2011年08月09日 17時30分

「スポーツスタジアム」で偉大なる後輩にインタビュー!!

2009年まで9年間MCを務めた「スポーツスタジアム」に
私、2年ぶりに出演します。
夏の高校野球真っ只中のこの時季に、
30年前に甲子園を沸かせたこの人にインタビューしてきました。
工藤公康投手です。
名古屋電気高校(現愛工大名電)のエースとして甲子園でノーヒット・ノーランを達成。大きなカーブで打者を翻弄し、ベスト4まで勝ち進み一躍ヒーローになりました。
その後、プロ野球に進み、西武ライオンズを振り出しに4球団で活躍。
数々のタイトルを獲得し3球団で日本一に貢献しました。
去年までの実働年数29年は日本プロ野球記録。
今年は所属球団がないまま、現在プロのマウンドに復帰すべく
トレーニングに励む日々を送る工藤さんに「30年前の夏」を聞きに横浜まで行ったのです。
なぜ、前任MCの私がインタビュアーだったのか…?

実は、私、工藤さんと同じ小学校・中学校でした。
私が1年先輩です。
その頃から「野球のうまい工藤君」は地元で有名でした。
しゃべったことはありませんでしたが、高校野球・プロ野球で大活躍する彼の存在は常に「同郷の誇り」でした。
これまで何度、周囲に「オレ、あの工藤と同じ小・中学校!」と自慢したかわかりません。
私は彼を知っていても、彼は私を知らない…。
でも、スポーツ担当アナウンサーになったある日、
球場で「工藤さん、私、久方中学校なんです」と話しかけてみたのです。
「そうなんですかっ!」
それから試合前のベンチでローカル話に花が咲きました。
以来、球場で会えば「どうも!」とお互い笑顔を交してきました。
去年、戦力外通告を受け所属球団がなくなった工藤投手。
一度、アナウンサーとしてしっかり話を聞きたいと思っていた「偉大なる後輩」に初めてマイクを向ける機会が訪れたのです。

30年前の高校野球に思いをはせ、48歳の今なお現役に情熱を燃やす工藤投手に49歳でくたびれ気味の私が迫るインタビューは、
8月14日(日)夕方5時からです。

2011年07月15日 15時49分

アルパカ氏来社

7月15日(金)、
暑中見舞いはがきをポストに投函しようと
会社の本館を出たら、珍客が…。
「ラッキー!!」出演のため
富士サファリパークからアルパカが来ていました。
本番前、会社の駐車場で長旅から解放されたところを
一枚お願いしました。
アルパカは南米アンデス地方の動物です。
飼育員の方にお聞きしたところ、
元々は標高3500m地点が生活圏とのこと。
この日、気温35度を超えた名古屋への出張はかなり
バテたことでしょう。
お疲れ様でした…。

2011年06月30日 23時58分

懐かしのズームイン!!その8 初めての北海道

「ズームイン!!朝!」時代から20年、
中京テレビでキャスターを務めた私の番組にまつわる秘蔵写真を今回もお見せします。
これは北海道・知床で撮った一枚です。
北海道の3箇所を中継で結んで魅力を紹介する企画があり
人生で初めて北の大地・北海道に行く機会をいただきました。
初めて降り立った女満別空港周辺の広々とした初夏の緑多き眺めに圧倒されたのを覚えています。
3日間ロケをして4日目に知床五湖から中継するという日程でした。
写真は知床の自然を海から見るツアーに参加した時のもの。
1993年7月31日でした。
ボートの周りを泳ぐイシイルカや番屋近くをウロつくヒグマに興奮したものです。
暑さにいらだち始めるこの季節、初めて行った北海道のさわやかな気候を思い出します。

2011年05月17日 0時00分

懐かしのズームイン!!その7 今井晶子キャスター

3月31日に終了した「ズームイン‼SUPER」。
以前、このブログで番組を通じて親交を深めた
各局のキャスター仲間を紹介しましたが、
久々にその続編を記します。
今回はニューヨークからの中継でお馴染みだった今井晶子さんです。
1992年、番組オーディションを受け、当時の「ズームイン!!朝!」のニューヨーク駐在キャスターになった今井さん。
「福留さん時代」からの古いキャスター仲間です。
ロックフェラープラザからの最新ニューヨーク情報や
西海岸に飛んでのアカデミー賞直前情報等々。
流暢な英語を駆使しアメリカの人々へのインタビューを織り交ぜた安定したリポートは番組名物の一つでした。
でも意外や意外、本人は渡米するまで英会話ができなかったと聞いて驚きました。
今井さんといえば10年前の「同時多発テロ」リポート。
2機目がワールドトレードセンタービルに突っ込む様子は実際に自宅マンションから目撃したそうです。
先日、休暇を取りニューヨークに行っていた私は今井さんと会い、その時、自宅で窓越しに撮影したという写真を何枚も見せてもらいました。
それから現地に出向いての連日の中継。
5月7日、グランド・ゼロを案内してもらいながら当時の壮絶な様子を聞き、改めてテロの恐ろしさを感じました。
今回、信頼できるニューヨーカー・今井さんに色々教えてもらい、私自身大学3年生の時以来27年ぶりのニューヨーク訪問はとても充実したものになりました。今井さん、ありがとう。

