2021年12月05日 21時08分

祝!東海交通事業城北線30周年。記念切符を購入。

1991年(平成3年)12月1日、東海交通事業城北線の勝川駅 ~ 尾張星の宮駅間が開業しました。つまり今月1日で城北線は開業30周年。

ところで現在は清須市の枇杷島駅と春日井市の勝川駅を結ぶ城北線ですが、全線一気の開業とはならず繋がったのは1993年(平成5年)3月18日で、そうしたことを知る人はあまり多くは無いような気がします。

私自身は先行開業部分は1992年(平成4年)6月13日、全通時は1993年(平成5年)9月28日に乗っています。

ということで1993年の枇杷島駅。

因みに当時の枇杷島駅は地上駅。

小田井駅からほど近い東海交通事業の本社。

入り口には30年記念のマスコットがお出迎え。なぜここに来たかと言えば、

記念切符を買うため。

日中は1時間間隔の運転で複線がもったいなく感じます。(小田井駅で撮影)

30周年のヘッドマーク。

参考までに25周年のヘッドマークもアップします。

余談ですが、東海交通事業城北線30周年は知人のYさんから教えられて知りました。Yさんには感謝ですが、広報が行き届いておらず、記念切符発売が周知されていないのは残念。と思って先ほど検索していたら、鉄道系のネットニュースに出始めました。

2021年10月29日 9時00分

岐阜県羽島市のキハ605。

キハ605。

1951年(昭和26年)に常磐炭礦鐵道キハ21として製造され、その後1959年(昭和34年)に岡山臨港鉄道(キハ1003)へ。1984年(昭和59年)には紀州鉄道(キハ605)に移ったものの営業運転に使われることなく現役を退きました。

その後ふるさと鉄道保存協会(有田川鉄道公園)に譲渡され、JR貨物・北陸ロジスティクスで保管(一部修復)の後、縁あって2020年(令和2年)6月11日、ここ岐阜県羽島市の社会福祉法人岐阜羽島ボランティア協会/かみなり村「コンテナのアオキ」にやってきました。

こうして見ると一見、鉄道車両の保存をしている場所に見えますが、実際には「子ども・若者の居場所づくり」の場所。

堅苦しいかも知れませんがここでこの場の運営規程から事業の目的を転載。

(事業の目的) 第1条 社会福祉法人 岐阜羽島ボランティア協会(以下「事業者」という。)が設置する「コンテナ のアオキ」(以下「事象所」という。)では、指定障害福祉サービス事業の指定生活介護(以下「生 活介護」という)を実施するにあたり、適正な運営を確保するために必要な人員及び運営管理に関 する事項を定め生活介護の円滑な運営管理を図るとともに、利用者の意思及び人格を尊重して、常 に当該利用者の立場に立った適切な福祉サービスの提供を確保する。

障がい児者とその家族支援の活動を行い、不登校、ひきこもりの方のためのフリースペースもあるこの場所。そこにキハ605がいるのは事業の目的に沿った「楽しい場所」造りの一環だそうです。

ところで昨年4月オープンの施設の名前「コンテナのアオキ」の由来。それは建物がJRの「貨物コンテナ」で出来ていること。

コンテナというと四角四面で、狭い空間に感じますが、ここのコンテナ群はその構造を維持しつつ、実に快適な空間となっています。

こちらは調理室。

元コンテナであることが見て取れるトイレと洗面のコーナー。その他作業をする部屋を含め、コンテナを活用しているとは思えないゆとりを感じます。勿論、エアコンもあります。

理事長/川合宗次さんの話では、単純なコンテナの連結~組み合わせでは建築基準を満たさないため、それをクリアするため様々な工夫を凝らし、やっとの思いでここの開所に漕ぎ着けたそうです。

もっとも理事長さん曰く、「私は乗りものは好きだけで、鉄道マニアではない」そうです。

キハ605同様、ここに通ってもらえるための動機付けであったり、一方で地域の人たちにもこの場の存在を楽しんでもらおうという気持ちが先にあり、それでどうすれば良いかを考えた結果が現在の形になったそうです。

キハ605の車内。一見綺麗に見えますが…。

そこかしこにかなりの痛みがあり、おって修復をしていきたいとの事でした。

と思っていたら何とこのキハ605、動態保存の道を歩むことになりました。

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【理事長/川合宗次さんからの連絡】

石川県小松市で鉄道関連の保存活動をされている「なつかしの尾小屋鉄道を守る会」の坂井代表と出会い、キハ605の動態保存(エンジン稼働により気動車を動かすこと)にむけて整備をして頂くことになりました。それに伴い線路の延長工事が始まります(ほんの14mですが・・・)。

