2011年04月27日 0時00分
懐かしのズームイン!!その2 きくち教児さん
3月31日に終了した「ズームイン‼SUPER」。私は3月半ばまでこのブログで「さよなら、ズームイン‼」という惜別企画を書いてきました。一か月の集中連載を試みていたのですが、東日本大震災の取材や年度末業務に追われたまま連載を中断し、番組も最終回を迎えてしまいました。書き残したエピソードは、これから随時、書いていきます。
「ズームイン」は1979年3月、「ズームイン‼朝!」としてスタート。中京テレビの初代中継キャスターは西山幸子さんという一般の主婦の方でした。番組開始から3ヶ月後、月曜日から金曜日まで毎日中継を行うことが決まった時に起用されたのがきくち教児さんでした。
テンポのいい軽妙なしゃべりとハッピの背中に旗を立てて「ドラゴンズ愛」を貫いた「プロ野球いれコミ情報」で全国的な人気を博しました。元々ホテルの料理人だった教児さんは、得意の料理の知識を生かしたコーナーを持つなど、名物キャスターとして1995年3月まで17年間「中京ズームイン」の顔として大活躍されました。
1991年、私が「ズームイン」に新加入した時は月・火・水が教児さん、木・金が私の担当だったので、共演することは少なかったのですが、元日の朝などは「2人キャスター」で出演することがありました。
一度、プロ野球開幕日の朝、ナゴヤ球場前で教児さんと一緒に中継した際、リハーサルで掛け合いのタイミングを私が一瞬遅らせてしまったことがありました。すかさず「テンポが悪くなると面白くなくなるから僕のコメントが終わったらすぐに入ってきてよ」と一言。本番、言われた通り若干フライング気味にしゃべりだすと確かにリズムのいい「いれコミ情報」になったのです。コーナー自体が各局キャスターの「まくしたて合戦」の様相を呈していたので、教児さんのアドバイスが非常に参考になったのを覚えています。
写真は1995年3月8日、きくち教児さん最後の中継が終わった直後のものです。17年間の登板回数は3600回を超えます。その後、「おめざめワイド」のキャスターとしての期間を合わせると、教児さんは30年間「名古屋の朝の顔」でした。これは実力と体力と信頼あってこそ。尊敬すべきしゃべり手の大先輩です。今も「ラッキーブランチ‼」と「ラッキー‼」でスタジオを盛り上げてくださっています。でも、全国の皆さん!教児さんと言えばやっぱり「ズームイン」ですよね。