2021年11月16日 12時52分

近鉄京都駅直上のトレインビューホテル。

10月30日、「元鉄道広報マン福原稔浩さんと歩く近鉄京都線ウォークとトレインビューホテル見学」の最後は「都シティ 近鉄京都駅」からの眺望を楽しみました。何せこのホテルは近鉄京都駅ホームのすぐ上にあり、JRの在来線、新幹線に挟まれているという鉄道好きな者にとっては堪らない立地です。

新幹線車内から撮影したホテル。新幹線の線路に沿ってホテルが建っているのが分かります。

今回は、3階の3部屋を撮影用に解放して頂いており、まずは部屋に入る前にエレベーターホールからの眺望を楽しみます。京都駅は列車の本数は多いはずなのに、カメラを構えるとなかなか来ない。

たった5分が、久しぶりに長く感じました。まあ時刻表を調べれば済む話しではあります。

新幹線側の部屋からの眺望はこんな感じ。電車と目線の高さが同じなのでいつもより新幹線に親しみが湧きます。また新幹線の始発前に走る「確認車」を見るならば最適な場所です。早朝に横になって見られる場所はそうそうは無いはず。

在来線側の部屋。ベッドが窓際にあり、これでは夜、眠れないかも。サンライズの通過時間は…とか考え始めるときりがありません。

角部屋。眺望も開けています。

名古屋では見られなくなって久しい117系がお目見え。

近鉄京都駅に出入りする電車の撮影にもうってつけ。

名古屋にもトレインビューホテルはありますが、このホテルの特徴は視点の高さが低いことだと思いました。

余談ですが、近鉄のホームがカーブしているので、このホテルも緩やかなカーブの建物です。

2021年11月15日 22時32分

近鉄澱川橋梁(よどがわきょうりょう)。

桃山御陵前駅~向島駅間にある澱川橋梁(よどがわきょうりょう)。

今回のツアーの目的の一つで、1928年(昭和3年)に作られた鉄製トラス橋。

文化庁「国指定文化財等データベース」の解説文からの転載。

『旧奈良電鉄によって宇治川に架けられた下路式曲弦プラット分格トラス橋。陸軍演習に支障がないよう無橋脚橋梁として建設され,我が国の単純トラス橋で最大の径間長165mを誇る。関場茂樹の設計で,神戸川崎造船所製作。宇治川の鉄道景観を代表する建造物。』

つまりこの橋の周辺が陸軍の演習場でなければ、ワンスパンでこの橋が造られることなく、そうすると橋桁が複数ある普通の橋になっていたかもしれないということ。もっともそうなっていればこうして登録有形文化財(建造物)として、改めてその価値を認められることはなかったかも知れません。それにしても「径間長165m」が架橋当時から今に至るまで日本記録を保持しているという事実は凄いことだと思います。

ただし、そうした橋を架けなければならない事情はそう多くはないという証(あかし)でもあるそうです。

もっとも大鉄道会社とは言えなかった奈良電にとって、この橋の建造がどれほど経営に影響をもたらしたかは想像に難くありません。また昨日の高架下商店街ですが、これも陸軍の関係で、地平ではなく高架になったそうで、決して奈良電が望んだ結果ではないそうです。

