2018年10月23日 16時00分
45年ぶりのサイン
10月13日(土)、ナゴヤドームで行われた中日ドラゴンズのシーズン最終戦は今季限りで選手生活を終える岩瀬仁紀投手・荒木雅博選手のラストゲームでした。森繁和監督も退任。この時期は「引退」「退団」という寂しいニュースが多く聞かれます。
打撃コーチを2年務めた土井正博さんもこの日を最後にドラゴンズのユニホームを脱ぎました。土井さんはかつての近鉄バファローズの4番打者。高校中退でプロ入りし、18歳で4番を打った伝説のスラッガーでした。
鋭いスイングで白球を遠くに飛ばす土井さんのバッティングフォームは独特でした。腰を2回振って大上段に構えバットの先端を投手に向けてピタッと止める。これがとてもかっこよかったのです。
当時弱かった近鉄は優勝など夢また夢。パ・リーグのテレビ中継などほとんどない時代です。土井さんは日本シリーズ出場経験がなく、少年ファンの間では長池徳士(阪急)・張本勲(日拓ホーム・日本ハム)・野村克也(南海)・有藤通世(ロッテ)といったパ他球団の強打者より知名度は若干劣っていたという印象でした。
しかし、オールスターゲームは常連。私が憧れたあの豪快なバッティングフォームがテレビで全国に映る機会は、ほぼ「夢の球宴」だけでした。草野球に興じる少年たちはオールスター中継を見た翌日、土井さんの特殊なフォームを真似したものです。
今年、こんな話を聞きました。1963年、初めてオールスターに選出された19歳の土井さんに「全パの鶴岡一人監督(南海)が『グランドには銭がたくさん落ちてると思って頑張れ』と激励されたんですよ」と私に教えてくれました。「グランドにはゼニが…」というあの伝説の名言を直に言われたそうです。
通算安打2452本。通算本塁打465本。太平洋クラブライオンズ(現西武)時代には本塁打王に輝いています。実はプロ野球ファンである私が最初にサインを書いてもらったスター選手が土井さん。1973年8月21日の日生球場。小学校5年生の夏でした。これです。
引退後は西武ライオンズのコーチとして清原和博や松井稼頭央を育て名伯楽と呼ばれました。ドラゴンズでの2年間は平田良介・高橋周平・京田陽太・福田永将らを指導。今年は4人ともレギュラーとしてシーズンを全うしました。取材に応対する土井さんはいつも物腰の柔らかい優しい語り口でした。
コウモリが飛ぶ日生球場の暗めの照明の中、まばらな観客の前で豪快な長打を放つ土井さんは、プロ野球に夢中になったころの私のヒーローでした。日生球場の外周を汗を流してランニングする姿もまぶしく眼に焼き付いています。そんな土井さんも今年75歳。ユニホーム姿は最後かもしれない…。そう思うとどうしてもサインと写真が欲しくなりおねだりしてしまった次第です。45年ぶりに書いてもらったサインは変わらぬ独特の丸い字でした。土井さん、ありがとうございました。