2011年05月02日 0時00分

懐かしのズームイン!!その6 杉本真紀さん

西村綾子さん同様、「お天気お姉さん」として私とよくコンビを組んだのが杉本真紀さんでした。(写真右)
写真は1998年の元日、「新春ズームイン!!朝!」で三重県の御在所岳山頂で撮ったものです。ロープウェイで登り、大晦日から皆で泊まり込んで年を越し、いきなり新年早々吹雪の中での中継でした。
1997年8月から仲間に加わった彼女は初めてのテレビの仕事が「ズームイン」でした。最初はコメントもまとまらず、天気コーナーになるとスタッフもドキドキでしたが、徐々に慣れてきて持ち前の笑顔で番組を盛り上げてくれました。
以降、各局でリポーターをやったり、女優としてドラマに出演したり、叶姉妹のイベントの専属司会者を務めたりと活動の幅を広げていきました。
ある時、ふと見た新聞記事で年下のタレントさんと結婚したことを知りました。その後、私がプロ野球取材で東京に出張した際、西村さんと三人で会い食事をしました。
子連れで現れた杉本さん、優しいお母さんの笑顔でした。

2011年05月01日 0時00分

懐かしのズームイン!!その5 西村綾子さん

 かつて「ズームイン‼朝!」ではこの地方の天気を伝えるコーナーに、局独自のお天気キャスターがいました。若手時代の本田恵美・前田麻衣子・桐生順子といった女性アナが担当していました。 それ以前は、地元プロダクション所属のタレントが「お天気お姉さん」を務めていました。マイクロバスで一緒に中継現場に行き、本番を終えると朝食を一緒に食べ、会社に戻って反省会…。日の明けないうちから長い時間を共に過ごした仲間です。
 写真は西村綾子さん。彼女は槍ヶ岳中継にも参加し頂上まで登りきりました。
 西村さんはその後東京に行き、現在「スッキリ!」のリポーターとして活躍中。硬軟さまざまな話題を取材しスタジオで伝えているのでご存じの方も多いでしょう。東京に活動拠点を移してからも、私が「ズームイン」に出演すると、よく感想をメールしてくれました。
 東日本大震災当日、日本テレビに出張中だった私が現地に向かおうと駐車場から車に乗り込むとき、西村さんにバッタリ。再会を喜んだのも束の間、お互い別々のクルーで北上していきました。

2011年04月29日 0時00分

懐かしのズームイン!!その4 本田恵美キャスター

1997年から番組終了まで中京テレビのキャスターを務めた本田恵美アナウンサー。「ズームイン」にレギュラー出演した女性アナウンサーは1990年から1年間担当した田中千寿江さんと本田アナの2人だけです。
今でこそ恩田千佐子アナに次ぐベテラン女性アナとして活躍していますが、入社当時、彼女ほど頼りなく見えた後輩はいませんでした。アナウンス技術は低く表現力も乏しく、新人時代の忘年会では「仕事に自信が持てない」と泣き出し場の雰囲気を壊すありさま。正直言って将来性を全く感じなかった私は「すぐ辞めるだろう」と思っていました。
最初は「ズームイン‼朝!」でこの地方の天気だけを担当する「お天気キャスター」だった彼女。転機はネタも担当する全国中継のキャスターに起用されたことでした。場を与えられると頑張るタイプ。度胸は抜群で怖いもの知らず。あっという間に人気者になりました。
 バレンタインデーにキャンプ中の星野監督(当時中日)へアポなしでチョコレートを渡すという企画に挑戦した時は、取材規制の厳しい中、ベンチ裏で闘将に果敢に手作りチョコを渡し笑顔をGET。この作品で彼女は番組内の表彰制度の「キャスター賞」と系列局の「アナウンス大賞優秀賞」を受賞しました。
当時私は後者の賞に3回挑戦したものの逸していたため、先を越されて多いに焦ったものです。
 本田アナとは「白川郷合掌集落」や「中部国際空港開港日」、「二足歩行犬記録挑戦」等、大掛かりな中継の時に二箇所から交互にリポートするスタイルでよく共演しました。その頃にはもう新人時代の「かわいいだけの恵美ちゃん」は姿を消し、堂々たる中継キャスターとして番組に貢献していました。
 「ズームイン‼SUPER」のローカルコーナーから始まった彼女のフィギュアスケート取材は、「ストレイトニュース」の「チュッキョフィギュア」や「THE ICE」に引き継がれ、アナウンサーとしてのライフワークになりつつあります。