造形美という言葉を思い浮かべるほど美しい形状の橋だと思います。

もっともその形ではなく橋としての役割において、鋼鉄の塊ともいえる(昭和初期の)電車が6両編成ですれ違っても問題のない強度で最初から設計されていたそうです。

10:09、ここでの最大のイベントである京都駅発賢島駅行き「しまかぜ」が走り抜けていきました。

10月30日(土)、近鉄京都線歴史探訪jの旅はこれにて終了です。

2021年11月14日 21時43分

近鉄(京都線/旧奈良電鉄)と京阪の相互乗り入れ時代の遺構。そして桃山御陵前駅。

さてここからが本題。京阪の丹波橋駅1番線ホームの北側。安全側線がまっすぐで、そこから分岐する形で副本線が本線に合流します。

安全側線がまるで本線が如くの直線であることが奈良電(その後の近鉄京都線)に向かう線路形状の名残り。

北側から丹波橋駅方向を見れば、言われればなるほどの配線としての特徴があります。

駐輪場は線路の跡とのこと。その先に肉眼では近鉄の線路が見えており、確かにここに線路があったことを実感できます。

一方こちらは(京阪)丹波橋駅の南側。明らかに京阪の本線から分岐し、別方向に向かう線路があったと納得できます。もっとも案内役の元近鉄電車の広報マン福原稔浩さんの解説を聞きながら回ったので私が今、こうして訳知り顔で書けるわけですが、例えば資料を渡されそれを参考に歩いたとしても、半分も理解できたかどうか自信がありません。

こちらは近鉄の桃山御陵前駅のすぐ北側。ここで(京阪)丹波橋からの線路と(現在の京都線の)本線が合流。つまり現在の近鉄京都線桃山御陵前駅から北方向に、近鉄丹波橋駅北側の京阪との立体交差の先までの区間は、奈良電(近鉄)と京阪が相互乗り入れしている時代には線路がなかったということになります。

何度も乗ったことのある近鉄京都線と京阪本線。こうして新たな知識を得て、次回ここを電車で通るときはきっと先頭車でかぶりつき。

(桃山御陵前駅)

今日はもう一つ、近鉄桃山御陵前駅南側の高架下商店街。

この写真は桃山御陵前駅から奈良方面に向かう電車を撮影したものですが、この電車の走っているところは高架線。そしてこの線路の下には、今は耐震工事の関係で規模は小さくなりましたが、今も昭和の面影を色濃く残す商店街があります。

この写真の右側がその商店街があるところ。

何とも懐かしい風情あり。

ラーメン屋さんの提灯も「高架下」。

商店街は桃山御陵前駅からすぐの一角だけが現在も盛業中ですが、そこを過ぎればこのように工事中。

ドラマのロケも行われるとのことですが、確かに主役の警察官が犯人を追いかけるには絶好のロケーション。

私が持っている京都の町のイメージとはかなり異なりますが、関西のガード下ならありですね。

ということでこの日の昼食は「復刻 元祖高架下ラーメン」。

2021年11月13日 16時28分

近鉄(京都線/旧奈良電鉄)と京阪の相互乗り入れ時代。

今の近畿日本鉄道/京都線は昭和3年(1928年)、当時の奈良電気鉄道の手でまずは11月3日に桃山御陵前駅~西大寺駅間が、そして同年11月15日に京都駅~桃山御陵前駅間が開業し全線が開通しました。

その後奈良電と近鉄とは昭和38年(1963年)10月1日に合併し、今の近鉄京都線となっています。

その奈良電~近鉄京都線ですが、京阪電気鉄道との間で相互乗り入れをしていた時期があります。

以下、近鉄のウェブサイト/近鉄ストーリーからの転載。

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奈良電気鉄道 昭和20年12月21日  京阪神急行電鉄との相互直通運転の開始 (丹波橋・三条間)

昭和43年(1968年)12月20日 京阪電気鉄道との相互直通運転の取止め  (丹波橋・三条間)

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現在の近鉄と京阪の「丹波橋」駅は正に隣どおし。それではどんな風に相互乗り入れを行っていたのでしょうか?

(画像提供:国土地理院)

昭和36年(1961年)5月1日撮影の京都島南部の航空写真から丹波橋付近をトリミング。これだとなんのことかさっぱり分かりませんね。

現在の2つの丹波橋駅との関係を絵解きすると、赤枠が京阪の丹波橋駅で青枠が近鉄丹波橋駅。

オレンジ色の線が京阪の京阪本線で、緑色の線が近鉄京都線。それ以外に赤色と青色の線の所にも線路が見えます。

これは北側のブロックですが、解像度は低いものの奈良電と京阪を繋ぐ線路の存在が確認できます。

こちらは南側のブロック。奈良電と京阪を繋ぐ線路がはっきりと確認できます。と言いたいところですが、これまでの航空写真を見ると現在の近鉄丹波橋駅付近の影が薄いことに違和感を覚えます。

