私が会員になっているNPO法人名古屋レール・アーカイブスによる第10回名古屋レール・アーカイブス資料展「走れ!夢の超特急~世界が認めたSHINKANSEN」の展示物の製作のこと。

今回はコロナ禍ということもあり、やれる範囲で作ろう(30枚程度)というところからスタートしましたが、結局41枚になりました。
やってみて気付いたのは、私にとっての「新幹線」がかつての特別な存在から、いつの間にか日常の足になっていたということです。
東京出張時の新幹線車内は、資料作りか睡眠補給の時間で、移動の手段というより時間の帳尻合わせのために乗っているようなものでした。
また福岡出張時も、周りからは「稲見さんは当然、新幹線ですよね」とか言われましたが、使っていたのは専ら飛行機で、驚かれたりもしていました。

さて私の新幹線体験。希望に胸膨らませ、人生の門出のはずが落ち武者になるとはまだ知る由もない至福の2時間2分でした。(こんな乗車券を残している段階でアウトだと今更ながら両親に申し訳ないと思う)
ただ受験だから「新幹線」の乗ったことだけは間違いありません。
この時から1年の後、年に数回名古屋~東京を往復することとなりましたが、新幹線は私にとっては「いつもの」選択ではなく、「いつもの」は、大垣夜行と高速バスでした。

ところでそんな昭和40年代~50年代の新幹線はどんな存在だったのでしょうか?
「ことぶき入場券」がその1例ですが、大安吉日の新幹線ホームでは、新婚旅行に向かうカップルを見送る人であふれ、後にホームでの使用が禁止になるクラッカーの音がそちこちで鳴り響き、新郎の胴上げ、万歳三唱は見慣れた光景でした。
また転勤で赴任する人の見送りもよく見られ、新婚さんの見送りと違うのは、クラッカーがないのと、時にホームで繰り広げられる人間模様を感じるシーンでした。
当時でもビジネス客の方が圧倒的に多かった新幹線でしたが、それでも「新幹線」に乗ったことが話の種になった時代であったとするのに異論は少ないかと思います。
今回、そんなことを一つ一つ思い出しながら、自分にとっての「新幹線」って何だったのだろうとか思い出しつつ写真を選び資料を眺めていたら、朝日新聞の取材を受ける中でつい「かつては夢と冒険の乗り物だった」という言葉が出てしまいました。
でもそんな純粋な気持ち、当時はあったんだよね。きっと。
https://www.asahi.com/articles/ASN7K00VHN7COIPE001.html