2021年10月30日 22時34分

名古屋港線の8660レ、DE10+レール運搬用キヤ97。

毎週火・木・土にしか列車が走らない線が名古屋市内にあります。

名古屋港線(なごやみなとせん)という貨物線で、JR東海/名古屋資材センターに出入りするレール運搬車/キヤ97をけん引する8660レ、8661レが設定されているのですが、それ以外の列車の設定はありません。

上記の2枚の写真は10月19日の8660レ(名古屋駅方面行き)。場所は商業施設「ららぽーと名古屋みなとアクルス」のみどりの大広場。

10月26日の同じ場所。シートレインランドの観覧車を孔雀の羽に見立てのですが、逆光ではやはり…。

今回はたまたま「ららぽーと」内のお店に行く用事が2週続けてあったので撮影したのですが、運が悪いとこの写真のようにDE10が単機ということもあります。また運休ということもあったりもします。

2021年09月27日 16時17分

爺散歩。ドクターイエローの巻。

本日の爺散歩。

名鉄西尾線桜井駅からスタート。

徒歩20分ほどで田園地帯に到着。新幹線の車窓からいつも見ていた風景の中からの撮影。

実りの秋。

N700Sも随分見かけるようになった気がします。

16両編成を地平で見通せる貴重な場所。

13:14、定刻(多分)にドクターイエローが通過。青空が気持ちいい。

後ろ打ち。こんな場所で撮影していました。という説明カット。

本日の歩数は9390歩。

2021年09月22日 23時05分

敬老の日。

一昨日の9月20日は敬老の日。ということで家族からのプレゼントあり。

冷凍で届いたその品は?

新幹線ドーナツセットオリジナルトートバッグ付

左下;新幹線ドーナツ イエロー…ずばりドクターイエロー。

右下;新幹線ドーナツ 0系…雰囲気が伝わってきます。

上;新幹線ドーナツ ホワイト…N700Sのイメージでしょう。

ドーナツセットには新幹線が3個とオリジナルのドーナツが7個入っています。

美味しかったのは良しとして、ドーナツが入っていた段ボール箱が捨てられない。さてどうしよう。

2021年09月08日 10時35分

100円ショップの組立鉄道模型。E5系とE6系。

E5系とE6系。そもそもですが、JR東日本の新幹線車両(に、限らず在来線も含めてですが)の中でも、この2つの形式の色は秀逸だと思っています。

特にこの2つの形式の連結運転は、何とも言い難いものがあります。

盛岡駅での連結は2度見ていますが、見物客が並ぶのも宜なるかな(むべなるかな)。2016年6月12日撮影。

実は、連結の逆の解結は見たことがありません。東京発のはやぶさに乗車したときはこまちの連結が無く、仙台からはやぶさ+こまちに乗車したときは、車内で爆睡していました。

2014年5月31日に仙台駅から乗車した列車の入線です。

先頭車のブロックには、連結器のパーツも入っており、そのおかげでこうした芸当が出来ます。

実際の解結は見たことがないので、模型で疑似体験。

2021年09月07日 21時59分

100円ショップの組立鉄道模型。ドクターイエロー。

組み上がったブロックの大きさですが、NゲージのD51と比較。Nゲージより一回り大きいですね。

細かいことですが、中間車はご覧のパンタグラフあり風ではなく、パンタグラフなし風にも出来ます。

ドクターイエロー。中間車のパンタグラフはともかく左側の先頭車と右側の先頭車では窓配置が異なります。これはこれで同じパターンの組立では無いので、時間がかかる原因になったりしました。

今回作ったのはN700系、ドクターイエロー、E5系、E6系そして車掌さん。我ながらよく頑張りました。と、自画自賛。

2021年09月06日 18時25分

100円ショップの組立鉄道模型。N700系。

7月4日に「100円ショップのおもちゃ。新幹線シリーズ。」をUPしましたが、タイトルを「組立鉄道模型」と題して、完成品の紹介。

まずは袋を開けて部品を出します。

一番小さい部品。4mm。

まずはN700系の先頭車を作る。説明書を読みながら何と1時間半以上も掛ってしまった。

2つ目は反省し、まずは部品を分類。

なおかつ説明書の一工程ごとに部品を並べ、それを順番に組んで行く。

なおかつ説明書の文字が小さいので拡大コピーし、それを見てみる。さすれば各ブロックの組み合わせ、同じ色のブロックが多いので苦戦していたのですが、それも1個1個はっきり分かり、それからの組立時間はスピードアップに成功。老眼鏡+ルーペで挑戦していたのですが、なぜそんなことをしていたのだろうと反省。