それもそのはず、昭和36年(1961年)当時の丹波橋駅は京阪の丹波橋駅1つだったのです。

元々奈良電と京阪は別々の線路を走っていたのですが、奈良電が京阪の丹波橋駅に乗り入れる形で駅を統合。そのために上の写真で赤線、青線のところに新たに線路を敷設。それに伴い(京阪)丹波橋駅の東側の(奈良電の)線路は廃止されました。なお現在の近鉄丹波橋駅の場所には、奈良電の「堀内駅」がありましたが、統合時に廃止されています。

その後、近鉄(奈良電)と京阪の相互乗り入れ解消を前にした昭和42年(1968年)3月、近鉄はかつての奈良電が走っていた場所に線路を再敷設、堀内駅跡に近鉄の特急・急行系統専用の丹波橋駅を設置しました。その後も(従来の京阪)丹波橋駅も引続き使用されていたのですが、同年12月、相互乗り入れが取りやめとなりました。近鉄丹波橋駅はこれ以降、現在の形となっています。

※参考資料「近畿日本鉄道100年のあゆみ : 1910〜2010」

(奈良電の線路)

*昭和36年当時の経路…緑色の線~赤色の線~丹波橋駅~青色の線~緑色の線

*昭和43年以降は緑色の線

ところでなぜ唐突に近鉄と京阪の相互乗り入れの話を始めたかの理由ですが、10月30日(土)、「元鉄道広報マン福原稔浩さんと歩く近鉄京都線ウォークとトレインビューホテル見学」という少々タイトルの長いツアーに参加し、この連絡線跡を探訪したことによります。

昭和35年(1960年)10月号の時刻表。

(奈良電)京都駅~(京阪)京阪宇治駅間の電車は「京阪電鉄」の宇治線に付随する形での掲載。

(京阪)京阪三条駅~(近鉄)奈良駅間の電車は、近鉄ブロックの奈良電・近鉄奈良線の時刻表の中に掲載されていました。当時、奈良電は西大寺駅から近鉄奈良線に乗り入れ奈良駅まで走る電車が設定されており、つまりこの電車は京阪~奈良電~近鉄の3社直通運転をしていたわけです。

相互乗り入れは同じ電圧、同じような大きさの電車だけではなく、互いのメリットがあって成り立つものです。結局近鉄の600ボルト⇒1500ボルトへの昇圧や車両の大型化もあり、最終的に相互乗り入れは解消されるのですが、現在の2つの丹波橋駅は離れてはいても同じ駅構内ともいえる構造であり、相互乗り入れ当時と比較し、今となっては「不便になった」という実感は少ないのではないかと思われます。

2021年07月24日 22時56分

近鉄時刻表。2021年7月 3 日(土)ダイヤ変更号。

近鉄の時刻表で間違いなく初めてのパターンであろう「ダイヤ変更」号。

ダイヤ「改正」ではなく、「変更」となったことに今のコロナ禍の影響を感じます。

このブログでは変更点については触れませんので、詳細は近鉄のウェブサイトをご覧頂くとして、紙の時刻表の話。私個人としてはこれからも継続して紙の時刻表が発行されることを願うばかり。ネットの検索で○○駅を□時△分に出発して…といったような「移動」についての時刻は瞬時に調べられます。ただ最短時間を調べるのではなく、急行と各駅停車を組み合わせて移動しようとするなど、なにがしか“面白い”行程を調べようとすると、紙の時刻表が秀でていると思っています。

2021年07月02日 11時42分

近鉄の「硬券入場券」。(番外編)

現在、近鉄では土日祝の特急で運休になっている電車があります。これは近鉄四日市駅に貼りだされていた現状での時刻表ですが、半来はあるはずの毎時19分発の特急がありません。なお平日の19分発は運転されています。

この電車は伊勢若松駅で撮影。近鉄四日市駅を14:14に出た宇治山田行き急行で、本来ならばここで後続の特急に道を譲ります。実際には抜かれることのない運転停車状態で、早発と言ったダイヤの変更はしていません。