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ただただ驚きです。私から見れば不遇の日々を送っていたキハ605。それが令和に入り、よもや岐阜の地で、命を吹き込まれるとは思いませんでした。実際に動くまでにはまだ日にちがかかると思いますが、キハ605にとっての啓蟄の日を、一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで待つこととなりました。

私にとってはご縁がご縁を結んでキハ605の見学にやってきた「コンテナのアオキ」。そこでこうした展開を知ったことは単なる偶然とは思えず、これから何某かの応援を始めたいと思っています。

(見学について)

住所:〒501-6229 岐阜県羽島市正木町坂丸1-50 福祉施設「コンテナのアオキ」

※名鉄竹鼻線須賀駅から徒歩で15分ほど。

キハ605の見学は、外から見て頂く分にはいつでも可。

また月曜日~土曜日の昼間の時間ならば、職員に声をかけて頂ければ内部を見学することも出来るそうです。

福祉法人 岐阜羽島ボランティア協会ではこのエリアで様々な施設を持ち、活動をしています。そしてそこに通う方達が作ったものを「コンテナのアオキ」の事務所でも販売しています。よろしければキハ605と貨物コンテナの見学がてらご覧下さい。

(おまけ)

「コンテナのアオキ」の入り口にあるこの警報器。

1951年(昭和26年)式ゴング式電鈴と点滅表示機だそうですが、何と毎日午前9 時、12時、午後3時の3回鳴るようになっています。訪問される場合は、その時間に合わせて行かれると良いと思います。

それにしても線路のない田園風景の中で聞く警報器の音ですが、唐突に聞いた私はただただ笑ってしまいました。さて皆さんの感想や如何に。

2021年10月07日 22時18分

ああ!想ひ出の電車通り。

鉄道を題材にしたお菓子(スイーツ)。

9月22日に新幹線ドーナツをアップしましたが、以前ですと2010年9月3日 に「都電もなか」を知っていますか?」と題し、東京の「都電もなか」を紹介しています。

今こうして見れば、10年以上も前なのに、つい最近味わったような気がします。

さて今回は岡崎市の銘菓「ああ!想ひ出の電車通り」。NPO法人名古屋レール・アーカイブスに頂いたお土産です。

パッケージにはかつて岡崎市内を走っていた路面電車(名鉄福岡線、岡崎市内線、挙母線を合わせて岡崎市内線と呼ばれることが多かったという記憶あり)の全部の電停名が並んでいます。この線は1962年(昭和37年)に廃止となっており、その姿が記憶にある人は間違いなく岡崎市内在住の一定年齢以上の方。「ああ!」という言い回しは、そういう世代の方にとってはグサリとくるのではないでしょうか。

と書きつつ包装紙の中身の写真がありません。撮ろうと思いつつ忘れて食べてしまいました。皆さんも岡崎市に出掛けたらお試しあれ。

2021年08月12日 21時32分

夏の風物詩、恵那市の田んぼアート。(明知鉄道)

2015年(平成27年)に始まった岐阜県恵那市山岡町の田んぼアート。

今年も明智光秀。恵那市役所のホームページによりますと今年のテーマは「コロナからの再出発」。『明智光秀をモチーフにした武将が「それぞれの希望に向けての再スタート」を応援しています。』とのことです。

因みに昨年のテーマは、、『大河ドラマ「麒麟がくる」の放送に合わせて、明智光秀をモチーフにした武将が新型コロナウイルスを切り裂き「コロナに負けない」「コロナに打ち勝つ」こと』でした。

ところでここの田んぼアート(恵那市での正式名は「田んぼdeアート」)の特徴は明知鉄道山岡駅の南側にあるイワクラ公園内の展望台から見るとアートとして認識出来ること。

※明知鉄道の列車内からは、色が異なる苗が並んでいるだけで、明智光秀の絵には見えにくいと思われます。

そしてここでの撮影のポイントは明知鉄道とのコラボレーション。撮り鉄さんだけでは無く、写真撮影を趣味にされている方、はたまた田んぼアートを見物に来た方も、かなりの確率で田んぼアートwith明知鉄道(もしくは明知鉄道with田んぼアート)を撮影されています。

※写真は急行7010D明智駅発恵那駅行き 山岡駅発は11:41。

山岡駅発12:00の9D。これで撮影終了。

先の急行7010Dの明智光秀ラッピングがもし手前だったら…。ひょっとしたら急行7009Dまでここで待機したかもです。

2021年07月20日 21時12分

名古屋鉄道株式会社の御乗車記念(の絵はがき)。天竜下りの謎が解けた。

岡崎市在住の地方史研究家/Fさんから再度の助け船。

2021年07月17日、18日に更新した記事で書いた「天竜下り」の謎が解けました。

三信鉄道電車の時刻表、の表面の右上。

佐久間駅のスタンプ。そこには天龍下りの図案あり。しかもスタンプのベースには一般的に知られている「天竜峡駅近くからの天龍下り」ともう一つ、「佐久間駅近くからの天龍下り」が描かれています。

