前6時にミヤギテレビに着き取材開始。
翌13日からは岩手県沿岸部に移動しました。陸前高田市内を取材したメモが残っています。「ズームイン」のロゴ入りのメモ帳は、何の準備もないまま出張先の東京から東北に向うことになった私に、当時日本テレビアナウンサーだった山本舞衣子さんが気を利かせて渡してくれたものでした。
避難して助かった地元の人から津波の様子を聞いたことが記されています。「10m超の板のような津波」「7階建てのホテルを飲みこむ」と生々しい証言を書きとめています。
「防風林の松林も1本しかない」という記述は、あの「奇跡の一本松」です。宮城県側から気仙川を越えて陸前高田に入り、最初に目に飛び込んできたのが大きな被害を受けた悲惨な光景の中に一本だけ残っていた松の木でした。
その日の夕方には避難所の一つ、米崎小学校を取材。そこで消防団の一員として陣頭指揮をとっていた大和田祐一さんに話を聞きました。これは去年3月、3年ぶりに訪ねた米崎地区で大和田さんに再会したときの写真です。
「キャッチ!」の取材で震災の教訓を聞きに行ったのです。大和田さんは「沿岸部では揺れたら逃げろ。その単純なことをすぐ実行できるかどうかだ」と語ってくれました。
4年前の3月14日、「ズームイン!!SUPER」で中継した直後に撮った米崎地区の写真です。
思い出すのは3月の東北の寒さ、津波で流され海水でぬかるんだ街、スーツ姿の男性のご遺体、樹木に巻きついた車や家財道具。そして、大変な状況の中で取材に応じてくださった多くの被災者の皆さん。
この写真は上のものとほぼ同じ場所。去年の3月の様子です。
今日の「ストレイトニュース」では震災の翌年から毎年3月11日に行なっているという岩手県宮古市内の避難訓練の模様が報じられていました。
いざという時のために備えることの大切さ。いまだに多くの行方不明者がいること。復興に向けて前を向いている人もいれば、悲しみや苦しみが全く癒えていない人もいること。
いろんなことを思い出し、考えています。