2015年03月11日 19時00分
3・11 4年前と去年と今
4年前の3月11日は金曜日でした。
私は、その月限りで終了することが決まっていた「ズームイン!!SUPER」の最後の会議に出席するため日本テレビにいました。その最中の地震でした。
急遽、中継要員になった私は、日本テレビのクルーと夕方、仙台を目指し出発。翌12日の午前6時にミヤギテレビに着き取材開始。
翌13日からは岩手県沿岸部に移動しました。陸前高田市内を取材したメモが残っています。「ズームイン」のロゴ入りのメモ帳は、何の準備もないまま出張先の東京から東北に向うことになった私に、当時日本テレビアナウンサーだった山本舞衣子さんが気を利かせて渡してくれたものでした。
避難して助かった地元の人から津波の様子を聞いたことが記されています。「10m超の板のような津波」「7階建てのホテルを飲みこむ」と生々しい証言を書きとめています。
「防風林の松林も1本しかない」という記述は、あの「奇跡の一本松」です。宮城県側から気仙川を越えて陸前高田に入り、最初に目に飛び込んできたのが大きな被害を受けた悲惨な光景の中に一本だけ残っていた松の木でした。
その日の夕方には避難所の一つ、米崎小学校を取材。そこで消防団の一員として陣頭指揮をとっていた大和田祐一さんに話を聞きました。これは去年3月、3年ぶりに訪ねた米崎地区で大和田さんに再会したときの写真です。
「キャッチ!」の取材で震災の教訓を聞きに行ったのです。大和田さんは「沿岸部では揺れたら逃げろ。その単純なことをすぐ実行できるかどうかだ」と語ってくれました。
4年前の3月14日、「ズームイン!!SUPER」で中継した直後に撮った米崎地区の写真です。
思い出すのは3月の東北の寒さ、津波で流され海水でぬかるんだ街、スーツ姿の男性のご遺体、樹木に巻きついた車や家財道具。そして、大変な状況の中で取材に応じてくださった多くの被災者の皆さん。
この写真は上のものとほぼ同じ場所。去年の3月の様子です。
今日の「ストレイトニュース」では震災の翌年から毎年3月11日に行なっているという岩手県宮古市内の避難訓練の模様が報じられていました。
いざという時のために備えることの大切さ。いまだに多くの行方不明者がいること。復興に向けて前を向いている人もいれば、悲しみや苦しみが全く癒えていない人もいること。
いろんなことを思い出し、考えています。