伊勢若松駅の駅舎は現在、工事中。

ところで出札窓口にはこの貼紙あり。一瞬「えっ!どうしよう?」と思ったのですが、駅員さんに聞いたら、入場券はすぐに発行して頂けました。それでも結構驚いたのは事実です。

近鉄の桜駅は、停車中に撮影。一応、来た証。

桑名駅は昨年、新駅舎が開業しており、その記念の案内が窓口にありました。しまかぜは停車しませんが、近鉄を代表する車両と言うことのようです。

新駅舎の自由通路から撮影。時間の都合で近鉄、JRとも電車の姿は無しでの撮影。かろうじて北勢線の電車の姿が見えます。桑名市役所では開業時に「電車が撮れる!」と宣伝していましたが、架線と架線柱が多いので、工夫は必要。

話しを桑名駅の窓口に戻します。そこにはこんな古レールの展示あり。

桑名駅の陸橋の柱として使用されていたとのことで、製造された年代の記述はありませんでしたが、それでもこうして以前の名残を留めることは、価値があると思います。

最後に近鉄蟹江駅。構内踏切があるのがポイント。200万都市に隣接する市町村の大手私鉄の優等列車停車駅で、この姿が見られるのはかなり珍しいでしょう。いつまでも残って欲しいと言うことではありませんが、昭和で時代が止まっていると思うのは私だけではないでしょう。

2021年07月01日 20時56分

近鉄の「硬券入場券」。(後編)

今日は券面の裏側。なのですが今回はこちらが主役かも?

戸田駅と佐古木駅なのですが、「戸田駅発行」「佐古木駅発行」の下に「近鉄蟹江駅(企)」の文字が…。

近鉄長島駅、伊勢朝日駅、霞ヶ浦駅、阿倉川駅には「桑名駅」。

川原町駅は近鉄四日市駅、桜駅は湯の山温泉駅、鈴鹿市駅は伊勢若松駅。

種明かしは2011年(令和3年)6月21日(月)から2022年(令和4年)3月31日(木)の間、ご覧の駅の「硬券入場券」の発売駅が変更され、括弧()内の駅での発売となったのです。つまり桜駅の入場券は桜駅で買うことは出来ず、湯の山温泉駅まで行かなければなりません。

では実際に、桜駅の構内に入るために湯の山温泉駅まで入場券を買いに出掛ける人はいるのでしょうか?これについては、券番号からも分かるように今回の変更に伴い新たに印刷された物であり、実用に供すると言うよりはどう見ても収集マニア向けでしょう。

されはさておき、券番号を見ると同じ駅での取り扱いでもばらけていたりします。私のように全部買う人もいるのでしょうが、そうで無い人もいるというのが興味深い現象でした。

ところでこの硬券入場券ですが、6月20日までは各駅で発売されていたので、今回、該当駅の窓口が終日無人化されたということなのでしょうか?調べ切れていないので憶測でしかないのはご容赦下さい。

なお私の知人で入場券収集をされている方は今後、全駅制覇を目指すそうです。

2021年06月30日 14時38分

近鉄の「硬券入場券」。(前編)

最近、硬券の乗車券、入場券が人気のようです。私自身もどうせ集める(買う)なら「硬券」という気持ちはあったりします。

そこで近鉄の硬券入場券。

まずは戸田駅と佐古木(さこぎ)駅。

話しは飛びますが、「さこぎ」えきをかつて、「さこき」えきと読んで利用者の知人から訂正された経験あり。

近鉄長島駅、伊勢朝日駅、霞ヶ浦駅、阿倉川駅。

その中で伊勢朝日駅。この駅のある三重県三重郡朝日町は1889年(明治22年)から「朝日」(当初は村。その後、町となる)を名乗っており、同駅は伊勢電鉄の駅として1929年(昭和4年)1月30日に開業しました。

何故こうしたことを書いているかと言えば、同じ町内にあるJRの駅が「朝日駅」を名乗っているから。その駅の開業が1983年(昭和58年)なので、町内の駅の差別化という意味で「伊勢」を名乗っている訳ではなく、恐らくですが、全国に「朝日」を名乗る自治体が幾つかあるのでそれとの区別かも知れないと思っているものの、正解や如何に?

