2017年12月23日 10時00分

「スポスタ☆魂」特集は世界で戦うマスクマン

12月24日(日)午後4時55分からの「スポーツスタジアム☆魂」は名古屋出身の覆面レスラー・ウルティモ・ドラゴン選手を特集します。

私の古くからの友人でもある彼は本名浅井嘉浩。21歳の時メキシコに単身渡航しプロレスデビュー。4年後、マスクマン「ウルティモ・ドラゴン」に変身しました。それを機にアメリカのメジャー団体に進出したことで世界中に名前が知られるように。かつて入門を断られた新日本プロレスに招かれ、獣神サンダーライガー選手と東京ドームでタイトルマッチをするなど逆輸入選手として名を成しました。

デビューから30年。今もメキシコを拠点に世界で戦い、日本でもフリー参戦という形で毎年試合をしています。これまでアメリカ・カナダに中南米・欧州に遠征。北朝鮮でも試合をしています。「自分ほど多くの国で試合をした選手はいないでしょう」と胸を張ります。

1998年、アメリカの試合で左腕を負傷し手術を受けるも医療ミスで神経が切れ4年以上戦線離脱。その後左手はほとんど動かず私のそれより細くなり、握力8kgという状態で戦っています。

その後、選手のみならず、メキシコに道場を建て後進の育成にも着手。60人以上の選手が彼の門下生としてデビューしました。新日本プロレスのエース、オカダ・カズチカ選手もその1人です。

一方、私は損保会社勤務という回り道をしてアナウンサーになり、念願のプロレス中継にも関わることができました。アナウンサー生活13年目の冬、奇跡と言っていい接点が巡ってきました。

2003年2月。団体の枠を超えたジュニアヘビー級のタッグリーグ戦が東京で開催され、彼も門下生と組んで出場しました。

日本テレビがその大会を中継することになり私が彼の試合を実況。アナウンサーになって初めて彼の試合を自分の言葉で描写することができました。この仕事に就いて最もうれしい時間でした。(写真は14年前の試合後控室・ディファ有明)

その後もアクロバティックに戦い続けてきた彼は、今年でデビュー30年。「動けなくなって野次られたり同情されたりしたら潮時」と言い切り、51歳になった今もスピードとテクニックで魅せることにこだわっているウルティモ・ドラゴン。

自分の試合が終わると、会場の片隅でメキシコ製の覆面(試合用・レプリカ・子供用・キーホルダー)を売りさばきます。

「スポスタ☆魂」では最近の試合やトレーニング風景、素顔で闘うデビュー当時のメキシコでの映像を通して名古屋から世界に飛び出したレジェンドを紹介します。

私、かつてMCだったこの番組に8年ぶりに生出演します。

2017年12月22日 10時00分

デビュー30周年!旧友は現役バリバリ51歳の覆面レスラー

12月24日(日)午後4時55分からの「スポーツスタジアム☆魂」で地元出身のプロレスラーを特集します。

覆面レスラー・ウルティモ・ドラゴン選手は名古屋出身の51歳。33年前、彼が高校生、私が大学生の時に知り合いました。接点はお互い熱心なプロレスファンだったということ。

彼が通っていた高校の文化祭の出し物でプロレスのまねごとをする時には、私が実況アナ役で手伝いに行きました。

そのころから彼は「将来プロレスラーになる」と決めていました。私は「アナウンサーになりたい」と思っていました。彼は「なる」で私は「なりたい」。彼の決意を当時はそこまで本気にしていませんでした。

体操選手並みの身体能力を誇った彼は戦隊ヒーローショーでスーツアクターのアルバイトで稼ぎ、高校卒業後、実家の電気屋を継ぐべく東京で修行する傍らジムに通い身体を鍛え、新日本プロレスの道場に転がり込みました。