2011年04月28日 0時02分

懐かしのズームイン!!その3 大藤晋司キャスター

 きくち教児さんに代わるキャスターを誰にするか…。中京テレビでは当初、私とのバランスを考え女性アナウンサーの起用を考えていました。しかし、当時系列各局のキャスターは女性が多かったため、日本テレビから「できれば男性で」と頼まれ白羽の矢が立ったのが私の1年後輩のアナウンサー・大藤晋司君でした。
 デビューは1995年3月、渥美半島からの全編生中継。彼はサイクリングしながら伊良湖岬をリポートするアクティブな出番でした。 当時、「オウム真理教事件」の真っ只中。せっかく「春の渥美半島」の魅力を伝える日に日本テレビのスタジオから「オウム幹部生出演」が決まったため、中京テレビに割かれていた時間が大幅にカットされた中での出演でした。
 その後、私の「槍ヶ岳中継」の続編として彼は「奥穂高岳中継」を担当。体を張った出番が多かった印象があります。
 大藤君は1996年にスタートした「ズームイン‼サタデー」では、中京テレビ初代キャスターに起用されました。養蜂場からの中継で、リポート中に鼻の穴にミツバチが入っていくシーンが大写しになり、多くの視聴者が彼の身を案じることなく笑いました。
 現在、彼はテレビ北海道のアナウンサーです。私が札幌に出張する際は会って旧交を温めています。写真は去年、彼が名古屋出張の際、若手時代の思い出が詰まった中京テレビのアナウンス部に顔を出してくれた時のもの。律儀な男です。

2011年04月27日 0時00分

懐かしのズームイン!!その2 きくち教児さん

 3月31日に終了した「ズームイン‼SUPER」。私は3月半ばまでこのブログで「さよなら、ズームイン‼」という惜別企画を書いてきました。一か月の集中連載を試みていたのですが、東日本大震災の取材や年度末業務に追われたまま連載を中断し、番組も最終回を迎えてしまいました。書き残したエピソードは、これから随時、書いていきます。
「ズームイン」は1979年3月、「ズームイン‼朝!」としてスタート。中京テレビの初代中継キャスターは西山幸子さんという一般の主婦の方でした。番組開始から3ヶ月後、月曜日から金曜日まで毎日中継を行うことが決まった時に起用されたのがきくち教児さんでした。
 テンポのいい軽妙なしゃべりとハッピの背中に旗を立てて「ドラゴンズ愛」を貫いた「プロ野球いれコミ情報」で全国的な人気を博しました。元々ホテルの料理人だった教児さんは、得意の料理の知識を生かしたコーナーを持つなど、名物キャスターとして1995年3月まで17年間「中京ズームイン」の顔として大活躍されました。
 1991年、私が「ズームイン」に新加入した時は月・火・水が教児さん、木・金が私の担当だったので、共演することは少なかったのですが、元日の朝などは「2人キャスター」で出演することがありました。
 一度、プロ野球開幕日の朝、ナゴヤ球場前で教児さんと一緒に中継した際、リハーサルで掛け合いのタイミングを私が一瞬遅らせてしまったことがありました。すかさず「テンポが悪くなると面白くなくなるから僕のコメントが終わったらすぐに入ってきてよ」と一言。本番、言われた通り若干フライング気味にしゃべりだすと確かにリズムのいい「いれコミ情報」になったのです。コーナー自体が各局キャスターの「まくしたて合戦」の様相を呈していたので、教児さんのアドバイスが非常に参考になったのを覚えています。
 写真は1995年3月8日、きくち教児さん最後の中継が終わった直後のものです。17年間の登板回数は3600回を超えます。その後、「おめざめワイド」のキャスターとしての期間を合わせると、教児さんは30年間「名古屋の朝の顔」でした。これは実力と体力と信頼あってこそ。尊敬すべきしゃべり手の大先輩です。今も「ラッキーブランチ‼」と「ラッキー‼」でスタジオを盛り上げてくださっています。でも、全国の皆さん!教児さんと言えばやっぱり「ズームイン」ですよね。

2011年04月26日 13時30分

懐かしのズームイン!!その1 ラストリポート

 3月31日に終了した「ズームイン‼SUPER」。最終回を終えた後、会社に戻って書いたブログ以来の再開です。私は3月半ばまで「さよなら、ズームイン‼」という惜別企画を書いてきました。
 最終回までの一か月、集中連載を試みていましたが、東日本大震災で中継キャスターとして宮城・岩手に出張した後、年度末業務に追われ中断していました。これから随時、書いていきます。
 ズームキャスター歴20年。私の最後のリポートは被災地・岩手県陸前高田市の避難所となっている小学校からの中継でした。被災者の方々にメッセージボードを持ってもらって出演していただきました。通信手段が復旧しない中、遠方の親戚や知人にテレビを通して自身の無事を知らせてもらおうという意図です。全国ネットの生中継、「ズームイン」ならではの企画でした。
 厳しい避難所生活にもかかわらず、テレビカメラの前で懸命に手を振り無事を伝える皆さんの姿に私は全身が熱くなりました。生放送で32年間「今」を見せてきた「ズームイン」。
 現場から被災者の皆さんの「今」を伝えた3月18日の中継が私のラストリポートでした。


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