2022年01月02日 10時58分
昨日(元旦)は熱田神宮に初詣。
参道に大きなビジョンがあり驚き!!
おみくじを引きました。
旅行は、、、近きところ…とは悩ましい。
地下鉄名城線神宮西駅の改札口を入ったところに、新年に相応しいこれほど立派で生け花があることを知りませんでした。これだけでも十分、お正月気分。
昨日(元旦)は熱田神宮に初詣。
参道に大きなビジョンがあり驚き!!
おみくじを引きました。
旅行は、、、近きところ…とは悩ましい。
地下鉄名城線神宮西駅の改札口を入ったところに、新年に相応しいこれほど立派で生け花があることを知りませんでした。これだけでも十分、お正月気分。
1896年(明治29年)6月19日号の時事新報。
その中に、愛知馬車鉄道の広告あり。
もともと名古屋市内初の公共交通は、「馬」が車両を牽く鉄道での開業を目指しており、会社の名前も愛知馬車鉄道でした。
しかし明治29年、この広告にあるように馬車鉄道ではなく、電車が走る電気鉄道での開業を目指すこととし、1898年(明治31年)に(名前を変えた)名古屋電気鉄道によって笹島~県庁前(今の栄付近)が開通しました。
その後今を去ること99年前の1922年(大正11年)8月1日、名古屋電気鉄道の名古屋市内の軌道事業を名古屋市が買収。運営を行ったのは名古屋市電気局(後の名古屋市交通局)。名古屋市営の公共交通の歴史はこうして「市電」から始まりました。
なおこの画像はその年に名古屋市が発行した「電鉄市営記念絵葉書」の1枚をトリミングしたものです。
同じ絵葉書から、こちらは市電の路線図。今もこの路線があれば、どの辺りに走っていたかが一目瞭然なのですが、残念ながらそうはなりません。ただ当時の名古屋市営の交通網を少しでも感じて頂ければと思います。
と、何とも前置きが長くなりましたが、つまり来年は名古屋の市営交通100周年の記念すべき節目の年。
そこで今、地下鉄東山線名古屋駅の藤が丘駅方面行きのホームにある広告スペース、ビッグウォール(壁面広告と柱巻き)を使い、市営交通100年のPRがされています。
とはいうものの目立つのは名古屋グランパスの「鯱の大祭典」。実は今回のPRの主役はこちらで、市営交通100年も一緒に盛り上げようと、コラボしているそうです。
ところで今回、この話を詳しく書いている理由ですが、私が会員となっているNPO法人名古屋レール・アーカイブス(NRA)所蔵の写真が一部使われていること。
名古屋市が所蔵している写真に付随して、NRA所蔵写真が役に立っていることは、アーカイブズの役割を果たすことが出来、有難いことと感謝しています。
どの写真が名古屋市所蔵であるとかNRA所蔵という事ではなく、全体で名古屋の市営交通の歴史の一端を感じて頂ければ幸いです。
7月13日、16日にUPした回数券での乗換回数の件。
ちょっと気になっていました。
下の券面にある「3回」って何故だろう。
JRの駅でみかけた地下鉄の連絡定期券発行時の注意書き。地下鉄の乗換は3回までとなっており、戦前の回数券での乗換回数と一致しています。
「地下鉄の定期券は「一筆書き」で描ける経路で乗換が3回以内なら、お客様の便利な経路を選んで購入できます。」これは名古屋市交通局の公式サイト内の定期券購入方法にある文言。それにしても定期券を購入する場合は、最短距離で買うのが一般的でしょう。3回乗り換えて目的地に向かうことは簡単ですが、3回乗り換えるのが定期券として合理的な購入と思える区間を、私は見つけられずじまい。
なお東京メトロや大阪メトロのサイトでは乗換回数の決まりを見つけることが出来ませんでした。きっとあると思うのですが…。
7月13日の投稿の補足。2011年05月13日の記事で使用した写真。
「市電にはご覧の乗換券なるものがあり、電車が交差するところでは乗換が出来たことが読み取れます。」と書いたところ、岡崎市在住の地方史研究家/Fさんから、この乗車券では市電と市電の乗換となっていますが、戦前には市電と市バスとの乗換もあったとご教示頂きました。発行時期として最初の写真よりも少しあとのおそらく昭和10年~11年頃発行と思われる乗車券。
バス路線が赤い線となっている方が分かり易そうなので一枚だけを再掲。更にトリミング。赤文字の部分に「バス乗継」の文字があり、要するにここに鋏を入れないと乗換は出来ないと言うこと。
現在の名古屋市交通局では、マナカの利用でバスと地下鉄、バスとバスなどを乗り継ぐと大人で80円の割引となる乗継割引制度がありますが、それと同様の制度だったのかも知れません。
参考までに1936年(昭和11年)8月5 日発行の「最新改訂版名古屋地図」(丸新舎)にあった市電と市バスの路線図。こちらはまあ雰囲気ということで。