私は17日に『もっとも長野県飯田市の「天竜川下り」ではなく、今の「中部天竜」駅の近くでそれがあったのかも知れません。』と書いていたのですが、図らずもそれが正解だったようです。私にとっても驚きでしたがそれ以上に、「自分の中の常識を疑え」という原稿を書く上での原理原則に立ち戻るきっかけにもなりました。

肝心の時刻表。スタンプの日付である昭和9年(1934年)11月11日時点で、ご覧の通り吉田(豊橋)~佐久間間(豊川鉄道~鳳来寺鉄道~三信鉄道を直通運転)が開通しています。吉田~佐久間(現在の中部天竜)間の所要時間は1時間58分で今の飯田線のダイヤとほぼ同じです。

ところでもう一度時刻表の表紙に戻ります。実はこのスタンプの日付は三信三輪駅から佐久間駅まで延伸開業した日。

Fさんは偶然、このスタンプの押された時刻表を手に入れたそうなのですが、日付を調べて驚いたそうです。

『スタンプの日付(9.11.11)は、三信三輪(現・東栄)-佐久間(現・中部天竜)間が開通した日であることが分かった。これは、開業日を記念して三駅を回って押印した当時の鉄道ファン?の手によるものだと思うと、貴重なものである。』とされており、私も確かにそう思います。何せ昭和9年のこと。列車本数もさほど多くない時代であっただけに、簡単に出掛けて手に入れたとは思えない「偉業」だとも言えそうです。ただそうした方のおかげで私の疑問が解けたわけで、Fさんだけではなく、先人にもただただ感謝しています。

2021年07月07日 21時51分

豊橋鉄道市内線(東田本線)、1時間だけの撮り鉄。

6月中旬、所用で豊橋に出掛けた際、1時間だけ豊橋鉄道市内線の撮影をしました。

13:57。豊橋駅のペデストリアンデッキから駅前大通・新川電停方面を臨む。

14:08。札木を出た電車が新川に向かって回ってきました。150mm(35mm換算で300mm)で撮影。

前の写真の続き。

この構図も面白そうと思いがけずシャッターを押した1枚。

駅前大通りには彫刻が並んでいます。それを絡めて1枚。14:15。

1時間に8本、上下合わせて16本が走るので、次から次へと撮影。

14:26。昭和6年完成の豊橋市公会堂をバックに1枚。ここで何度かカメラを構えたことがあり、この美しいデザインの建物と何とか絡められないかと挑戦しているのですが、私にはまだ正解が見つけられません。まあ車のかぶりもありますし…。

14:55。思うような成果が上がらない中、次の予定もあって豊橋駅まで戻り、これがこの日最後の1枚。

話は変わりますが、いつもの年なら夏はビール電車に乗りに(呑みに?)豊橋に足を運ぶのですが、今のところ「やる」という情報がありません。豊橋鉄道の公式HPでは『2021.05.28 今年度の「納涼ビール電車」は、ただいま計画中です。決定次第こちらでお知らせを致します。』のまま更新が止まっています。

もっとも私はほぼ諦めてはいます。

だから…、ではありませんが、この夏、豊橋鉄道渥美線で夜行列車が走ります。

●ワクワク♪駅間特別停車&始発列車前特別撮影会in三河田原「カラフルトレイン夜行列車特別ツアー」

開催日は8月21日。

詳しくは豊橋鉄道の公式HPでご確認下さい。

20代の頃なら面白がって出掛けたかも。

そう言えばJRを除く私鉄の夜行列車は「いすみ鉄道」であったり「えちごトキめき鉄道」「東武鉄道」があったりしましたが、渥美線の片道18キロは間違いなく最短記録。

と思っていたら岳南電車の9.2キロがありました。今週末の7月10日~11日で運転予定。各社各様で知恵を絞っています。

2021年06月20日 22時56分

開業20周年のゆとりーとライン(4)開業時。

20周年を迎えたゆとりーとラインの開業時の写真。

大曽根駅。

地平区間の竜泉寺バス停。一見すると今と変わらない?