まあ100円ショップの「おもちゃ」だから簡単に組立られるだろうと高をくくっていたのがその原因。

因みに尾灯は赤色に設定出来るようになっていました。

2021年09月04日 21時53分

7月23日、東京駅。

2泊3日のすべての予定を終えて名古屋に戻ります。

4連休2日目の東海道新幹線ホーム。予想していた以上に閑散としています。

16:47に入線してきた東京駅発17:03、ひかり521号。14号車附近で列車を待つ人の姿がありません。

グル麺は休業中でした。

飛行機雲と夕焼け。美しいと思いました。そしてしばし目をつむる。

2021年07月28日 22時42分

鉄印帳の旅(1)しらさぎ1号。

コロナ禍の中での趣味の活動。
ワクチンの効果について、十分な免疫が出来るのは2回目のワクチン接種を受けてから7日後との事でしたので、そこから少し余裕を見て、まずは北陸~信越地方の鉄印帳の旅に出掛けました。ところでワクチンを接種したとしても、結局のところ万全とまではなりませんから、不織布マスクをして除菌スプレーをカバンに入れて持ち歩くなど、これまでと行動は全く変わっていません。もっともここ数日の感染者数を見ていますと、ワクチンを接種した身であっても二の足を踏みます。
7月21日(水)、まず目指すはのと鉄道の穴水駅。和倉温泉駅までの乗車券は思いがけない手書き。少々複雑な連続切符でお願いしたのでこうなったようですが、こうした手書きの乗車券はJRでは回収しなければならないそうで、和倉温泉駅で、記念に頂くことは出来ませんでした。
名古屋駅発7:50の特急しらさぎ1号金沢駅行き。
681系って、行先はLEDなのに愛称はまだ幕なのですね。知りませんでした。
こちらは今は使われない「雷鳥」。
やっと「しらさぎ」。この幕はいつまで見られるのだろう。
しらさぎ1号は昭和の時代から、仕事&プライベートで何度も乗っていますが、繁忙期は名古屋から、閑散期でも米原からは満席に近いという記憶があります。
しかし名古屋からはご覧の通りで、米原からでも席は半分も埋まっていません。かつての状況に戻るのはいつになるのでしょう。
伊吹山。旅に出ているという実感は、こうした風景の中にあるのかも知れません。
敦賀駅で見かけた速度制限標識。681・683系と485・489系のこの差は何だろう?
それとも4形式の制限が95キロで、それ以外が90キロとも見えます。正解は?

2021年07月22日 8時56分

コロナ禍の中で。東海道・山陽新幹線の時刻表。

新幹線の駅窓口などで配布されていた東海道・山陽新幹線時刻表。

エクスプレス予約の時代になってからでもズーッと重宝していました。ただ使える期間が終わると処分しており、この写真はNPO法人名古屋レール・アーカイブスの所蔵品。

その時刻表がコロナ禍の中で配布中止されているのを知ったのはつい最近。

便利だったよねという声は私のみならず私の周りの知人の間でも出ました。

名古屋鉄道の各駅にあったポケット時刻表も廃止されていますが、デジタル(スマホ)時代にあってもアナログの方が使い勝手が良い場合もあるというのが私の持論。

それでもデジタル時代だからこそ出来た、喫緊の課題である経費削減と思っています。

2021年07月20日 21時12分

名古屋鉄道株式会社の御乗車記念(の絵はがき)。天竜下りの謎が解けた。

岡崎市在住の地方史研究家/Fさんから再度の助け船。

2021年07月17日、18日に更新した記事で書いた「天竜下り」の謎が解けました。

三信鉄道電車の時刻表、の表面の右上。

佐久間駅のスタンプ。そこには天龍下りの図案あり。しかもスタンプのベースには一般的に知られている「天竜峡駅近くからの天龍下り」ともう一つ、「佐久間駅近くからの天龍下り」が描かれています。

私は17日に『もっとも長野県飯田市の「天竜川下り」ではなく、今の「中部天竜」駅の近くでそれがあったのかも知れません。』と書いていたのですが、図らずもそれが正解だったようです。私にとっても驚きでしたがそれ以上に、「自分の中の常識を疑え」という原稿を書く上での原理原則に立ち戻るきっかけにもなりました。

肝心の時刻表。スタンプの日付である昭和9年(1934年)11月11日時点で、ご覧の通り吉田(豊橋)~佐久間間(豊川鉄道~鳳来寺鉄道~三信鉄道を直通運転)が開通しています。吉田~佐久間(現在の中部天竜)間の所要時間は1時間58分で今の飯田線のダイヤとほぼ同じです。

ところでもう一度時刻表の表紙に戻ります。実はこのスタンプの日付は三信三輪駅から佐久間駅まで延伸開業した日。

Fさんは偶然、このスタンプの押された時刻表を手に入れたそうなのですが、日付を調べて驚いたそうです。

『スタンプの日付(9.11.11)は、三信三輪(現・東栄)-佐久間(現・中部天竜)間が開通した日であることが分かった。これは、開業日を記念して三駅を回って押印した当時の鉄道ファン?の手によるものだと思うと、貴重なものである。』とされており、私も確かにそう思います。何せ昭和9年のこと。列車本数もさほど多くない時代であっただけに、簡単に出掛けて手に入れたとは思えない「偉業」だとも言えそうです。ただそうした方のおかげで私の疑問が解けたわけで、Fさんだけではなく、先人にもただただ感謝しています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!