川原町駅、桜駅(と言っても名鉄ではなく近鉄湯の山線)、鈴鹿市駅。

以上、9駅に共通点あり。

こちらの4駅にプラス

桑名駅。近鉄名物「ご当地入場券」なのは折角なので購入した次第。湯の山温泉駅が「ご当地入場券」でないのは、単に持っていたからですが、実は今回、行方不明になっていることが発覚。

それはともかく合わせての5駅の共通点は有人駅であること。(窓口の開いている時間が限られている場合あり)

これから先は明日に続く。

2021年06月27日 22時58分

ありがとう「名鉄カルチャースクール」。昨日、今日の講演会報告。

まず昨日(6月26日)は近鉄の広報部/福原稔浩(ふくはらとしひろ)さんによる「名鉄のお膝元で近鉄名物広報マンが語る鉄道の魅力」。

久々の福原節を生で堪能。

福原さんのお話の一例。近鉄名古屋線の前身、関西急行電鉄が名古屋に到達したのは1938年(昭和13年)6月。「当時と変わらないのが近鉄米野駅すぐの『出る電』スポット。」だそうです。毎度の事ながら、福原さんの調査による報告は目から鱗の連続です。

※2019年8月25日、名古屋プリンスホテル スカイ​タワーから撮影。

見慣れた風景ではありますが、これからここを通るときには少し気持ちが変わりそう。

上本町~宇治山田間で使用された特別車。これは私も初見。

今でいえばさながら「しまかぜの和風個室」などと色々思い浮かべながらの90分+α。

福原さんのその知識を表現する語り口は「話芸」の域だと思う私ですが、皆さんも講演会に参加するチャンスがあれば是非、どうぞ。知的好奇心をくすぐられること間違い無しのお勧めです。

ところで昨日の講演会にはおまけがあり、夕方から名古屋市中村区の会議室をお借りし、福原さんによるこれまでの「鉄道イベント」参加者を中心とした会費制の延長戦(講演主体のアフター会)が行われました。

お土産は「駅弁のあら竹」の「松阪名物黒毛和牛 牛めし」。あら竹さんと言えば「元祖特撰牛肉弁当」が私にとっては一番の馴染みですが、この「牛めし」もお気に入りです。

本来ならば参加者同士の懇親も含め、ビール片手に駅弁をつつきながら福原さんのトークに皆で、ちゃちゃをいれながら楽しむ!という会になるはずだったのですが、それはまた次回のお楽しみ。

駅弁は家でゆっくり楽しみました。

ところで表題の「ありがとう」ですが、この講演会を開催した「名鉄カルチャースクール」さんへのお礼という意味もありますが、実は名鉄カルチャースクールは、入っているビルの営業終了に伴い、今月末で閉校。その最後を飾る特別講座の一つがこの講演会だったのです。「ありがとう」は鉄道系の講座をいくつも開講してくれた同スクールへのお礼の意味もあります。(続く)

2021年06月14日 17時56分

磁気式記念入場券と硬券の記念入場券。

近鉄の「ひのとり運行開始1周年記念入場券。

硬券の入場券。実際に使えますが、使う人はきっといないでしょう。でも時々猛烈に受かってみたくなり、記念入場券に改札の押印を入れてもらいたくなります。

名鉄の最近の記念入場券。磁気式で、「限定」というしばりがなくなり、収集マニアとしては、買うことは買うものの収集意欲は多少そがれるかも知れません。一方で、発売期間内ならばいつでも手に入るというメリットがあります。(だから両方とも私の手元にある)

今日はどちらがマニアの心をくすぐるかという比較対象の話しでは無く、磁気式でOKなので、1色だというのが残念と言うのが私個人の感想。せめて2~3色になればといいなあと思いつつも、きっと難しいのでしょうね。

ところでなぜ、唐突にそんなことを思ったのか?それは名探偵コナンとパノラマカーだから。コナンは総天然色のアニメですし、パノラマカーはやっぱり赤くないと気分が出ないという何とも個人的な理由です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!