身長172cm。運動神経は抜群でも「体が小さい」という理由で入門はかなわず、単身メキシコに渡ってデビュー。1987年5月13日のパチューカでした。

渡航を知らなかった私は、デビューを彼からのエアメールの絵葉書で知り、すぐに当時勤務していた会社を休んでメキシコシティに応援に行きました。一緒にプロレスのまねごとで遊んでいたころから僅か3年余り。3万人が詰めかける巨大なドーム型闘牛場の特設リングで流血しながら奮闘する友人の姿に心を打たれました。

アナウンサーになれずに損保会社に就職した私にとって、彼は尊敬すべき存在になりました。その後、私が転職してアナウンサーになる時、彼の頑張りが背中を押してくれました。彼は軽量級レスラーの世界でトップを張り続けています。

「スポスタ☆魂」ではウルティモ・ドラゴン選手の現在と過去を私が30年前に撮影したデビュー当時の素顔で闘う映像も交えて特集します。

 

 

 

 

 

 

 

2017年12月21日 10時00分

AD「ビッグO(オー)」、実は凄いヤツ!?

今年2月、「キャッチ!」の熊野ロケで初めて私と一緒に仕事をした期待の若手AD(アシスタントディレクター)ビッグO。先輩ディレクターの指導を受けながらおっかなびっくりで仕事する様子をブログに書かせてもらった。

その後、私が発案し彼が取材した「メロンパン」ネタでリポーターに私を起用しなかったことから「需要が減っているオレに冷たい。恩返しはないのか?」とクレームをつけた。

ようやく「啓さん、ロケお願いします」とオファーしてきたのが「キャッチ!」12月22日(金)放送の「女子受けするおしゃれラーメン店」。

なんとも場違いなテーマに私を指名したものだ。しかも同い年の神アナとの共演という「老齢セットプラン」だ。クレームに焦った上での破れかぶれの起用か!?しかし、「キャッチ!」の出番に恵まれない私に出演機会を作ってくれたビッグOには感謝している。

ビッグOは顔が笑える。ボキャブラリーも極めて貧困だ。「お願いしまーす」・「すっごいですね」・「えへへへへ」が会話の9割を占める。

これは「神さん、そろそろお願いしまーす!えへへへへ!」の瞬間を捉えたショットだ。どんな場面でも気の抜けた表情が特徴だ。

しかし、この男は取材現場で重宝がられるすばらしい特技を持っている。ロケ中の「一般の方々へのインタビューのお願い」が百発百中なのだ。

街頭や店舗のロケでよくあるインタビュー。許諾をいただくのはアナウンサーでも難しく、5人10人連続して断られることも珍しくない。

ところがビッグOはいとも簡単にOKをもらい、すぐ次の協力者を探し出す。顔も声も悪いのに。おそらく、彼の弱々しく頼りなさそうな雰囲気が相手に「インタビューに応じなければこの人は激しく叱責される」と思わせるのだろう。才能だ。

「誰かにインタビューしたい」時のビッグOは仕事のできる男の顔になる。獲物を狙うスナイパーのようだ。見つけた。「この二人だ!」。標的に向かって歩を進める後ろ姿は自信がみなぎっている。このあと女性二人組からあっさりとカメラを向けることの応諾を得た。感心するしかない。「必殺呼び止め人」と命名しよう。この男「ビッグO」、献血の勧誘をしたほうが世の役に立つかもしれない。

 

 

2017年12月20日 10時00分

ロケ初顔合わせ「Wオヤジ」、おしゃれなラーメン屋に行く!

「ラーメン屋」といえばオッサンの行くところ…そんなイメージでは?

でも最近巷には、女性が行きたくなる「お洒落なラーメン屋」があるんですって。その探索ロケに駆り出されたのは神ひろしアナウンサーと私。

共に1962年生まれの同い年。神アナは1986年入社で途中記者経験10年。私は1990年に中途入社。スポーツ中継では二人で何度も一緒になりましたが、番組のロケを共にするのは通算18年もアナウンス部で重なっていて初めてでした。

なぜかこれまでなかった2人のロケ。年齢合わせて110歳。車中でお互いの若き日の印象を語る場面からカメラが回りました。

おしゃれな店に疎い2人はスタッフに「オヤジの視点」を求められました。神アナは手持ち。私は額に装着するカメラ。ベテランだからと言って特に大切にされているとは言えない扱いでした。

