2020年07月31日 23時47分
昭和45年頃はまだ名古屋でも、関西本線で蒸気機関車が見られました。その基地は稲沢機関区。D51形が主力で、間近に見るとその大きさと力強さに心奪われました。
蒸気機関車と言えば扇形車庫と転車台(ターンテーブル)。
ところでこの時代、住所氏名を備え付けのノートに書けば入れてくれる機関区は結構ありました。ここ稲沢もその一つでしたが、勿論入れて頂くので、職員の方がいれば私から先の挨拶は欠かしませんでしたが、その方達も「どこから来た?」「気を付けて動けよ!」とか声を掛けてくれ、人と人との触れ合いがありました。蒸気機関車が消えてから、機関区に足を運ぶこともなくなり、その内に機関区は私たちのようなマニアの立ち入りは禁止になっていました。
入換で使われていた9600形蒸気機関車。10年ほど前に、たまたま蒸気機関車の機関士をされていた方とお話しする機会があったのですが、昭和40年代にあっても既に老体だったこの機関車ですが、本線での運転はともかく構内での使い勝手がよく、それで蒸気機関車の終焉まで生き延びることが出来たそうです。ご長寿さんにはやはり長生きする理由があるということを知りました。
C50形も昭和46年の稲沢機関区無煙化までここで活躍していました。名古屋界隈で客車を牽いていたかどうかまで調べきれませんでしたが、入換用としては最後の最後までここで暮らしていました。
今日の〆はやはり転車台。モノクロームがこれほど似合う被写体は蒸気機関車以外に考えられないと改めて思う、