今の近畿日本鉄道/京都線は昭和3年(1928年)、当時の奈良電気鉄道の手でまずは11月3日に桃山御陵前駅~西大寺駅間が、そして同年11月15日に京都駅~桃山御陵前駅間が開業し全線が開通しました。
その後奈良電と近鉄とは昭和38年(1963年)10月1日に合併し、今の近鉄京都線となっています。
その奈良電~近鉄京都線ですが、京阪電気鉄道との間で相互乗り入れをしていた時期があります。
以下、近鉄のウェブサイト/近鉄ストーリーからの転載。
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奈良電気鉄道 昭和20年12月21日 京阪神急行電鉄との相互直通運転の開始 (丹波橋・三条間)
昭和43年(1968年)12月20日 京阪電気鉄道との相互直通運転の取止め (丹波橋・三条間)
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現在の近鉄と京阪の「丹波橋」駅は正に隣どおし。それではどんな風に相互乗り入れを行っていたのでしょうか?

(画像提供:国土地理院)
昭和36年(1961年)5月1日撮影の京都島南部の航空写真から丹波橋付近をトリミング。これだとなんのことかさっぱり分かりませんね。

現在の2つの丹波橋駅との関係を絵解きすると、赤枠が京阪の丹波橋駅で青枠が近鉄丹波橋駅。
オレンジ色の線が京阪の京阪本線で、緑色の線が近鉄京都線。それ以外に赤色と青色の線の所にも線路が見えます。

これは北側のブロックですが、解像度は低いものの奈良電と京阪を繋ぐ線路の存在が確認できます。

こちらは南側のブロック。奈良電と京阪を繋ぐ線路がはっきりと確認できます。と言いたいところですが、これまでの航空写真を見ると現在の近鉄丹波橋駅付近の影が薄いことに違和感を覚えます。
それもそのはず、昭和36年(1961年)当時の丹波橋駅は京阪の丹波橋駅1つだったのです。
元々奈良電と京阪は別々の線路を走っていたのですが、奈良電が京阪の丹波橋駅に乗り入れる形で駅を統合。そのために上の写真で赤線、青線のところに新たに線路を敷設。それに伴い(京阪)丹波橋駅の東側の(奈良電の)線路は廃止されました。なお現在の近鉄丹波橋駅の場所には、奈良電の「堀内駅」がありましたが、統合時に廃止されています。
その後、近鉄(奈良電)と京阪の相互乗り入れ解消を前にした昭和42年(1968年)3月、近鉄はかつての奈良電が走っていた場所に線路を再敷設、堀内駅跡に近鉄の特急・急行系統専用の丹波橋駅を設置しました。その後も(従来の京阪)丹波橋駅も引続き使用されていたのですが、同年12月、相互乗り入れが取りやめとなりました。近鉄丹波橋駅はこれ以降、現在の形となっています。
※参考資料「近畿日本鉄道100年のあゆみ : 1910〜2010」
(奈良電の線路)
*昭和36年当時の経路…緑色の線~赤色の線~丹波橋駅~青色の線~緑色の線
*昭和43年以降は緑色の線
ところでなぜ唐突に近鉄と京阪の相互乗り入れの話を始めたかの理由ですが、10月30日(土)、「元鉄道広報マン福原稔浩さんと歩く近鉄京都線ウォークとトレインビューホテル見学」という少々タイトルの長いツアーに参加し、この連絡線跡を探訪したことによります。

昭和35年(1960年)10月号の時刻表。

(奈良電)京都駅~(京阪)京阪宇治駅間の電車は「京阪電鉄」の宇治線に付随する形での掲載。

(京阪)京阪三条駅~(近鉄)奈良駅間の電車は、近鉄ブロックの奈良電・近鉄奈良線の時刻表の中に掲載されていました。当時、奈良電は西大寺駅から近鉄奈良線に乗り入れ奈良駅まで走る電車が設定されており、つまりこの電車は京阪~奈良電~近鉄の3社直通運転をしていたわけです。
相互乗り入れは同じ電圧、同じような大きさの電車だけではなく、互いのメリットがあって成り立つものです。結局近鉄の600ボルト⇒1500ボルトへの昇圧や車両の大型化もあり、最終的に相互乗り入れは解消されるのですが、現在の2つの丹波橋駅は離れてはいても同じ駅構内ともいえる構造であり、相互乗り入れ当時と比較し、今となっては「不便になった」という実感は少ないのではないかと思われます。