キツいゴムで頭部に長時間装着したため、予想通りの刻印となりました。

回ったお店は3店舗。自分たちだけではフラッと入ることのない雰囲気の店構え。注文することはない類のメニュー。戸惑いながらも試食するとこれがまた…。

今、「インスタ映え」と「女子受け」はヒットの鉄則。そんなことには無頓着の110歳コンビも食べると「なるほど、これはウケるわ!」なのでした。

この模様は12月22日(金)の「キャッチ!」でお楽しみください。

 

 

2017年12月16日 10時00分

この男、多弁につき・・・

元中京テレビアナウンサー・大藤晋司さんが来社しました。

仕事で名古屋に来ると必ず顔を出してくれますが、社屋を移転してからは初めて。

テレビ北海道に移籍して15年、在籍当時を知るかつての同僚アナウンサーも現職は6人だけになりました。

しゃべりだしたら止まらない明るいキャラクターは健在。

かつての仲間と旧交を温める・・・と言うより、

久々の元同僚との再会でハイになった大藤さん、しゃべりすぎて自分だけ温まって帰っていきました。

社会人としてのスタートを切った名古屋と中京テレビのことをいつまでも大事に思ってくれている愛すべき男です。

2017年12月15日 10時00分

実は私が「一番乗り」なのだ!

11月の「キャッチ!」台湾ロケ出発日。

前日、慣れない夜勤を担当し、寝ぼけ眼でやってきた中部国際空港。

「そうだ、あれがあった!」と向かったのが空港内の展望風呂「風(フー)の湯」でした。

飛行機の離着陸を見ながら湯船に浸かれる珍しい空港のお風呂屋さんはセントレア名物です。

実はこの銭湯に初めて入ったのは私です。

12年前の2005年2月17日、開港した日、「ズームイン!!SUPER」で新空港の見どころを生中継。

前夜から空港近くにとめたマイクロバスでスタッフと仮眠を取ってスタンバイし、

空港内銭湯をVTRで紹介するため、本番前の早朝5時ごろ入浴。

その際、ロケに立ち会った銭湯の責任者の方から「佐藤さんが最初のお客さんです」と「入浴第1号」のお墨付きをいただいた次第です。

あの日以来の伊勢湾を眺めながらの入浴。いやぁ、気持ちよかったァー!

2017年12月14日 10時00分

台中で「あぁ、この味」!!

「キャッチ!」ロケで22年ぶりに再訪した台湾。食べ物のおいしさには定評があります。ロケの合間に台中で入った店は「タピオカミルクティー」発祥の地だそうです。

そして、飲茶の店では具ごとに色分けした小籠包やトリュフがのったシュウマイも。芳醇な深い香りに感激しました。記憶は曖昧ですが、おそらく人生2回目のトリュフです。そしてビーフン。大好きです。ビーフンは台中にほど近い新竹の名産です。85歳になる私の父は新竹出身で14歳まで日本統治下の台湾にいました。当地に幼なじみも多く、よくビーフンを送ってもらっていたので我が家の食卓にはビーフンが大皿に盛られて出てくることが珍しくありませんでした。なつかしい味でした。

そんな話を台湾の人にすると「佐藤さんのお父さんは『湾生』(わんせい)なんですね」と言います。「湾生」とは日本統治時代に台湾に生まれ、戦後本土に戻った人を指す言葉だそうです。歴史の中で生まれた言葉を知りました。

2017年12月13日 10時00分

台中で「邱さん」!!