いえいえおでこの方向幕周りが大きく違います。このバスでは左端に名古屋市交通局のマークあり。

こちらは名鉄バスのマーク。

開業時は、市バス、名鉄バス、JR東海バスの3者の路線を名古屋ガイドウェイバス株式会社の「ガイドウェイバス志段味線」に統合し、共同運行形式となっていました、そのためバスの所属会社それぞれの表示がされていたのです。今は運行が名古屋市交通局に統一されており、こうした会社別の表示が無くなったのであろうと推察しています。

2021年06月19日 22時02分

開業20周年のゆとりーとライン(3)小幡緑地駅。

小幡緑地駅を出て、高架から地平に降りるとすぐに遮断機があり、そこで一旦停止し地上走行が出来るように準備します。

逆に専用区間に入る場合は遮断機の外で停車し、

ここでタイヤの前(右側)に注目。

ガイドが出てきました。停車位置は道路からは少し距離があり、肉眼で確認することは難しいと思います。この写真も望遠レンズで撮影した上でトリミングしています。

小幡緑地からの帰路、車内からの撮影。気分はジェットコースター。

乗っている感じはバスと言うよりタイヤ式の新交通システムですね。

矢田川。景色が広く見えて気持ちが良い。

余談ですがこのゆとりーとラインは名古屋市の敬老パスが使えます。一方、名古屋市交通局の一日乗車券(市バス全線一日乗車券及びドニチエコきっぷ)は、地平区間では小幡緑地から名古屋市を越えて高蔵寺まで使えるのですが、高架区間の大曽根~小幡緑地間が使えません。

敬老パスについてはあおなみ線と同じ扱いですが、高齢者でも知らない人がいそうですね。

ここでクイズ!

平日朝のラッシュ時間帯に、ゆとりーとラインは最短何分間隔で運転されているでしょうか?

答えは2分間隔。正直言って、これほど多いとは思ってもみませんでしたが、乗降時間も掛かるでしょうから、乗客の方には○時○分発と言う意識は無さそうですね。

2021年06月17日 21時26分

開業20周年のゆとりーとライン(2)鉄道の撮影とは少し違うかな?

それでは「ゆとりーとライン」に乗ってみましょう。

大曽根駅。見た目はバスでも鉄道なので「駅」です。

新交通システムに似た感じの駅構内。

車体前方のタイヤの横にあるガイド。これがバスとはひと味違うところ。

ゆとりーとラインの大曽根駅からは中央本線が眼下に見えます。もっともこの写真は身体が反応しただけ。

大曽根駅を出るとご覧の高架橋を走ります。(車内から撮影)

名鉄瀬戸線の電車が通らないかな?と思ってもそうは上手くいくはずも無い。

高架橋から見る風景は気持ちが良いですね。気のせいでしょうが、鉄道の高架区間から見る風景よりも視界が開けている感じ。

川村駅で下車。ホームから撮影。どこか不思議な風景。

高架の下には道路。この道路を何度か通ったことがありますが、交通量は結構あります。

定時で走る。私が乗った日も定時運行。鉄道では当たり前でもバスではそうはいきません。さすが専用区間の強みです。

おっと、ここは鉄道でした。

2021年06月16日 16時08分

開業20周年のゆとりーとライン(1)記念グッズ。

鉄道なのにバス。それが名古屋ガイドウェイバス株式会社が運行するガイドウェイバス志段味線。一般的には「ゆとりーとライン」(名古屋市交通局+名古屋ガイドウェイバス)と呼ばれています。

一見、バスにしか見えませんが、、、もっともシステムとしても「ガイドウェイバス」と「バス」と呼ばれるのですが、実は鉄道です。

(「ゆとりーとライン」公式サイトより転載)

平成4(1992)年1月運輸政策審議会答申
(中量軌道系の交通システムとして整備することが適当と位置づけ)

平成6(1994)年10月軌道法に基づく特許の取得

平成8(1996)年1月軌道法に基づく工事施工認可・工事着手

とあるように、実は分かり易く言えば路面電車の仲間(法律上)だったりします。

細かい仕組みはゆとりーとラインの公式サイトに「ガイドウェイバスのしくみ」というページがありますのでそちらをご覧下さい。

ところでゆとりーとラインの開業は2001年(平成13年)3月23日。つまり今年は20年目の記念すべき年なのです。

たまたまゆとりーとラインの公式サイトを見ていたら、6月1日から「開業20周年ポスタープレゼント」との事でしたので、大曽根駅まで出掛けてきました。

1枚だと思ったら何と3種類3枚セット。私としては名古屋市、名古屋鉄道株式会社、ジェイアール東海バス株式会社の交通事業者3者が株主で連なるという珍しい企業「名古屋ガイドウェイバス」と名古屋市交通局の路線バスの直通運行の歴史的記録を保存という気持ちで伺ったので、3枚セットを有り難く頂戴しました。今のご時世、あまり広報がされておらず、欲しい方には受け取ってもらおうという方針と見受けました。

記念乗車券、記念入場券と言った記念券は恐らく馴染まないゆとりーとラインなのですが、記念グッズは各種発売されており、私はストラップを購入して鉄カードを頂きました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!