トリミング。「バス乗継」の乗車券とほぼ同時代の路線図のはずですが、全てのバス路線との乗継が出来たわけではなさそうです。
(余談)
一番上の市電の券面では「乗換」とあるのが、市電と市バスの券面では「乗継」とあります。どうやら当時、「乗換」と「乗継」では意味合いが異なっていたのかも知れません。
名古屋市電気局の回数券の続き。
バスに記載されていて、市電の回数券には書いていないこと。それは「自動車は乗換が出来ませぬ…」ということ。
一方、市電の乗換。このブログでは、2011年05月13日に名古屋市電の乗換券について触れています。
市電にはご覧の乗換券なるものがあり、電車が交差するところでは乗換が出来たことが読み取れます。
またよくよく見てみれば乗換は3回まで出来たようで、今なら名古屋の地下鉄の場合、改札を出なければ何度でも乗換が出来るので、公共交通の在り方として不思議ではないものの、私が知る名古屋市電にこうした乗換制度はありませんでした。しかしバスではそもそも、乗換制度は戦前から無かったことが読み取れます。
東京市電気局の電車回数乗車券。東京市が東京都になったのは1943年(昭和18年)なので、それ以前の発行です。
同じ会社の同じ製品の広告ですが、何故かデザインが異なっているのは謎です。
その注意書きにあった「電車からバスへ」。運賃が加算されますが、八銭払えば乗換が出来たことが分かります。
では市電と市電の乗換はどうかと言えば、結論から言えばOKだったのですが、私の手元には資料が無く、これ以上は書けません。いずれにしても今回寄贈された名古屋市、東京市の回数券は表紙はあるものの中身は無く、となればどんな切符だったのだろうと興味津々ではあります。もっともそれが贅沢な要望であることは承知しています。
名古屋鉄道の「御乗車記念(の絵はがき)」と一緒に寄贈を受けた品。
名古屋市電気局(今の名古屋市交通局)の回数乗車券。17回券、35回券、53回券の3種類があるのですが、数字の区切りがなぜこうなっているのかは不明。何か理由はあるはず。と、もっともらしく書いても良く見れば回答あり。
17回券は1円、35回券は2円、53回券は3円で細かい料金設定を回避したが分かります。
ところで今となっては鉄道やバスの世界にあって「回数券」は、ほぼ死語になりつつあるのではないでしょうか?
名古屋市交通局に磁気カード「リリーカード」が誕生したのは1988年(昭和63年)のこと。既にそれすら思い出の彼方となっています。
話を回数券に戻します。これらの発行時期は、同時に寄贈された他エリアの回数券から推察して恐らく1939年(昭和14年)前後ではと見ています。
バス(自動車)の回数券の表と裏。裏面は注意書きです。
文面を読むと電車(電気局の市電)にも乗ることが出来るとありますが、私の記憶の限りでは昭和の時代、名古屋市交通局の市電とバスの回数券ではそういう扱いは無かったはずで、これは便利な制度と思いました。
こちらは電車の回数乗車券。
結局のところ市電の乗車券でもバスに乗ることが出来るので、分けることも無かろうかと思いつつ、当時は車掌さんから買っていたと思われることから、基本、バスの乗客はバスの回数券、市電の乗客は市電の乗車券とし、収入の主体がちゃんと分かるようにしていたのでしょう。(私の推理)
最後に回数券の中面。ちゃんと広告が入っていました。
因みに右上の「星製薬」は今もあります。
リーランプ、リートロンはネットで検索すると、某か出てきますが私には良く分からない。ここから先に踏込むことは止めておきます。
6月26日に名鉄カルチャースクールで行われた南田裕介さんの講座に触発されました。
天井に直接取り付けられた吊革が名鉄名物とは知りませんでした。講演会の時、参加者の中には頷いておられる方もいたので、どうやら知っていた人はいるようでした。
こちらは地下鉄車内。なるほど!
ところでどうして名鉄電車の吊革は天井に直接付けられたのでしょう?
また最近の電車でそれを止めたのは何故でしょう?これも研究課題になりそう。
20周年を迎えたゆとりーとラインの開業時の写真。
大曽根駅。
地平区間の竜泉寺バス停。一見すると今と変わらない?
いえいえおでこの方向幕周りが大きく違います。このバスでは左端に名古屋市交通局のマークあり。
こちらは名鉄バスのマーク。
開業時は、市バス、名鉄バス、JR東海バスの3者の路線を名古屋ガイドウェイバス株式会社の「ガイドウェイバス志段味線」に統合し、共同運行形式となっていました、そのためバスの所属会社それぞれの表示がされていたのです。今は運行が名古屋市交通局に統一されており、こうした会社別の表示が無くなったのであろうと推察しています。