そう言えば、「キャッチ!」の台湾ロケでお世話になった通訳兼コーディネーターの邱(きゅう)さん。彼のメガネは去年日本のテレビドラマで星野源さんがかけていたものと同タイプ。ドラマは台湾でも大ヒットしたため、台湾のメガネ男子はほとんどコレでした。邱さんも日本のテレビ番組が大好きな青年。

ならばと、私は「日本大好き」の邱さんに「新垣結衣さんも綾瀬はるかさんも実際に見たことがある」、「渡辺謙さんにインタビューしたことがある」、「郭源治さんの家に行ったことがある」、「吉田沙保里選手の車の助手席に乗せてもらったことがある」と持ちネタを大人げなく一挙公開しました。

すると、明らかに邱さんの私を見る目が変わったのです。そして、満を持してスマホにあった古坂大魔王さんとのツーショット写真を見せると・・・。「こ、これはあの・・・?!」。

その瞬間、邱さんは単なる地方局のオッサン社員である私をひとかどの人物と勘違いしたのです。笑ってしまいました。帰国後、邱さんからLINEで「佐藤さんと仕事をできたのは僕の光栄です」と若干違和感のある日本語で感謝のメッセージが届きました。

26歳の邱さんは祖母も父も旅行案内業とのこと。私が東京で泊まったことのあるホテル一階のコンビニエンスストアが日本に留学していた時の邱さんのアルバイト先だったという偶然もあり、お互い親近感を感じて仕事ができました。お世話になりました。

2017年12月12日 10時00分

台中の名所で「ズボンの裾めくり」!!

「キャッチ!」の台湾ロケ。目的は「インスタ映え」する写真を撮ることでした。目指すフォトジェニックポイントは「高美湿地」。広大な干潟が夕日を浴びて幻想的な光景を見せる人気スポットで、沖に伸びる500mの桟橋を歩きながら絶景を楽しみます。台湾の旅行ガイドブックにはもれなく紹介されている観光名所で、竹内結子さんがここでCM撮影しています。

台中の中心部から車で約1時間。日没直前のチャンスを狙って現場に到着。同じ目的の多くの見物客であふれていました。

ところが予想外の出来事が発生。高美湿地に突き出た観光用の桟橋をフェンスが遮っていました。この湿地に生息する野生生物保護に配慮したものに改修するため立ち入り禁止になっていたのです。

海外出張までして最大の目的を果たさないまま帰るわけにもいかず、角度を変えて堤防道路から湿地へ入ることを試みることに。日の入りまで時間がなく大慌てでズボンの裾をめくって素足になり高美湿地に降り立ちました。

あとは「インスタ映え」へのトライあるのみ。この日は雲が厚く夕焼けにならず、広大な灰色の干潟でしたが、景勝地の自然を楽しむことができ得難い経験でした。

「ボリビアのウユニ塩湖に似ている」と海外の旅行者から「行ってみたい場所」に挙げられている「高美湿地」。条件が合わなければ見られない光景とはわかっていても、ガイドブック通りの写真を撮りたかったなぁ。「インスタ映え」も楽じゃない・・・。

2017年12月11日 10時00分

台中で「ダンスパレードフェステバル」!!

「キャッチ!」の「インスタ映え」企画台湾ロケ。3日間で30万人の観衆を集めた大イベントを見てきました。

去年から始まった「台中国際蹂舞祭」。ダンスパレードフェスティバルです。

ダンスチームが色とりどりの独創的な衣装を身にまとい台中市内中心部で舞い踊る大規模なイベント。

参加したのは台湾の大学生・専門学校生・高校生を主体とする12組と日本からやってきた5組のパフォーマンスチーム。

メーンストリートは眺めが久屋大通に似ていました。

毎年夏に名古屋・栄で開催されている「にっぽんど真ん中祭り」で常連の東海3県のチームが招待されていました。

犬山市の「笑‘‘」(じょう)。

瑞浪市の「BASARA瑞浪」。

津市の「安濃津よさこい HAPPY ARCHIVE」。

地元・台湾のチームは優美で伝統的な民族舞踊をアレンジしたものが多かったのですが

わが日本のチームは動きがダイナミックで明るく軽やかな演技で台湾の観衆を魅了し握手攻めにあっていました。台湾で日本のテレビドラマやアニメ人気が高いことは知っていますが、実際に日本のものが現地でウケている様子を見るのは誇らしく楽しいものですね。

 

 

 

 


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